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ストロボライツ

少し前にTwitterでも紹介したけれど、一つ一つの作品については語っていなかったので、ここではもう少し詳しく好きな漫画について書いてみたいと思う。



ジョジョの奇妙な冒険

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言わずと知れた荒木飛呂彦の代表作で、1987年に第一部の連載をスタートさせて以来、主人公や設定を変えて、現在連載中の第八部に到るまで、実に30年以上もの間に渡って続いている長編大河ドラマ。

何しろ累計巻数が既に120巻を超えている長尺だ。途中から入るにはあまりにもハードルが高いという理由で見送っている人も多いと思う。
個人的なお勧めは第四部と第五部なんだけど、未見の人はやはりセオリー通り第一部から読むのが良いと思う。物語は5巻で終わるし、この第一部の中に既にジョジョの要素が全て詰まっているからだ。

ジョジョを知らない人でも「ジョジョ立ち」であったり、独特な擬音表現、或いは登場人物が発する名台詞をTVや雑誌で見かけた事があるのではなかろうか。確かにそれらもジョジョという作品を知る上で欠かせない重要なポイントだと思う。

しかし、何と言ってもジョジョの一番の魅力は、荒木飛呂彦が描く物語の面白さに尽きるのではないでしょうか。
最近の少年漫画では当たり前のようになってきた「特殊能力を駆使した戦い」、「バトルに於けるインフレ化の廃止」など、ジョジョが礎となり、少年漫画の新たな流れを作ったという見方も出来る。けどそんなものは本当はどうでも良いことで、ジョジョは単純に「分かりやすくて、面白い」からこそ、現在のような人気作になったと言えるのではないでしょうか。

果たして自分を構成する要素の中にジョジョ的な何かがあるのかは不明だけど、少なくとも僕は弱者を虐げるような事はしないし、自分の欲の為に犯罪を犯したり、突然人間である事を止めたりもしない。今までに食べたパンの枚数までは覚えていないけれど、どんなに嫌いな相手であっても、いきなりロードローラーを投げつけたりするような事はしたくない(そもそも無理)。

TO-y

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「うる星やつら」や「タッチ」など、80年代を代表する人気作と共に少年サンデーで連載され、サンデー購買層の裾野を広げるだけでなく、それまで少年誌とは無縁だった「スタイリッシュな感性」を持ち込んだ記念碑的な作品。

所謂バンドブーム以前の音楽業界を描いているが、ショービジネスの裏側を暴く事を主題としておらず、あくまで主人公、藤井冬威と彼の周りにいるキャラクター達の青春群像劇となっている。

この作品が一世を風靡したのは、作者である上條淳士の描く美しく流麗な線と映画的な画面構成、そして、必要最低限なのに足りないところのない台詞など色々な要因があると思うけど、一番の理由は名盤と呼ばれるロックのアルバムがそうであるように、連載終了から30年以上が経過した今でも、単行本を開くだけでオレたちの心を16歳に戻してしまうところだろう。

あの頃、この漫画に熱狂した多くの人たちの心の中には紛れもなく藤井冬威は実存しているアーティストであったし、彼らの奏でる音楽は確実に読者に聴こえていた。
小さなライブハウスから始まり、日比谷野外音楽堂、日本武道館、そして新宿の都有三号地で開催されたライブは劇中のフィクションではなく圧倒的なリアリティを持って僕の記憶に鮮明に残っている。
特に演奏シーンに於ける歌詞や楽器の擬音を排除して、イメージだけを伝える手法は画期的な表現であり、後に大ヒットとなる「NA NA」や「BECK」といった音楽を題材にした漫画にも大きな影響を与えている。

リアルタイムでTO-yにハマっていた人の多くは僕も含めて既にアラフォー世代を超え、家庭を持ち、職場ではそれなりの役職に就いていると思う。
あの頃想像していた「こうなりたい自分」に成長出来たとは、とても言えないかもしれない。

