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ノイズ


 最新テクノロリーでいろいろなことが分かってきたのだが、計測できるものは分かるが、そうでないものは間接的な計測になるらしい。
 そのものは測れないが、それに影響されたものの動きなどは測れる。そういう動きが、あるかないかだけでも、測れないままよりも一歩進んだことになる。
 しかし、そのもの自体は謎のまま。他に与えている影響で調べるしかない。
 では昔の人はそんなことは知らなかったのかというとそうでもなさそうだ。別に計測器があったわけではなく、ただの想像だ。おそらくそれはこんなものだろうという概念的なこと。その概念もしっかりとしたものではなく、おそらくこうではないかと考えられた程度。
 その古代人の答えと最新科学が捉えた世界とかが似ていたりする。逆に古代の人の方が早く答えを出していたりする。ただ、その筋道はあやしいのだが、差しているものは同じだったりする。
 昔の人が思ったこと、考えたことが今も通用し、それが正解だった場合、今の人も、最新のてテクノロジーなど使わなくても、分かるのではないか。想像できるのではないか。
 すると、普通の人も知っていたりする。特別な調査機材とか、データーとかを使わなくても、先にもう知っていたりする。それが普通の人だった場合、一寸痛快だ。
 ただ、普通の人はそんな論文は書かない。だが、知っているのだ。
 その根拠はない。ただただ、そう思う程度。その思いはどこから来ているのかは謎で、本人にも分からないが、ドンピシャと決まることがある。何かの偶然で駒が揃い、鍵が開くのかもしれない。
「竹田君、それは駄目だ」
「そうですねえ。それじゃ僕たち研究員は何だったのかという話になりますが、医者の不養生とかもありますしね。よく知っている専門家よりも門外漢の方が正解を知っていたりしますし」
「それを言っちゃあ、私たちの意味がなくなる」
「そうですねえ。仕事がなくなりますから」
「まあ、そういう話は多い。一般の普通の人でも知っていることでも、それを論文にすると厄介で説明できない。そこを何とか説明すれば、いい論文になる。誰もまだ語ったことのない論文だ。しかし普通の人は当たり前のように知っている。私も竹田君もね」
「それは知識ではなく、知恵でしょうか」
「そんな分け方などできんところで出てくるものだろうねえ。だから扱いにくい」
「分かりきったことを説明するのが結構難しいように思います」
「分からないことを説明する方が楽だね」
「妙ですねえ」
「真実は何処にあるのでしょうねえ」
「いきなり飛びすぎだ」
「一寸、室長に聞いてみたかったのです。個人的見解で構いませんから」
「ノイズだろう」
「ノイズの中に?」
「さあ、ただの感想なのでね」
「はい」
「竹田君、君はノイズの塊だ。期待しておりますよ」
「ノイズって雑念ですか」
「さあ」
 
   了

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