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働いたことで手に入れたものと、職を失っても残っていた豊かさ

3年程前に10年務めた職場を辞めました。

自分の持っている能力に対して求められるものが違い、求められることに応えようと努力したところ負荷が大き過ぎたことで周囲とのコミュニケーションが不足し、孤立して職員間の虐めにあったことが原因でした。

日が昇る前に出社して、夜中まで働いて、帰宅したら何もできず寝るだけ。
土日祝日は不安とストレスで叫ぶ代わりに自分を何かに没頭させ、何のために生きているのか分からなくなる。

上はその職場を辞める直前に自分が自分の日記に書いていた文章です。在職中は仕事のこと以外にはエネルギーを注ぐことができませんでした。仕事自体が何か自分にエネルギーを補充できるものにできたらよかったのでしょうが、それどころじゃありませんでした。

そういうわけで、死ぬくらいなら仕事を辞めて自分を取り戻そうと決心したわけです。そして、仕事をしている時に我慢していたつもりのいろんなことに取り組もうとしてみました。

ところが、何に取り組んでもつらい。

仕事のために時間が取れずに過去に諦めた諸々のことに再び取り組もうにも、10年間のブランクがあるわけです。もう就職前までに積み上げたはずの知識や技術は失っています。かつてあれだけ考え工夫し努力して積み上げたはずのことを、もう一度と思うならば一からやり直しでした。

そのうえ、長期間虐めに耐えて踏ん張ったために、もう二度と出会わないであろう職場の人たちからの嫌がらせの日々がことあるごとにフラッシュバックしてきます。辞めてからしばらくは眠れぬ日々が続きましたし、昨日の事のように思い出される辛い記憶を打ち消すために1年くらいは頻繁に叫んでいました。何かに集中するという穏やかな時間をなかなか持てません。本すら読めないのです。文字を追っているはずなのに、脳が嫌な記憶をたどり始めます。工夫する活動、理解する労力の必要な簡単な活動もできなくなっていました。

アルバイトもしてみましたが、人が怖くなっていることに気づきました。人との関わり方がわかりません。その状態では新しい職場でも居心地が悪く、仕事も新卒の子たちのように手をかけて育ててもらえるなんてことも無く、最終的に新しい職場が怖くなって、辞めると言い出すことも怖くて、勇気を振り絞って「急に辞めても仕方ないと思ってもらえるような」嘘をついて辞めました。

同じような経験をした人は私の身近にはいなかったようで、誰かに話しても理解してもらえるどころか拒絶されます。そもそも当時の日記を読み直すと自分でも怖いです。(この記事も、後で読み返して怖くなるのかもしれません。)これはしばらくは人に会うと逆効果だと気づき、しばらく家族以外とは接するのを避けることに決めました。

10年という時間以上に、自分が積み上げたはずの多くのものを失っていたこと、心を壊す前に仕事を辞めるべきというネット上の言説の意味を、仕事を辞めて3年経った今実感しています。

働いたことで手に入れたもの。

今の自分には何もできないと悟ると、徐々に今手元にあるものが鮮明に見えてきました。

幸いなことに、10年間分の給料を得ています。10年勤めただけの退職金も。結婚もしていて、夫も協力的です。家族から来るストレスは一切ありません。
私をものすごく愛してくれる猫もいます。道で死にかけていた子猫で、拾った時はペット不可の物件に住んでいましたが、すでに就職して収入のあった時期なので、すぐにペット可物件に引っ越すことができました。今は11歳で高齢の域に入っていますが、後悔しないよう存分に愛し返すことができます。
また、在職中に土地を買い家を建ててあります。緑地に近いので、敷地にやってくる四季折々の生き物の観察を楽しむこともでき、家庭菜園もしていて自家栽培の野菜を楽しんでいます。庭に窯や燻製器も作ったので、石窯でパンやピザを焼いたり、鶏肉の燻製を作ったりしています。

一時期は作家活動をしていたくらい作ることが好きだったため、作業場も作ってあります。作る気になればいつだって作り始めることができます。

コロナで外出自粛要請が出ても、一切困らないくらいには、幸せも楽しみも自分の身の回りに全て装備してありました。

豊かさは結局何だったか

豊かさとは「満足」だったのだと思っています。物質でも存在でも知識でもいいのだけれど、自分の望むものが望むようにそこにあること。

壊れて仕事を失った自分の手元に残ったのは、知識でも経験でも人脈でもなく、物と家族でした。家族とは夫のことです。

しかし、他人は自分がどんなに努力をしたところで、望むようにあってくれる保証はない。家族が残っているのは運がよかったのだと思います(大切にします)。実際、家族以外の他人は私がおかしくなって離れていきました。

知識は奪われないとよく言うけれど、仕事で得る知識や技術は仕事を辞めれば何にも使い道が無い。使わない知識や技術はどんどん失われて行きます。

そういうわけで、豊かさを確保したいと思うならば、姿を変えず、自分がコントロールして蓄えられるもの、つまり物として蓄えることをお勧めしたい。知識は忘れるので、本として持っていること、または文章等にまとめるなどして物にしておくこと。物は死後の世界に持っていけないなんて言うけれど、今生きている世界では最も信頼できるものだと思います。

最後に

労働者であることは社会的な信用を与えてくれます。社会の一員である安心感と余裕は間違いなくそれだけで豊かさの一つ。無職になり痛切に実感しています。

仕事を自分の幸福と思える人は社会が求めるものと自分の能力や欲求が合致しているとても恵まれた状態だと思います。

ただし、私だって辞めた仕事を天職だと思っていた頃がありました。有能な職員と言われていた頃もありました。周囲の職員が潰されていっても、自分の順番が来るまでは、潰された人に何か問題があったのだろうと高をくくっていました。だけど他人の評価なんて簡単に変わります。今仕事が幸福と思う人でも、異動等で何が起きるかわかりません。運一つで何だって起きます。

なので基本的に会社には依存し過ぎない方がいい。自分を消費する代わりに物質的な豊かさと社会的信用を得て自分と家族の生活を支える手段だと理解しておいた方がいいと思いました。

それが叶わないとき、つまり上司から対価以上の奉仕を求められるなら、我慢せずにすぐに本部なり外部なりに相談に行くべきです。正当な要求に自分が答えられないと思うなら、その職場は向いていないのだから早めに判断して転職すべきです。心を壊す前に。











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