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ブラフォード “One of a Kind” ~ 唯一無二、音のユートピア (2004.03.12)

1979年、ブラフォードとホールズワースは、他のふたりのミュージシャンとともに、「ブラフォード Bruford」というグループ名義のもと、このアルバムを発表した。


“One of a Kind” Bruford (1979)

ビル・ブラフォード Bill Bruford (Dr., Perc.)
アラン・ホールズワース Allan Holdsworth (EG)
デイヴ・ステュワート Dave Stewart (Kbd.)
ジェフ・バーリン Jeff Berlin (EB)

それは芳醇にして繊細。堅牢にして自由。「ロック」である必要のないその音楽は、複雑な多面体を形成しつつ滑らか、高い密度を保持しつつ軽やか。ステュワートとホールズワースによって入念に幾重にも重ねられたコードとその音色が、豊かな色彩と透明とを織り成し、ブラフォードとバーリンによって繰り出されるリズムが、硬度と弾力とを併せ持つうねりを生む。旋律、和声、ビートの、緊張と弛緩、分散と結実。即興と統制。全ての相反する要素が、絶妙なバランスの中で調和している。


当時のライター/評論家達は、例によってこの作品をカテゴライズしようとした。どうやら「プログレ」と呼ぶべきでは無さそうだ、ということだけは理解していたらしい者達は、自分達には似て聞こえた、他グループ/作品を引き合いに出しつつ、以下のような表現を用いて、この作品を論評した。

「ブリティッシュ・フュージョン」・・・かつてはビル・ブラフォードも参加したことのあるグループ、ブランドX Brand X とひと括りにしつつ、こう呼ぶ者がいた。ブランドXもたしかに、楽曲構成やコード使いは意欲的で、ジャズ・フュージョンの影響を大いに見せてはいたが・・・はっきり言って、旋律・即興・和声・リズムの全ての面において、「ブラフォード」とは技術とアイディアが違います。お話になりません。

「カンタベリー系ジャズ・ロックの延長線上」・・・ホールズワースが元ソフトマシーン Soft Machine であることに加えて、ステュワートが元ハットフィールド&ザ・ノース Hatfield & The North なので、こう捉えようとする者もいた。が、ハットフィールド&ザ・ノースのなかの類似点は、「ステュワート作曲作品のコード使い」だけ。ちゃらちゃらギター弾いてるお前。ジャズを舐めんなよ。

「イギリスのウェザー・リポート、イギリスのリターン・トゥ・フォーエバー」・・・アメリカのジャズ/フュージョン系セッションベーシストであったバーリンのプレイが、ジャコ・パストリアス Jaco Pastorius を思い起こさせたのはわかる。また、リターン・トゥ・フォーエバー Return To Forever の “Romantic Warrior” などは、質感は異なるものの、演奏力、構成力などにおいて、比較に値するものかもしれない。しかしながら、これらアメリカのフュージョングループと「ブラフォード」との間には、大きな違いがある。前者のサウンドメイキングが、あくまでも即興演奏を収容する為の「音の空間」として形成されているのに対し、後者のそれは、即興演奏を必然的にその一部分として持つ「音の建造物」として構築されているのである。

「ブラフォード」名義のアルバムはこの作品以前にも一枚( “Feels Good to Me”, 1977)あり、メンバー4人はそこで既に顔を合わせている。が、同作は良くも悪くも、ビル・ブラフォードのソロアルバムであった。十分な技術をもって意欲的な実験がなされてはいるが、全ての音楽要素が有機的に結実しているとは言い難い。ゲイリー・ピーコックの元嫁によるヴォーカルは、正直失敗である。ミックスバランスも悪い。私の好きなフリューゲルホーン奏者ナンバーワン、ケニー・ホウィーラー Kenny Wheeler の参加も、もったいない。


この作品と似たものは、他にひとつとして無い。カテゴライズすることは不可能であり、無意味である。ロックの地表から解き放たれつつ、ジャズの海に泳ぐわけでもなく、その波打ち際に遊ぶわけでもない。また、芸術音楽の高みに飛び去ることもない。重力と浮遊力とが均衡する或る一点に、屹然と存在するこの作品は、文字どおり、唯一にして無二(“one of a kind”)。それは中空に浮かぶ楼閣。音のユートピアである。

(2004.03.12)


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