評価〜誰の幸福?〜

人間って誰しも承認欲求をもっていると思います。
自分の行ったことで成果が出たとき
認めてほしいという気持ちが湧き出るのが人間。

ただね

何かを行うときの目標が「自分が褒められたい」という自分向きのベクトルで果たして良いのだろうかと思うのです。その欲求が強ければ強いほど、その行いの結果として幸せになりたいという思いの軸を自分に置いてしまい、周囲が幸せになったことより、自分が幸せになったことへの満足が強くなります。つまり周囲の幸せを置き去りにしてしまうのです。

もちろん人間は、自分の欲求を満たすために日々何かの行いをしています。耳が痒いから耳掻きをする、お金が欲しいから一生懸命働く、などなど

別に自分に軸を置くことを悪とは思いません。ただこの思いが強すぎると、自分しか見えなくなり、「自分さえ認められれば」という独りよがり、自分勝手な思いに至る人間を私は数多く見てきました。

最初は「○○のため」と自分以外の幸福のために始めた行いも、最終的には自分の評価をゴールとする。そうすると、もともとあった「周囲の幸せ」という観点が薄くなり、せっかくの行いの質も低下した事例は数多…

働くということは、結果給与という対価として自分に返ってはきますが、でもそんなことより、周囲の幸せを願って働き続けて欲しいと切に願います。

こんなことを日々周囲の人間に話すのですが、大抵「自己犠牲を払う人なんだね」と言われてしまいます。周囲の幸せのために汗水流すなんて、割に合わないという考えをもつ人間は、割と多いのかなと思います。

でもね、自分の行いが周囲の幸せとなれば、その周囲から感謝されたり、その周囲がますます輝きを増すことを考えれば、それは自分にとっても大きな幸せではないでしょうか?

自分から評価を追い求めて行うより、周囲の幸せを考え行い続ける方が、質の高い幸福が自分に返ってくる、私はそう信じて日々を過ごしています。

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