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美味しい昆虫とは何か

昆虫食を話題にしようと頑張っている人がいます。しかしいくら栄養価が期待できようと、飼育コストが低かろうと、味と見た目が悪ければ普及はしません。

また、昆虫を食べる状態や調理方法などの課題?も山積みです。 しかし、それよりももっと真剣に取り組まねばならない問題があります。そもそも昆虫は現代において身近な存在ではないんです。大多数の現代人にとって不快な、時々現れるノイズでしかなくて…

そこが古来の日本人と違うとこです。

例えば蚕の蛹は日本古来から、養蚕農家のおやつでした。


蚕のサナギは繭の中に入っています。生糸を取り出す工程で死んでしまいます。

シルク製品は美しいですが元々は蚕の命。生糸をとらせてもらって、命も無駄にせずに食する、日本人のもったいない精神を感じることができます。

私自身も蚕を飼育したことがあって、実際に食べてみました。

食べた理由は、蚕を飼育しているうちに、脱皮に失敗したり、病気になったりして成虫になれない蚕がたくさん出てきたので、ただ死なせるにはしのびなかったので泣く泣く、です。好奇心ももちろんあります。

その結果わかったのは、蚕のサナギは条件つきでとてつもなく美味しいこと。そして全ての蚕のサナギが美味しいわけではないことです。例えばこれをご覧ください。

脱皮に失敗したり、繭の中で死んでしまったサナギたち

サナギは生きていますから、繭を作ってから成虫になるまで、刻々と変化していきます。

1番美味しいのは、幼虫が脱皮してサナギになった瞬間です。そもそも昆虫のサナギが美味しいのは、消化器官の中の内容物、うんこなどが極力少ないからです。蚕の幼虫は繭を作る前にこれらのものを排泄してしまいます。脱皮してサナギになったばかりの蚕は、成虫になるまで、そして成虫になってからの栄養をタップリたくわえている状態です。

それから、徐々に味が落ちていきます。成虫に近くなると、サナギの中で鱗粉や脚、羽などに栄養がつかわれ、硬い組織が増えてきます。同時に、繭も固くなって、生糸が取り出しにくくなっていきます。生糸生産の工場ではこうした繭の成長の進み具合のバラツキを抑えるため、熱風でサナギごと乾燥させてしまいます。サナギは死にますが、繭の品質、生糸の取り出しやすさは揃うわけです。腐る心配もなくなります。サナギが中で腐ると繭も黒くなり、白い純白のシルクはとれません。

このように、純粋に蚕を食材として見た時に、生糸生産の副産物として蚕のサナギを食用利用しようとするのは難しそうです。生糸をとるにはサナギを乾燥させて保存を良くしなければならないのと、生糸をとるためにお湯につけなければいけないこと。この工程を経たあとの蚕の蛹は味はやや落ちるでしょう。

単純に、美味しいものが食べたいとか、そういう軽い動機ではなかなか食べるには至らないというか、出てきちゃったからあるものを食べようか、という生活環の中でしか発生しえない食文化です。養蚕やる人しか食べないよねって思います。

結論に至りますが、現代において必要なのは昆虫食ではありません。昆虫と人間の関係性をもう一度見つめなおすことです。

はちみつ🍯、シルク、コチニール色素、知らずか知ってか、人間は昆虫の命をいただいているのです。ところが、近年、あらゆる昆虫は減少傾向にあります。老人が昔は赤トンボがいっぱいいたのにな~、とぼやいているのを何度耳にするでしょう。それは記憶違いではありません。原因はよくわかっていませんが、農業の変化によって農薬がつかわれたり、環境汚染、開発の影響などが言われています。本当に昆虫は減っているのです。

そして昆虫がノイズでしかない人々にとってはどうでもいいこと。生態系を考える上で、また風土や文化を守る上でもこの問題は重要だと思うのですが…

昆虫を食することに興味のあるあなたへ。昆虫食を単なる未来のディストピアのアイテムとして考えて欲しくないです。生活や自然、気候や風土、文化、広い視点から昆虫と人間の関係性をもっと考えていく人が増えてほしいです。

蚕についてもっと知りたい方はこちらをどうぞ。


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