根拠はないけど

アンケートで「○○すべき」と答えた人が10人中8人なら、

「実際に○○した」と答える人は10人中1人くらいじゃないだろうか。

例えば、駅で背中が見るに絶えないほど曲がったばあさんが重い荷物をえっちらおっちら抱えて歩いてるとしても、実際に彼女に助けの手を差し伸べない確率のほうが高いと思う。

みんな「常識」みたいなものとして「○○すべき」みたいなことは思ってるけど、実際はその行動の責任が伴うことがわかってるから責任と面倒くささを天秤にかけても後者が勝つのではないだろうか。

「○○すべき」というのは基本的に初等教育の道徳の授業で習う。

               人に優しくすべし、困ってる人がいたら助けるべし、努力するべし、少なくとも聞いてて楽しいものではない。

そういったいわゆる「社会規範」「常識」「倫理」というもの、言い換えれば「心の物差しの尺度」がある程度矯正されるのが道徳の授業である。社会に出るにはこの矯正が必要だと文科省は考えたようだ。

ここで面白い事実が発覚する。「心の物差しの尺度」というのは人によって指紋のように生まれつき違うのである。ある程度型通りにしてもパズルのピースが完璧にはまることはないのだ。

一人暮らしを始めて、ある程度社会のルールを知った。人間は、自分に損害の出ない範囲で人助けをする。損得勘定の上に優しさは成り立っているのだ


オチは無しっ!

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