見出し画像

「正しい」の考え方

太陽が空にある時間。
その時間にひとりで外に出たのは、久しぶりの感覚だ。

毎日息子のお迎えで外には出ている。食材を買いに出かけてもいる。銀行や郵便局にも行っている。

それでも、久しぶりと感じるこの感覚は、やっぱりあるのだ。

わたしは記憶に対して正確性をあまり重要視していないので、この感覚を自分にとって正しいと認識している。

それは他の出来事でもそう考える。

誰かの噂話や、誰がどーしたとか、誰と誰が周りを振り回してる。とか。

正直、事実はどうでもいい。

事実としてそんな事があったって、なんでそんな周りに気を使って生きなきゃいけないんだよ。とも思うから、その人が幸せな方向へ向かっての行動なら、それに対して、私はプラスにもマイナスにも、感情は動かない。

それはわたしの人生ではないから。
所詮他人事で、とやかく言うのは、ただのお節介じゃないかな。
そんなお節介、わたしだったら嫌だし、そんな風に言われるんだったら、私はきっとなにかを決めるときに相談はせずに実行するかもな。って思った。誰の目を気にせずにね。


噂話は楽しい。

噂になる程だから、普通のことじゃないんだろう。普段起きている出来事じゃないから「楽しい」と思うのだろうけど、噂は噂で、それで何かを変えてはいけない。

近い人の話ならなおさらね。

自分の目で見た事、感じた事を、自分の中での結論にしたい。それが一般的に正しいことじゃなくても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?