映画メモ―『リトル・マーメイド』『TAR/ター』『台北暮色』

『リトル・マーメイド』(2023,アメリカ)

 まだふたりが出会っていない序盤、船の上にいたエリックが海に落としてしまった望遠鏡を、海底のアリエルが拾う。人間の道具を収集しているアリエルは、手に取ってすぐにそれが「見る」ための道具であることはわかったようだが、使い方はわかっておらず、逆から――見る対象へ向けなければならない方から覗き込む。望遠鏡の落とし主であるエリックがまだ手にしていないなにかを見ようとしていたから、つまり間接的にアリエルが見られる側だったということを示しているのかもしれないが、もちろん望遠鏡を使うには覗いた先に見る対象がいなければならない。
 見えているもの、見た目という要素はたびたび登場する。エリックは助けてくれた相手の顔が見えていなかった。アリエルは人間の脚という見た目を得て、声という見えないものを失う。こっそり部屋を抜け出してきたふたりは、厳格な母親に見つからないよう隠れて帰る。アースラは人間の女に化けて、王宮の人々を騙す(すでにアリエルと関係が進んでいたエリックは、見た目でも歌声でもなく、なんらかの魔法が掛けられていたために結婚しようとする)。見た目で判断するのはやめなさい、などという使い古された教育的なメッセージ以上に、目の前にあるものを正面からよく見ることが、新しい世界に向かえるはず、ということをやわらかく伝えているようだ。


『TAR/ター』(2022,アメリカ)

 劇場で二回観た。わたしは成長より、成功より、再起する物語に興味があるらしい。しかし、再起だけのお話はあまり見ない。美味しい再起には、成功と破滅が必要だからである。そういう意味で『TAR/ター』の3時間近くある上映時間のうち、2時間くらいは長い助走だと思っている。
 自殺者が出ても、成功者が表舞台から消えても、権威主義の世界はきっとなにひとつ変わらない。リディアが同じ空間にいなくなっても、他の登場人物たちが幸せになれるかはわからない。リディアの愛を一身に受けていたペトラはこれからどうなるのだろう。『TAR/ター』がハッピーエンドかバッドエンドかと問うことは、あまり好ましくない。成功も破滅もひと通り味わって、これから再起していくリディアにとっては、「成功者」のままでいるより幸せに近付いているかもしれない。しかし、再起できるのも本当に大事なものを持っている者だけだ。


『台北暮色』(2017,台湾)

 壮大な事件が起こるわけではなく、人がただそこに在るような作品が好きだ。人物のキャラクター自体がストーリーになっているような。
 登場人物たちはそれぞれ今に足りなさを感じているが、なにかを強く追い求めることはない。隣人とたしかな繋がりを持つこともない。主人公のひとり、シューは既婚者の恋人に冷たくあたりながらも、ペットの鳥をかわいがっていたり、間違い電話を着信拒否していないあたり、本気で孤独になりたいわけではなさそうだ。
 どれだけ休んでいても立ち止まっていても人生は完全に停止することはない。街で暮らしている以上、まったく人と関わらないということもできない。それは困ったことでもあるが、けっこう助かっている。


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