物語の最後、ブラジルへ渡ったニアからの手紙にあった一文「ねえ、とおいうたってる?」という問いかけは、そんな僕たちの心にいつまでも響いている。

スラムダンク

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※この作品に関しては前回の記事でも触れているのでここでは割愛させて頂きます。

プラネテス

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「度胸星」「宇宙兄弟」と、アストロノーツ物に外れ無しというのが僕の持論だけど、この「プラネテス」に関しても同じ事が言える。
衛星軌道上でデブリ(宇宙ゴミ)を拾いながら、いつかは自家用宇宙船を持ち、宇宙を自由に駆け回りたいという夢を持つハチマキ。
自分の夢の為ならば何を犠牲にしても良いと思っていたハチマキが同僚たちと触れ合う事で人間らしさを取り戻していく物語。

こんなに面白いのに全四巻で完結する潔さは称賛に値する。
むしろ全四巻でこれだけの読み応えがある事に感謝したい気持ちでいっぱいだ。

主人公ハチマキの抱えている焦燥感は、形は違えどきっと誰もが経験している事だろう。
自分を取り巻く環境や社会に対してモヤモヤした気持ちがありながらも前へ進んで行かなくちゃならないというのは本当に大変な事だと思える。
今にして思うとアレが「大人になる為の通過儀礼」だったのかもしれないけど、あの頃は自分がイライラしている原因が全く分からなかった。

この作品の中で僕が一番好きな場面は、船外活動をしながら宇宙服を着た状態でハチマキがタナベに結婚を申し込むシーン。
あれは漫画史上に残る最高にロマンティックなプロポーズだと思う。

重力のない宇宙に出ても、人は愛という重力から逃れる事は出来ないんだと教えてくれる名作。 **All You Need Is Love **

ハチミツとクローバー

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コミックスの表紙を見るだけで何か甘酸っぱいものが胸の中にこみ上げてくる。
いや、別に表紙を見なくても例えば葛西臨海公園に行き、観覧車を見上げたりとか、或いは横浜という地名を聞いたりだとか、少し情緒が不安定な時には小池都知事の発する「ミツ!」という単語だけでも切ない気持ちでいっぱいになってしまう。
いい年をしたおっさんが何を言ってるんだと思われるかもしれないが、こればかりは許してほしい。
今でこそいい年をしたおっさんになってしまったオレにだって輝かしい青春時代があったのだ。

僕がこの漫画と出会った頃、僕にはとても大切な女の子がいた。
僕らには幾つかの共通の趣味があり、会った時にはいつも沢山の話をした。
「ハチクロ」も共通の趣味のひとつだった。
僕らは付き合うようになり、他愛もない事で笑ったり、些細な事で喧嘩をしたり、そこからまた仲直りをしたりと、自分で言うのもアレだけど、とても親密な恋人同士だったと思う。

僕たちは住んでいる場所が離れていたので、会える時間には限りがあった。
それは多くても月に2回ぐらい。
もちろん電話やメールはお互いに毎日欠かさなかったのだけど、やがて僕らの関係は自然消滅的に終わってしまった。
まるで1クールのドラマがあらかじめ予定していたクライマックスを迎えるかのように(村上春樹的表現)。

まだ僕たちの関係が続いている頃の事だった。彼女に会いに行く為の新幹線の中で「ハチクロ」の最終巻を読みながら僕はたまらなく泣きそうになっていた。
竹本くんが電車の中で「この片想いには意味があったんだ」と泣きだす場面で、気が付けば僕も同じように涙ぐんでしまった。
隣に座っていた見ず知らずの小学生の男の子は、いい年をした大人が少女漫画を読みながら突然泣き出した事に相当びっくりしたと思う。
僕が彼の立場だったらドン引きしていただろう。
しかし少年よ、いずれお前にも分かる時が来るはずだ。
そして、その時になって初めて僕が流した涙の意味を理解するに違いない。

「ハチクロ」とは、要するにそういう漫画です。




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