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18. 『半建築』 

今日は、長坂常さんの『半建築』です。

★4.8 、評価15個


半田悠人さんのおすすめの本のリストにあったので、読んでみました。
あと、タイトルにもそそられました。

本書は、東京芸大卒、スキーマ建築計画代表の長坂常(ながさかじょう)さんの学生時代から現在までの活動の軌跡がわかる自伝本になっています。

ブルーボトルの設計とかをされています。

【冒頭】


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あらすじ

建築と家具の間、未完であること、用途に対する不確定性、見えない開発……「半」であることが建築にもたらす魅力と可能性とは──

「抜き差しなる」デザインを目指して奮闘する スキーマ建築計画、待望のものづくり論!

作品(夢)と生活(現実)の間に確かに掴み取ることのできる新時代の建築を考える。


初期の代表作「Sayama Flat」において、引き算や誤用という考え方のリノベーションで建築界にセンセーションを巻き起こしたスキーマ建築計画。日常の中での気づき、既存のものから得られる新たな発見をきっかけに、家具から建築、都市のスケールまで1/1を基本にデザインする独自の取り組みを「半建築」というキーワードのもと書き下ろした待望の一冊。

現実が入り込む余地のないキメ顔の建築ではなく、抜き差しなる関係を受け入れるような大らかな建築。それでいて個々の素材や細部に対する解像度の高い扱いから、すべての要素が生き生きと共存するような空間。リノベーションにも新築にも、住宅にも店舗にも、そういった美学を貫き活動を続けてきた長坂常が、建築におけるさまざまな「半」的状態を考えることを通して新たな建築の可能性を提示する。


モダニズム建築には異物を受け入れない抜き差しならない構成であるが、それに違和感を感じ、「抜き差しなる関係」を考えるようになります。

たとえばその最たるものと目されるバルセロナ・パビリオン。かつて訪れた際たまたま清掃中で掃除道具が置かれていたのだが、その異物が水平垂直の均整の取れた構成を背景に妙に馴染み、さもアート作品かのような顔をしても取り込まれマッチしていた。それを見た時、モダニズム建築の中にも包容力の高い抜き差しなる関係を生み出せる空間があるのだとあらためて認識したことがあった。

そんな空間を「キメ顔のない空間」と呼んでおり、それはHAPPAなどでも同じで、展示をしていても、セールをやっていても、ミーティングをしていても、そしてどちらを向いていても、そう悪くない感じ、それが大事だと思っている。

キメ顔のない空間。いいですね。
私もそういう空間を目指したい。

世の中の風潮的にも益々そういった空間が求められとも思います。

素朴というか、質素というか、豊かな空間。

街について

パリに行ったとき、街の人びとが楽しそうに見えたそうです。

これは街の作り方にもされているためであり、ヨーロッパが広場の文化だからです。
反対に日本は道の文化です。

京都に行っても、目的もなくいれる場所もなく、鴨川や神社仏閣にしか居場所がない。自由に飲み食いすることもままならない。
規制が多すぎて、アクティビティ化した街を受動的に楽しむことしかできない。
居場所がないから気が付いたら屋内の店でお金を使う状況になる。

パリでは、街の床に穴が開いており、そこにポールを立てることで短時間で空間を変化させることができる。
マルシェをやり、その後は道路に元通り。

カフェのテラス席も税金に引き換えにカフェに貸し出す仕組みとなっている。

街をつくる人全員に文化を大切にする共通意識があるからこそ成せるワザではないだろうか。

こういった各国の街並みについては、「」という本をちょうど読んでいまして、サインから街を考察するのも非常に面白いです。

日本は規制に対しての反発があまりないので、どんどん規制が増えて行ってしまう。

本屋の設計

本屋は立ち読みが多いほど美術書が売れるらしい。

その為に、平積みの高さが本をおいて読むのにちょうどよい高さになるべきである。
そうして読んでいるうちに下に隠された本も手に取るようになるのだ。

他にも同じ作家の本は1カ所にまとめないほうが、偶発的に他の著者の本に出会いやすくなる。

私個人的には、大阪駅の紀伊国屋書店のように本棚が区画に対して斜めに並んでいると通路から各本棚が見えやすくなるので、もし本屋を作るときは斜めに配置したなと考えています。

逆に物販店などでは、あえて入口から死角を増やすことで店内へ誘導するという方法もあるみたいです。

クリニックの設計

クリニック系の空間では従業員のいる裏側を見せないことが多いが、それが従業員のホスピタリティを低下させる一因になり従業員同士も見えないことが多いため、サボる時間も生まれてしまう。

また隠せる場所があると不潔な状態でも客には見えない。

また患者同士の間にも壁があると、公正ではない治療の勧誘をしやすい環境にもなっている為、患者も先生の話を疑いを持ってきいてしまう。
わざと長く治療しているのではというのもそうである。

クリニックはオープンであるべきである。

周回遅れのトップランナー

そして、ここ尾道は自動車が入り込めないまま残ってしまった陸の孤島ではあるが、考え方によっては自動車によって分断され、失われていったコミュニケーションや公共の場をまだもっていて、もしかしたら周回遅れのトップランナーになりうる可能性をもってるのではないだろうか。

ルールの多さ/ゴミ箱について

ルールが多すぎると守れない人が多くなり、いつしか守らなくてもいいルールになる。
飛行機での携帯の機内モードのように。

守れないからといってルールをまた上書きする。
そしてルールがだんだんと生きづらい世の中を作っていく。

地下鉄サリン事件のあとのゴミ箱の減少そうである。

楽だし、経営的にも楽だけど、外でのアクティビティの選択肢を減らしてしまった。

いまでは「ゴミ箱」を増やせと主張するのは環境に対して悪だという風潮がある。

反対に良いルールの決め方はオランダのサイクリングルールだ。

ヴェネチア

ヴェネチアでSUPをすると、運河で既存のボート屋と小競り合いがおきる。
そのよこでは飲み明かす人や間近で生活している人がいて、コミュニケーションが生まれる。

生活と水の距離感が近く、歩いている人が急に裸になり、海に飛び込み、ボート・カヤックが行き交う。
海からでると日向ぼっこしながら談笑する。

東京にそんな場所を見つけることができるだろうか。

水害を恐れすぎて、水との接し方がわからなくなってしまっている。

最近では水を活かした空間づくりのPJが増えているらしい。

いつか街づくりや水を活かした空間を作りたい。

まとめ

本屋やクリニックづくりの具体的なアイディアも貯められたし、長坂さんの考え方に触れることができた。

「抜き差しなる関係」とか「キメ顔のない空間」とか「周回遅れのトップランナー」とかいいなあと思う価値観を知ることができて、私もそんな空間を作りたいと思いました。

可動性とか決めすぎないとか、使っていくうちに出来上がる空間とかそういうのが今後増えていくし、作りたいと感じました。

活躍されている方の本を読むと大体、偶然が重なりイイ感じに苦労しながら道が開けている印象があります。
だから、行動して偶然を作りに行くべきだと解釈しました。

また、大体若いときにお金がなく工夫しているエピソードがあるが、当時を語った文章は楽しそうに見えます。
たぶんお金はない苦労する時期でも、豊かではあるしむしろそんな時期が楽しい思い出になるのだろうなと最近感じます。

そんな苦しくも楽しい状況になるには、一歩踏み出し挑戦するべきですね。

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