天気の子のどこが好きだい?

※映画の内容に関わる記述が含まれています。

天気の子を見てきた。

ことの始まりはメゾネットメゾンのQ.iちゃんと映画の話をしていたら(彼女とはよく見た映画の話をする)、2人とも見てもいないのに天気の子の文句や懸念点を言い始めたことだった。

これならちゃんと見て文句を言った方が良いだろうとふざけ半分で見にいこうぜって話になった際、お互い忙しいしねと恐る恐る日程調整したら普通に近々の予定が空いていて、しかもポップしなないでのかめがいとメゾネットメゾンのkousさんも空いていたので4人で見ることになった。

文句と言ったが、そもそもの懸念は、オールドタイプのオタクにありがちな「こんなオタク臭い話、一般の人が見て大丈夫かな…」という謎の親心に起因していた。

To heartから何年経っていると思っているのだ。時代がもう違う。そんなことはわかっていても、自分の好きな萌え萌えオタクカルチャーが日の目を見ると恥ずかしくなってしまう感情は未だにある。

映画が始まって15分、予感は的中した。

心配したとおりじゃないか!

セカイ系の定型文の塊みたいなイントロダクション(セカイ系に傾倒し愛しているからこそいうが、この部分はわかりやすくても意味がわからなくても成立する。無敵である)から物語の壮大さを仄めかし、自分探しで都合よく親元を離れた高校生が、都合よく生活基盤を手に入れ、粋なお兄さんとお姉さんに社会的にサポートしてもらいながら、ドーテイ殺しのスケベそうな女子とボーイミーツガールをし始めた!

一緒に見に来たのがオタク達でよかった。母親に見られるのが嫌でテイルズシリーズをやらなくなったおれにとって、この類の羞恥(本来おれが感じる必要性は全くない)はなかなかにヘヴィだった。

重ねていうが、もしこれが美少女ゲームなら全く問題はない。なぜなら1人でやっているから。あくまで、スクリーンで大写しになる美少女ゲームに対しての感情である。

そして映画は進む。使ってはいけない力であることを示しながら天気の力を使って少年少女が達成感を感じ続けるくだりは、少し引っかかりはあったものの序盤に比べてテンポもよく、我々が新宿のTOHOシネマズで見たこともあり、実際の新宿や池袋が美麗なアニメになっているのを見るのも楽しかった(しかしこれは後述するが問題点にもなる)。ここまで来たら前述の羞恥心も流石に消えてくる。

内容については詳しくは触れないが、主人公がヒロインの真実を悲劇的に知るシーンは良かった。車の中で「おれが1番〇〇だったんじゃないか…」と漏らすシーンはかなりグッと来た。今までの童貞向けではある描写から、一気にそれを踏まえた上で1人の人間としてのキャラクターになったのを感じ、素晴らしい台詞回しだと思った。

主人公が群衆の目を浴びながら総武線の線路を走るのも王道で、まさにアニメでするべき美しいシーンである。

ただ、個人的に最後まで拭いきれない違和感があった。これが本題である。

「天気の子は、我々をどんな気持ちにさせたかったのか?」

見た人ならわかると思うのだが、基本的にピンチがピンチとして機能していないのだ。

主人公たちが愚かすぎる、という批判については、個人的にそうは思わない。なぜなら物語は登場人物の愚かさによって展開するものだし、ヒロインは世界の意思によって人柱になってしまったのだから端末については致し方ない。祈りと奇跡によってなってしまったものに文句をつけてはいけない。

ただ、主人公たち以外、つまり世界に生きる人々の意思がとにかくピンチに関わってこない。雨が降り続けてみんながどうなってるから、主人公とヒロインが悲しい運命に巻き込まれてしまうのか。

「どれだけ可哀想になるか」これはセカイ系の命題である。シンジ君は実際にめちゃくちゃ可哀想だから成立するのだ。これは主人公たちがわがままなのではない。悲劇が悲劇的に感じられないからそう解釈されてしまうのだ。

また、舞台があまりに現実すぎる。現実の中のファンタジーではなく、現実に放り込まれたファンタジー要素が、突然出てくる実弾の拳銃やヤクザやホストと相まって、嘘くさいリアル風味を演出している。

実際の企業が商品名が出てくることの意図はわかるが、自分にはあまりハマらなかった。現実離れした台詞回しは嫌いではないが、それならそれが現実に存在した時の違和感なんてあえて際立たせないで、世界観の中で没頭させて欲しい。

そして君と僕は誰と戦うのか。ヒロインを巫女にした世界の意思か、それとも天候そのものか。物語を見ている我々は、誰を敵だと認識し、打ち倒すべきだと考えなくてはいけないのか。

君と僕vs世界の必然性や没頭感がセカイ系の純度を決める。

これでは君と僕vs警察の一部ではないか!

警察、実弾を手にした高校生を保護しようとしているだけなのに、あまりにも可哀想である。

余談だが、警察の2人の声が声優しすぎて俳優演技の主人公サイドとの差が際立ち、ものすごい異物感がなかっただろうか。技量といえばそうなのかもしれないが、前述のリアルとファンタジーの齟齬も相まって、小っ恥ずかしくなった。

結局のところ、誰に感情移入して、どれが何の暗喩で。オタクがセカイ系で語るべき事は、そのような全く無益な考察なのである。その考察の時間にどっぷりつかれるような、深みや気持ちの入れどころや教訓は無かったと感じた。

天気の子は、ドラマだった。もしかしたら展開だけでいえば実写の方がよかったのでは?とも思えるレベルで。それなのに導入やキャラクターの行動原理の都合の良さはあくまで美少女ゲームの文脈。脳が混乱するぜ。

いわゆるエゲツないセカイ系は、もっと意味ありげで壮大だったり、都合の良い展開がエグすぎて悲劇に悲劇を重ね涙を流さざるを得ないを得ないものだったり、ぶっ刺さる人の心の中に呪いのように残るようなおぞましきものである。

つまり、君の名は。で感じた、セカイ系の美味しいところを一般の人にもわかるよう、オタクも満足するよう、たらふく食べさせるまさにフルコースのような怪物ディナーを想像していると、これは一時期流行ったセカイ系リバイバル美少女ゲームの中堅どころの個別ルートの1つを高クオリティで見ている気分になってしまい拍子抜けしてしまう。

とにかく、これは身勝手な不満なので参考にしないで欲しいが、君の名は。みたいな暴力的な質量で成立したオタクと一般の架け橋を期待してはいけない、ということである。

我々の気持ちをかき乱すような、もしくは圧倒的に晴れやかにするようなものではなかったのは期待しすぎだったのだろうか。

ただ、そんな言うものの素晴らしいカットや光るセリフ回し、演出、ビビッドな展開はあるので、期待していくものを選べば、大画面で見るに値するものはあると思うので、勿論見に行く人は楽しんで欲しいと思う。

あと、エンドロールで小栗旬の名前を見た瞬間に、天気の子の思い出は小栗旬との思い出に変わってしまったことも追加しておく。それほどまでに蛇足のラストシーンと、小栗旬の声のかっこよさは衝撃的だった。


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