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「おいしい」以外の言葉はないのか

人は「おいしい」を感覚で感じるよりも、情報で「おいしい」と言っているんじゃないかと思うことがある。

ネットの世界が広がったことで、どこにいても手に入れることができる。だから選ぶことに技術が必要になっている気がしてる。

選ぶためのキーワードのひとつ「おいしい」という言葉。この言葉の信頼感はわたしの中でほぼない。

ことばをただの情報として受け取るべきであって、それは自分の感情ではないことを知っているから。

「おいしい」は食べた後にわたし(自分)の感覚が発する自分の感情の言葉だということを。


偽りの表現者

先日、ふと目に止まったインスタの投稿でこんなことが書いてあった。

みんなにはこれをオススメする内容の投稿していたけれど、本当はこれ食べた後に胃もたれしたんだ。
○○○だから買ったけど、
やっぱり本当のこと言うことにした。

以前は全面的にオススメする内容で投稿していたけれど書き直した、書き直した理由はこうだ。と、投稿者本人が書いていた。ここでは詳しく書かないけれど、理由の主な原因は販売者との関係が悪化し、「私のような思いをしてほしくないから」という、最もっぽい理由を付け加えていた。

最もっぽい理由だけ見れば、一般的に綺麗な気がするけれど、わたしはこれに嫌悪感を抱いた。

その理由は2つ。

・心にも思ってない感想を書いて、他人におすすめしていたこよ。
・物としての価値と感情を混同してること。

思ったことを変えることは悪いことじゃない。私だって今日言ったことは、今感じたことに変わりはないけれど、明日も同じように感じるとは限らない。むしろそういう事の方が多い性格だと思う。

でも「おいしい」は違う。

心にも思ってない「おいしい」は言わないし、それを他人におすすめはしない。それは「おいしい」という感情は、そう簡単に変わる感覚ではないから。


自分の感情を知識化するとわかること

まず「おいしい」と言う気持ちは感情だ。だから「おいしい」という他者の感情表現で物を買うならその人を信用するしかない。

その人の「おいしい」は自分と嗜好が同じか。
それを信用できるか。

実はそれしか判断材料がない。自分に当てはめず、流行っているからとか新しいからという理由で買うから「なんか違う」となる場合がある。

他に判断する材料は、その食べ物の原材料をみるのも一つの手だ。その時に必要なのは自分の嗜好に関する知識だ。

今まで自分が食べてきたもので「おいしい」と感じたものには、何が使われていたか、「おいしくない」と感じたものは、何が使われていたかを知っていることで、ある程度味の想像ができる。

自分の好みの傾向を知識として知っていれば、外すリスクはとっても低い。

例えるなら、シナモンが嫌いな人がアップルパイを買うときに、入っているかいないかを見るだけでいい。知識として知っていればそれが自分に合うか合わないかを判断できるってわけ。


「おいしい」は付加された情報の結論

それでも人間は、誰かが「おいしい」といえば「おいしいのだろう」と思ってしまうし、その誰かが言った「おいしい」は情報としての残ってしまう。

感覚に関する正解はないけれど、「おいしい」と言う人の前でわざわざ「おいしくない」と言う人の方は少ないだろう。だから声をあげるだけで「おいしいのだろう」という情報が立ってしまうのは、きっとしょうがない事だと思ってる。

だからこそ、私は本当に「おいしい」と思った物にしか「おいしい」という称号を与えたくない。そしてその称号を与えた物にしか対価を払いたくない。

それくらい私は自分が発する「おいしい」には敬意を払ってる。大それた言葉ばっかり使ってるなぁと。自分でも思うけど。

わたし達は何を食べてるのか

「おいしい」という表現はとても使いやすい言葉。それを食べた誰かは間違いなくそう思っているのだから、間違いなく正解だし、そう言っておけば言葉(文章)を安易とは思うけど締めくくることができる。

文章として安定するから「おいしい」は便利で汎用性の高い言葉だ。

個人的に最近気になるのは、「おいしい」という感情表現の前には必ず情報を含んでるという事。

・身体にいいものだから、おいしい
・低カロリーなのに、おいしい
・オーガニックだから、おいしい
・有名店だから、おいしい
・高いから、おいしい

情報を食べるのは悪いことではない。ただ、とってつけたかのように「おいしい」と表現されていることに少し違和感を感じる。

発するならそんな安易な言葉じゃなくて、自分の感情の部分を記して欲しいと思うしそれを知りたい。そして、受け取る側はその「おいしい」を、ただの情報としてみてほしい。

味の表現は実際に体験した後にしかわからない自分感覚だから、それを言葉にすればいい。そう感じていないのなら別の言葉を使えばいい。

アップルパイで例えるなら「シナモンがしっかり感じらられるアップルパイだった。こればシナモン好きにはぴったりだと思う」とかね。

「おいしい」という言葉を使わなくても、使える言葉はとても多い。

それを日本人は知るべきだと思う。感覚として察知する能力の高い日本語は、感覚を伝えるのにぴったりな言語だと言うの伝えたい。

日本語は難しいけれど、それだけに、言葉の後ろにある背景を感じることができるとても素敵なツールだと、わたしは思うんだ。

だから「おいしい」以外の言葉で
「おいしさ」を伝えられる人になりたい。

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