ラジオ投稿を行っている愚者です。 Twitterもやっておりますが、限られた文字数では表せない事、日々気づいた事等を書いていこうと思っています。 じゃあ文章で表せる技量があるかと言われれば、何とも言えませんが… 良く言えばコラム、悪く言えば便所の落書き程度に捉えていただければと思います。 データソースも何も無く、ただの私的メモとして楽しんでいただければ幸いです。
芸歴15年以上の漫才師が集った賞レース『THE SECOND』 新たに出来た賞レースだけに開催前は賛否両論だったが、蓋を開ければ絶賛の意見が多かったと感じる。 私も凄くいい大会だったなぁと思っています。 ある一点の濁りを除けば。 それは、予選Hブロックにて、今、最も脂が乗った関西の雄『金属バット』と、芸人から絶大な支持を受ける東京漫才界の裏ボス『東京ダイナマイト』が対戦することとなった【事件】だ。 両者ともにコンプライアンス度外視の危険分子として認識されているも、そ
最近、X見てると如実に思う。 良いファンと悪いファンについて。 特にお笑いファンは自分も含めてタチが悪いんだ。 だからこそ反面教師で、律していかなければと背筋を伸ばす。 良いファンはコンテンツを成長させ、悪いファンはコンテンツを閉鎖的で排他的にする。 いいかい学生さん。 ガチ恋ファンは自分だけを見てほしくて、お金を注ぎ込んで、誰も傷付かない平和な世界を望んでいるように見えて、「自分が好きなお笑い」の状態を好意という圧力で維持させ、言う事を聞かないと途端にアンチになる
私は音楽も好きです。 ジャンルは別け隔て無く雑食です。新旧問わず。 ただ、主に洋楽が中心です。 常々、ラジオを聴いていて思う事といえば、音楽に特化したラジオが、かなり下火になっている事。 私個人の意見で言えば、音楽をひたすらに垂れ流す番組がもっとあってもいいのでは無いかと思うのだ。 Twitterを眺めていると、そういった曲を流す事に対してネガティブな発言をする人がいるが、それはあまりにも暴論で、ただ単にその人が好きなラジオが「トーク」のラジオであり、曲を流す行為自体を
ラジオへの投稿を始めて早半年。 投稿をするとラジオ番組への熱量もグッと上がる。 ただし、自分の力量では、まだまだ複数番組への投稿というのは至難の業で、似た系統の番組で名前を呼ばれる常連の職人さんには頭が上がらない。 主に「伊集院光 深夜の馬鹿力」に投稿を始めたのは「投稿数、クオリティの最高峰に裸一貫で挑む」というチャレンジ精神もあったのだが、次第に自分が面白いと思ったネタが読まれなかったりするのが続くと、どんどん番組に対してネガティブなイメージを抱いて自己防衛を図ろうと
私のラジオネームは、落語の「厩火事(うまやかじ)」をもじっている。 厠と厩は意外に遠目で見るとわからんもんで。 たまにTwitterでエゴサなんぞしてみると、落語の演目を綴ったツイートが引っかかり、「書いて間違うならまだしも、打って間違うのは、そりゃ『かわやかじ』と覚えちゃってるんじゃないの?」と思ってしまう。 というくらいだから、まだまだ名前も出されないペーペーという事で、投稿の気合いを入れ直すのだ。 閑話休題。 私は落語が好きなのだけれども、所謂マニアでは無く、
タイトルの通り。 これはネタ書きの時は勿論、日常生活でもだ。 私の世代はPCや携帯が普及し始めた00年代に学生時代を過ごした為、2ちゃんねるの黎明期のような時期なのだろうか。 所謂、「ヲタク」というものが、ある程度認知され始めた時期だが、更に前の世代だと「ヲタク=侮蔑の対象」のような存在、そして、この時期だと「侮蔑される事がアングラのステータス」というような自負というか、斜に構えたスタンスが広がったというような印象を受ける。 なので、私としては未だに「ネット民=アングラ
ラジオのネタ投稿において、「番組で流行っているネタ」が、いつも頭を悩ませる。 例えば、「○○って、○○じゃん」のようなフォーマットがウケた場合、このフォーマットを借りて自分なりのアレンジを加える事が出来る。 僕としては、これをやるのは幾分抵抗がある。 というのも、それがウケたとて所詮「借り物でウケた」と思ってしまうからだ。(人のを聴いてても、そう思ってしまう…面白くないという訳ではなくてね?) 勿論、これを採用する=パクリ等ではないという証明ではあるし、「またこのパターン
