写真は「日常」と「非日常」を、行ったり来たり。

結構、長く写真を撮ってるんですが、未だ写真の本質がよくわからないです。記録するとか、何かを伝えるツールということはわかるんですが。

撮影者が何を伝えたかったのかを、ほんとに理解できてるのかと聞かれると「ノー!」。もちろん美味しい料理写真の区別くらいはできますけど、最近のインスタの写真など真上から写した俯瞰した写真が人気だったり。

誰かが言ってたんですが、写真の歴史なんて200年くらいで、写真を定義するのは無理!とのこと。そもそも写真には本質的なものっていうのは無いのかもしれません。でも、あと100年くらい経ったら、もしかすると誰かが定義するかもしれないです。

そんなわけで、あれこれ難しいことは考えず、今日も近くの神社で残り少なくなってきた梅の写真を撮ってきました。撮るといっても携帯(ガラケー)なのであしからず。

梅の写真は超難関のひとつなんですが、未だ、「見事だ!」という梅の写真を見たことがないです。

この写真は、少々、工夫して写しています。梅のバックに薄いピンク色のボードを置いて、というか手で持って撮ってます。ガラケーなので「ボケ」もほとんど出ないですが。あと、赤(ピンク)色方向へ画像を加工しています。赤味がちょっと強いです。白色と赤色の梅の花のバックにピンクのボードというのは、暖色系同士。アグレッシブ。これでも創作といえば創作なんでしょうかね。

こちらが、元の場所で普通に写した写真です。

今まで何度も梅の写真にチャレンジしてますが、一番、気に入ってる写真です。ずいぶん前に撮った写真。カメラを始めたころで、カメラはキヤノンの初代Kissデジタル。レンズはキットのおまけレンズ。もっと絞れば良かったのにと思いつつも、このレンズに性能を求めるのは気の毒だ。

日常をありのままに写す写真は、時々、非日常のものを写している気がします。現実なんですが、空想の世界。でも絵でもない。もちろんCGでもない。多くの写真を見れば見るほど、難しく思えます。写真もアートなんでしょうか。

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