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基幹者トーマス 〜追悼、B・J・トーマス

『雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' on My Head)』を初めて耳にしたというか意識したのは、たぶん少年期を過ごした団地の中心にあった東武ストアだと思う。

 小学校高学年ぐらいだろうか。おそらくは名も無き楽団の演奏だったと思われるがひどく印象に残り、その他の場所でも何度か聴くうちにいつの間にか曲のすべてをそらんじて口ずさめるようになっていた。
 その頃はタイトルさえ知らなかったのが、もしかすると、俺が生まれて初めて自ら発見し好きになった洋楽かもしれない。

 やがて中学生となってからのこと。母親がたまたま購入してきた——これまた名も知られていない楽団ばかりの——イージーリスニングのオムニバス・アルバムに「雨にぬれても」が収録されており、なるほどそういうタイトルだったのか、まさに相応しい感じの曲だなと感慨を深くしたものだ。

 そしてそのちょうど同じ頃。図工の教師だった母が自宅で週に一度「絵の教室」と称する私塾を開いており、そこにアシスタントとして同じ団地の大学生のお兄さんが手伝いに来ていた。
 で、とある日にその教室が終わったあとだったかに俺が「雨にぬれても」を口笛で吹いていたらお兄さんが、
「◯◯ちゃん、雨にぬれてもを知ってるんだ」
 と驚いた様子で話しかけてきた。
 驚いたのはこちらも同じだったのだが、聴けば同曲は実は『明日に向って撃て!』という映画の主題曲で、お兄さんはその映画が大好きだという。

 もちろん俺は初めてその映画の名前を知り、観たいなあと思ったのだが、いみじくもそれから半年経つかたたないかという頃に団地から数駅の名画座で『明日に向って撃て!』が上映されることになり、こづかいをはたいて観に行った。
 たぶん中二から中三になる前の春先。奇しくも雨の日だったと思うが、驚いたのなんの。

 なにせそれまではなんとなくチャップリン的な人物がステッキを振りながら後ろ姿で去っていく場面などでかかるある意味で牧歌的な曲なのかと思っていたのだが、映画の内容そのものがまったく違う。
 もちろんご覧になった方はお分かりのように劇中でも牧歌的な場面でかかるのだけれども、良い意味で裏切られた。

 そして「明日に向って撃て!」はもちろん「雨にぬれても」はますます俺にとって大切なたいせつなものとなり、現在に至る……とまあこうしたわけだ。

 さて本日、この「雨にぬれても」のオリジナル歌手であるところのB・J・トーマスさんの訃報があった。
 同氏の他の曲はそんなに聴いてはいないが、やはり俺の成分のかなりの部分を占めているこの曲に対して止むに止まれず本日記を——飽くることなく何度もリピート再生で聴きながら——認《したた》めている次第。

 ついでながらシングル版の同曲と「明日に向って撃て!」劇中でかかるバージョンは異なるのだが、その場面は俺はあらゆる映画の中でも「男が女に見せる優しさ」の最高峰だと思っている。
 また、サム・ライミ監督版の『スパイダーマン2』の中でも同曲がかかる場面があるのだが、監督と同世代の者として、あそこで使いたかった理由が痛いほど解って泣けた。

 とまれ「雨にぬれても」は人類が獲得した大名曲の一つであることは間違いなく、これからもさまざまな形で演奏され歌い継がれていくであろう。

 B・J・トーマスさんの功績を、心から寿《ことほ》ぎたい。

 ありがとうございました。安らかにお休みください。


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