見出し画像

余生の過ごし方

旅に出たいと思った。

インスタを何気に見ていたときに目に入ったGENICの記事。片桐ゆりさんの記事だ。


「旅は若者の特権」と思っていたけれど、歳を重ねてわかったのには、そんなことは全然ない。
歳を重ねるからこそ見出せる楽しみもあるのだ。


そんな文章の後に続くのはトルコの写真。

トルコは私が20代で旅行に行った場所の中で一番印象が強い場所。

お正月の特番でテレビでトルコの特集を一緒に観ていた大学生の妹と、「え。ここ行きたくね?」「行きたい!」「HISにいこう!」ってな感じの、とんとん拍子でトルコ10日間の旅行が決定した。

今思えば、そのスピード感は確かに若者ならではの感覚だと思うけれど、あの時から10数年経った今でも、トルコは突発的に行きたくなる場所だ。

何かしたいのかといえば、特に何もしたくない。

何もしないで、ただそこに行きたいと思うだけ。

旅は癒されるために行く場所でも、楽しむためにいく場所でもなくて、そこに行ったときに、私が何を感じるかがを知りたい。それを知るための手段だ。

自分でも何を思うのかわからない。全てはタイミング次第で、感情が動く人間だからこその楽しみかたなような気がしてる。


私は自分にしか興味ないんだなぁと自覚した。
何を感じるのかを知りたい。
一人でできる一人遊びのようだ。


トルコの街中で、濃い紅茶を飲みながら、街ゆく人を眺める。
毎日同じ場所に座って、今日の言葉を自分が生み出す瞬間を待つ。

英語もトルコ語もヨーロッパの言葉もわからないけど、きっと私がそれを実現する頃には、ちょうどいい翻訳の何かができているだろう。

今準備することは何もない。
今計画することは何もない。

準備しないのは、若いときの熱量を自分に期待してるから。

今はただそれを夢見てるだけだけど、こうやって文字にすることで、私の脳は明確に想像できる景色だ。

多分50から60代くらい。
トルコはちょっとゆっくり時間を感じられる歳にならないと、ちょっとあのよさがわからないかもしれない。

そんな余生を過ごすのが私の夢だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?