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バラエティ番組と視聴者の距離感

なんでも意見を言い合える関係の方は身近にいますでしょうか?
もしくは、物を言い合うなんて滅相もない!という方は身近にいますでしょうか?


昨今では、何かとカスタマーからの意見というものに過敏になっている状況ですが、こと、バラエティ番組も御多分に漏れず批判の的になる事が多いと思います。

ただ、これは今に始まったことではないと思いますし、少なからずそういった番組は昔もしっかり批判を受けていた記憶があります。

では、なぜ今になって極端に取り沙汰される事になったのか。
それは、今と昔で、エンタメの造り手と受け手の距離が縮まったのも一因だと私は思うのです。

私が子供の頃に放送していた番組も、今より輪をかけてヒドい内容だったと思います。(ただ、めっちゃ面白かったけどね。)
しかし、それに対してわざわざ批判する気持ちにもならなかったのは、「手の届かない夢の世界」という気持ちもあったのだと思います。
「批判をしてもどうせ届かない」という思いから、目くじらを立てるPTA様のご意見に「何言ったって変わんねぇのにさぁ〜」と、担任から事務的に発せられる注意喚起に思ったものであります。

ところが、インターネットやSNSの発展により、そういった批判を目にした際に、少しでも自分と同じ意見である事に変な仲間意識が芽生え、徒党を組みやすく、発言もしやすい状況になったのではないでしょうか。

そうなると、ヒステリック赤フレームマダムの金切り声の独り言のイメージから、一般群衆の声にグレードアップした事で、恐らく造り手も簡単にはあしらえなくなったのかな〜というのが私の見解です。

つまりは、天上人であられる首元カーディガンディレクター様が都落ちして、我ら愚民共の目の前に現れた!という状況になる訳で。
そうなると「意見が通るぞ!」という意識から、バンバン不平不満という名のディレクションが始まる訳ですねぇ。
「自分は世間を代表して言っているのだ!」という民衆の首元には薄っすらと、黄緑色のカーディガンが見えてきそうな感じですね。

ただ、この状況は決して悪いという訳でも無く。
言ってしまえば風通しが良くなったとも捉えられます。
ですので、昨今の「弱者を守ろう!」という風潮とマッチして僕はある側面で言うと良い事だなとも思っています。


だけどね、エンタメの世界は話が違うんじゃないかと。
前述の通り、私にとっては、そういった世界はまさに「夢の国」であり、「おとぎ話」なんです。
そこに整合性も求めてなければ、一般常識も求めてません。
(そういや、昔話の内容も今風に改編されているという話もあったな。ヘドが出過ぎて緑色の胆汁が出てます。)
なので、私はあの頃の「手の届かない謎の世界」というものをもう一度観たいなという気持ちでいっぱいなんです。

昔は人を極寒の湖に落としたシーンで笑っていた人が今では、屋内で服を汚されたシーンに文句を言っているのを見ると、なんだかやるせなくなります。
(まぁ、やってる行為そのものよりも、単に面白くないのなら批判も致し方無いですけどね。)

エンタメは偉大なる詐欺でできており、我々はそれを承知で純粋に楽しむ。という事がしづらくなった状況で、私は静観することしかできないのですが、少なくとも思う事としては、「『言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISON』だけど、『なんでもかんでも言うこんな世の中もPOISON』」です。


なんか、批判に対する批判みたいなのが続きましたが、ただの同族嫌悪ですよ。結局。

私も愚民の一人でしかないのです。

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