高年レビュー

 本屋のスタンドで吉岡は雑誌をペラペラ立ち読みしているとき、そのペラが一瞬止まった。佐々木のイラストが載っていたからだ。二人は美術学校の同期生で、石膏デッサンの帰り、よく飲みに行った。その後も比較的長く付き合っていたのだが、お互いの仕事が忙しくなり、家庭もでき、画学生の気楽さからも卒業していた。

 二人とも当然絵では食べていけないので、日曜画家のようなことをしながら勤めに出ていた。

 吉岡は定年後、近場の公園や緑地などでスケッチを楽しむようになる。洋画だったのだが、いつに間にか水彩画になり、今は色鉛筆でスケッチし、それに水を付けた筆で撫でて、水彩画にしている。

 吉岡の絵は生涯一枚だけ売れた。個展はできなかったが、グループ展で一枚だけ売れたのだ。買った人は今の伴侶となっている。

 佐々木も似たようなものだったので、まさか佐々木の絵が雑誌に載っているなど思いもしなかった。それが佐々木の絵だとは最初分からなかったが、気になるので、作者を見たとき、初めて驚いた。絵を見て驚いたのではない。佐々木が画いていたことで驚いたのだ。しかも油絵ではなく、イラストなのだ。佐々木に何があったのかと吉岡はすぐに連絡を取った。

 それによると、佐々木も定年後、また絵を画き出したのだが、今度は簡単なイラストだった。退職金が少ない会社に勤めていたので、交通整理のパートをしながら、コツコツとイラストを画いていた。これは何とか絵を金にしたかったのだろう。

 売れるきっかけは大きなイラストの賞で、佳作に入ったことだ。それを見た代理店の人から仕事が来た。最初は企業の冊子で、次は結構有名な企業の広告用のイラストだった。

 ここから売れ出したのだ。今では一般雑誌でも見かけるようになり、売れっ子になった。

「こんなはずじゃなかった」佐々木が暗い表情でチューハイを飲みながら吉岡に語る。

「よかったじゃないか」

「よくない」

「どうして」

「吉岡君のように、公園でスケッチしている方がいいよ」

「でも一円にもならないよ」

「世間から認められて嬉しいけど、一寸ねえ」

「どうかしたの」

「忙しい」

「結構じゃないか」

「もう若くはないからね、そんなに仕事はできないよ。交通整理でもしながら、のんびりと暮らしたかったんだ」

「でも売れ出してから五年になるよ。もう十分稼いだだろ」

「このあたりで引かないと身体が持たん」

「でも、羨ましい限りだ」

「打ち合わせで出掛けるだけでも一杯一杯なんだ。打ち合わせだけで仕事が終わればどんなに楽か。そのあと画かないといけないからね。しかも結構プレッシャーがかかってねえ。これが精神衛生上も悪い。だから、飲んでばかりだ」

「じゃ、もう儲けたんだから、仕事を減らしたら」

「一度断ると、もう来ない。それに良い暮らしも続けたい。また別のタイプの新車も買いたいしね」

「高齢デビューで、大活躍じゃないか」

「酷だよ。これは」

「それって、謙遜して言ってるのかなあ。本当は嬉しいだろ」

「今度、大きな仕事がまた入ったんだ」

「それは、自慢してもいいと思うよ。長い間注目されないでいたのが、やっと報いられたんだから」

「いや、吉岡君のように色鉛筆を持ってスケッチでもしながらのんびりと暮らす方がいいよ」

「そうかなあ」

「寝る時間も食べる時間も削って画かないといけないんだ」

「羨ましいなあ。そんなこと、一度でもいいからやってみたいよ」

「しかし、僕らが画こうとしていた絵とは違うんだなあ。好きなように画かせてくれないしね」

 佐々木はスマホを見た。

「そろそろ帰らないと、今夜徹夜で、上げないといけないのがあるから」

「いいなあ」

「良くない。これじゃ地獄だよ。若い頃ならいいけど」

 二人は立ち上がった。当然佐々木が勘定を払った。

「さらなる活躍、期待してるよ、佐々木君」

「ああ」

 

   了

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