ポケットモンスター 夢/現実

「赤」


本来であれば1メートルも見通せない路地を音を立てないよう、しかし出来る限り早く、彼は歩いていた。
文字通り"爪に火を灯して"。
「ヒトカゲ」と呼ばれる彼の能力は、古いガスコンロのように、体の一部に小さな炎を灯すことが出来る。
これがなかなか便利で、彼の生業では能力無しでは成り立たない程であった。

てっぺんに聳える政府とは名ばかりの、言うならば監視社会となった現代において、バックアップとなる、つまりケツモチの企業があるかないかは大きな違いである。
彼のようなフリーランスは、常にリスクを背負わねば生きてはいけない。
そのことを彼は自覚していたが、それは生きる術であり、誰かの誇りを傷付けるようなことかどうかなんて露も知らないのだ。

大綱工業には3年前、中途採用として入社した。初めから"目的"を持って。
入社したすぐから、元来真面目な性分もあり、同僚上司からは信頼を得てからはより多くの仕事を任されるようになった。

彼がよく一緒に外回りをしていた男は、森本と言った。
森本はとてもひょうきんで、気遣いの出来る男であり、隠し事をしながら働く彼にとって、森本のような男といることは気の許せる大切な時間となった。
森本の異能は「キモリ」と呼ばれ、なにやら細い道を早く歩けるものらしい。ただこんなの役に立つことないよね、と笑っていた顔を思い出す。

そして彼は3年後、"目的"を果たした。
施設管理における施工を主な事業とする大綱工業には、都市計画の一部があり、それはまさに企業の利権の塊だった。
その計画の一部を燃やし、盗み、運び出した。
3年間の信頼を全て集約し、社内から持ち去ったのだ。

ただここから彼の計算はズレていく。
その利権の塊は思ったよりも大きかったらしく、当然のように彼は追われ、当然のように命が狙われた。ここまで命とは軽いものか、と独りごちたが、手元にある物の重要性を他人事のように認識するしかなかった。

彼が手元の灯りを頼りに歩いた仄暗い路地を出た時、視界が広がると同時に、見慣れた男が声をかけてきた。
「お前さ、びっくりしたよ。無理しちゃいけないよ。そりゃ無理だ、今からでも遅くない。何考えてるのかわからんが、おれも一緒に行くからさ、詫びを入れよう」
いつものひょうきんさも陰に潜め、芝居がかったような真面目さで森本は言った。
こんなとこで引き返したら殺されるに決まってるだろ。そう返すと森本はいつものように笑った。
「わかった、お前が捕まるとこまで見届けることにするよ」
無責任だが、何故だか心が落ち着いたのは、森本と話すことでかつての穏やかな会社員生活の残滓を味わえたからだろう。

大通りを歩いていると雰囲気が変わる。気付けば明らかに堅気ではない全身黒の男たちが彼と森本を囲んでいた。
こんなに大仰にしてくれるかね、とふざけたあと、森本に早く逃げろと伝える。
今なら、人質に取られてなどと口実を付ければ森本1人なら説明も出来るだろう、と。

彼の異能は身体の一部を高温にすることで、素手に一定の殺傷能力を与えることが出来る。
それなりに修羅場も潜ってきたつもりだ。
武器はないが、万が一であれば逃げ果せるかもしれない、と覚悟した彼に森本は言った。
「お前さ、一緒に働いてた時みたいな普通の生活じゃダメだったの?」
こんなタイミングで呑気なことを聞く森本に呆れたが、最後の会話になるかもしれないから彼はよく考えてから答えた。
普通になるのが1番難しいんだよ、と。

それを聞いた森本は今まで見た中で1番と言っても良い笑みを浮かべ、両手を横に突き出した。
森本を中心に地面が赤く光り、放射状にラインが引かれていく。
それが囲んだ男のところに達すると、そこにいたはずの人体が沸騰し、液体となった。
男たちの叫喚が聞こえる間も無く、そこに立っているのは彼と森本だけとなった。


「おれも同じかもしれないよ、ねえ。楽しかったよな、普通の暮らしは。おれもお前と同じように、普通になれた気がしてさ。でもごめんな、おれたちにはさ、"目的"があるんだもんな。お互い様ってことで。
じゃあ、楽しかったよ。お疲れ様」

最後に見たのは、溶岩を纏ったヤマアラシ。
熱いのは得意なんだけどな、とぼやく暇も無く、視界が真っ赤に染まった。

『ひょうきんな森本さんは「マグマラシ」』


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