元来、出不精の私にとって、何かのライブ等に行くというのは、一大イベントだったりする。 ライブそのもの自体には行きたいのだが、それ以外の部分が気になって気になって仕方が無い。 例えば、すし詰めな会場で横の奴が嫌な奴だったらどうしよう… 何か変なノリでうざ絡みされたらどうしよう… 演者が会場のノリがイマイチだなぁって思ってたらどうしよう… 全然お客が入ってなかったらどうしよう… と、余計な心配事が減点方式のように、行きたい意思を削っていくのだ。 ただ、やっぱりそうは言っても生
ラジオのネタ投稿をするときに、採用ネタ(特にウケが良かった)に対して、どう作ってたろうか?と、振り返ってみると「ノッてる時に書いたネタ」であることが多かった。 ここで言う「ノッてる時」とは、どういう時か。 それは、ノッてる時だ。 いや、一概に「いつ」「なに」と言えないのだが、あえて言うなれば、投稿した番組の放送直後である。 余韻に浸ったり、ネタの採用に一喜一憂したり、ネタの傾向や次回のテーマなんかを考えたり。一番脳がぐちゃぐちゃなタイミング。 そういう時に自然と筆が走
ここまで書いといて「お笑い好きではありません」と言い張れる事は無く、勿論、大好きです。 子供の頃はテレビっ子で、バラエティ番組を観てはゲラゲラしてましたし、恐らく思春期から成人するまでに観たお笑いの幻影をずっと追いかけているくらいには。 幸いにも日本では「お笑いの話」というのは古今東西の共通言語的に、「天気の話」並に万能な会話ツールです。が、たまに「お笑い見ないんですよね」という輩が出てくるが、正気の沙汰とは思えない。 いや、むしろ日常から笑いを排除して正気を保てているので
自分の中で面白いの基準というか、好きなお笑いの方向性を決定付けた本が2冊あります。 まず1冊目が、松本人志さん著の「遺書」です。 言わずもがなダウンタウンの松本さんの初の著書で、エッセイ集となります。 中学生の頃にダウンタウンにハマり、ビデオだったり本だったりを限られたお金の中で色々と集めていましたが、その収集のきっかけになったものでした。 それまでマンガ以外で活字に触れる機会がほぼ無かった自分にとっては、エッセイという形は非常に読みやすく、更には内容も普段気にもかけて
一端のハガキ職人ヅラしてますが、投稿(しかもネタメールで)を行い始めたのは半年程前からで、週に1通読まれれば良いほうのレベルです。 (投稿している番組を絞りすぎてるので自業自得ですが) 1〜2番組に絞って平均30〜50ネタ程度を送るという生活にもだいぶ慣れてきましたが、私のボキャブラリーはジリ貧なので、早くも枯渇状態になりつつあります。(ある意味ボキャブラ天国です) なるべくインプットとアウトプットの比率をイーブンにしたいのに、今ではアウトプットばかりで悶々としております
なんでも意見を言い合える関係の方は身近にいますでしょうか? もしくは、物を言い合うなんて滅相もない!という方は身近にいますでしょうか? 昨今では、何かとカスタマーからの意見というものに過敏になっている状況ですが、こと、バラエティ番組も御多分に漏れず批判の的になる事が多いと思います。 ただ、これは今に始まったことではないと思いますし、少なからずそういった番組は昔もしっかり批判を受けていた記憶があります。 では、なぜ今になって極端に取り沙汰される事になったのか。 それは、今
私はスポーツ観戦が苦手です。 その要因の1つとして、「チームが好き」という感覚がわからないからというのがあります。 厳密言うと、わからないというより「そうでないといけない風潮」が苦手です。 あるスタープレイヤーが好きで、所属しているチームのファンになると、その後、スタープレイヤーが移籍しようとも、「チームのファン」である呪縛から抜け出せない人が多いんではなかろうかと。 抜けた途端に村八分のような烙印、「所詮、○○が好きなだけのミーハー、にわか」という陰口… ゾッとします。