選択肢は本当に自分の意志で選んでいるのか
もぐらゲームスさんで紹介されていた『人ひとりを救うチカラ』をプレイ。
柱に拘束された四人の人物からひとりを選んで救うというシンプルなゲームです。「どうせ、真エンディングはプレイヤーが自分自身を選んでみんなを救うとかそんなんでしょ」とか思ってプレイしたが、どれもブラックユーモアたっぷりで良かった。
むかしのギャルゲーは好感度を上げるだけの虚無的な選択肢が多かったし、最近のスマホゲームは選んでも展開がぜんぜん変わらない選択肢も多い。それ、いるって思ってた?
効果的な選択肢って、それ自体が仕掛けになっていて驚かせてくれるか、『タクティクス・オウガ』や『ライフ・イズ・ストレンジ』のようにゲームだからやり直せるとしてもその選択肢を選んだ事実が自分の頭から消えないぐらい究極的なものだと思う。
倫理的に正しい選択肢を選んで正解を進むのも意味あるのかな? と思う。やっているときは決意をボタンに込めるみたいな意識があり、少しテンションが上がるかもしれないが、そんなにプレイフィールとして「うぉ~」となった記憶がない。2周目とかで最善の選択が選べるようになる仕掛けはゲームならではでいいと思うけどね。物語を先に進むためのいい子ちゃん選択肢にはあまり効果がない。『ダンガンロンパ』みたいに壮絶な物語の果てに1個の「これしかない」という選択肢を選ぶのはとても感情移入できるけどね。
そういう意味では『人ひとりを救うチカラ』は救うことが正解なのか、最善の選択なんてのがあるのかっていう皮肉も効いててよかった。主人公も決してニュートラルな人間ではない。プレイしたルートで印象が変わるのもおもしろい。
まぁ、そういうレールみたいな選択肢のゲームが多いから、『BioShock』とか『The Stanley Parable』みたいなカウンターも生まれるんですけどね。ああいうのもゲームのなかの常識があったから驚かされたわけで。
というわけで『人ひとりを救うチカラ』。1時間も満たないぐらいの短編でサクッと遊べるのでプレイしてみてくださいな。
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