「常識を疑え」と勧める人を信用してはいけない理由と正しい思考実験

陰謀論を例にとってみましょう。「情報統制が敷かれ、私たちには正しい情報が入って来ない」「巨大な悪が世界を支配している」などの陰謀論はツッコミどころが満載ですよね。

情報統制が敷かれ私たちには正しい情報が入ってこないなら、「それを言ってるお前も情報統制の一部であり、お前の情報が間違ってる可能性を拭えないだろう」とのツッコミができます。

巨大な悪が世界を支配しているなら、世界を支配するほどの巨大なチカラでお前の言動も支配されているんじゃないのか?とのツッコミができます。

あとは、地球が平らだとか爬虫類人間が世界を支配してるとかは論外ですが、想像力が豊かですよね。

いずれにせよ、相手の発言を、もしもお前の言う通りだったらこうじゃないか?と指摘することは思考実験として面白いです。絶対違うとは思うんだけど一度は相手の発言が正しかった場合を想像してみて矛盾点をつくのですから。

ところでこの考え方は、人を成長させます。ものすごいチャンスが秘められています。馬鹿な陰謀論者をやり込めるため「だけ」に使うのはもったいないものの考え方です。自分が知り得ないこと、知らないこと、知らないものの考え方をする人は世の中にたくさんいて、知識を持たない限りそこにはたどり着けません。しかし、人は知識や経験だけで生きているのではありませんし、知識が正しいとも限りません。知恵を使って物事の道理を考えるチカラが備わっています。

そのチカラを使うと、常識を疑うような事実や、見過ごしてしまいそうな小さな差を見つけた時に新たな発見をすることができます。「違うかもしれないけどもしもそうだったらこうなるはずだ」と考える癖をつけると、物事の仕組みや関係性についての興味が湧いてきます。そこから、誰に言われずとも、誰かから答えを教えてもらわなくとも、自分で直接確かめてこの広大な世界を探求していくことができるのです。

このように、思考実験をすることは頭を柔らかくしてくれ、自分が知り得なかったことへの扉を開いてくれます。

よく常識を疑えとか、先入観を捨てろとか言う人がいますが、これは正確な表現ではありません。ただ闇雲に常識を軽蔑する人は奇行に走ってるだけです。

そうではなくて物事の仕組みや構造を考える癖をつけさえすれば良いのです。そうすれば自然と、興味の赴くままに自分の詳しい分野が増えていくはずです。情報に埋もれて答えを見失ってしまったり、あるいはわかったつもりになっているのは知識や情報だけに頼って答えを求めようとするからです。根本的な物事の仕組みへの興味が薄いのです。

いろんな考え方をしてみると、頭の中の世界が広がります。知識や情報は道具であり、答えではありません。物事の仕組みを考えることは道具を使いこなすことです。





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