Kay'ichiro Nakahara

音楽・映像作家、演出家。1999年までNHKにディレクター/プロデューサーとして在職、…

Kay'ichiro Nakahara

音楽・映像作家、演出家。1999年までNHKにディレクター/プロデューサーとして在職、以後フリー。過去に書き溜めた文(業界裏話もあるかな?ないかな?)を中心に順次公開していきます。

最近の記事

寺島尚彦さん追悼 ~ みんなのうた「さとうきび畑」制作エピソード (2004.03.26)

降り続いた雨が嘘のように晴れ渡った午後、その丸天井とステンドグラスから穏やかな光の差し込む教会に、合唱団の歌声が響いた。それは、おそらくはいつもそこで歌われてきたであろう賛美歌ではなく、私たちのよく知る、この歌だった。  ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は  ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ 「さとうきび畑」の作詞・作曲家である寺島尚彦(てらしま・なおひこ)さんの葬儀と告別式は、麹町の聖イグナチオ教会で、しめやかに執り行われた。参列者の中に音楽業界関係者

    • 久世光彦さん追悼 ~ ドラマと歌とマンドリン (2006.03.03)

      久世光彦(くぜ・てるひこ)さんは、私の尊敬する数少ない日本のドラマ演出家だった。 久世さんを紹介する文には、必ず「『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』など、バラエティの要素をホームドラマに取り入れた斬新な演出手法で一世を風靡し…」といったフレーズが使われるが、私にとって忘れられない久世作品は、'92年の12月に放送された単発ドラマ「みんな夢の中 〜ある偽ハマクラ伝〜」(関西テレビ)である。その2年前に亡くなった作詞・作曲家 浜口庫之助さんへのオマージュであるこの作品は、「偽ハマ

      • ジャック・デリダ追悼 ~ 「タッチラインの向こう側には何も無い」の「脱構築」 (2004.10.12)

        「タッチラインの向こう側には、何も無い」 "Beyond the touchline there is nothing." フランスの哲学者/思想家 ジャック・デリダ Jacques Derrida がこう言った、とされている。アルジェ生まれのデリダは幼少の頃からフットボール(=サッカー)に親しみ、選手になることを夢見ていたそうだ。おとなになってからのデリダは、パリ・サンジェルマンの熱烈なファンであった。そんなデリダの、このことばは、どう読めばよいのだろうか。 “beyo

        • 中秋に敢へて湯桶で味噌醸す (2020.10.01)

          自家製味噌を作り始めてからもう6年になる。これまで陶製の容器やタッパーに仕込んできたが、そろそろ本格的な木桶を使ってみたくなり、合羽橋の専門店 オクダ商店(支店)さんを訪ねた。 「普段何kgぐらい仕込まれますか?」 とご店主に問われ、せいぜい2kg以下であることを伝えると、 「うーん、うちで扱っているいちばん小さいもので、5kg用なんですよ。」 伝統的に、味噌桶や漬物桶には塩分に強い竹の箍が使用されるが、加工上の制約で、ある程度の直径以下には作れない、という。なるほど

        寺島尚彦さん追悼 ~ みんなのうた「さとうきび畑」制作エピソード (2004.03.26)

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (3 完結篇) (2005.06.29)

          ふと気が付くと、我々の周りに、なんだどうしたんだとばかりに警官達が集まり始めていた。私はマイケルにもう少し粘っておいてくれるよう頼み、上司に一報を入れることにした。署内の公衆電話から、現地法人ニューヨーク支社の副社長を呼び出す。 このPSA(*注)は決して広くない。私のいる電話ブースと、マイケルを中心とした人集りとの間を、明らかに麻薬中毒者と思われる白人の男が喚き散らしながら、ふたりの屈強な警官に引き摺られて行く。 やがて上司が電話口に出た。私は事の次第を、まず客観的事実

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (3 完結篇) (2005.06.29)

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (2) (2005.06.23)

          私は10秒考えて、こう言った。「マイケルと僕とで、ドウズを助けに行く。クルマは僕らが使う。メンバーの皆と取材クルーは、ここで待っていてくれ。」 通訳と移動手段を奪われた日本人スタッフは不安だっただろうが、その時私は、1分でも早く、ドウズ・グリーンを見つけ出す必要がある、と考えた。私が心配していたのは、「二次的な不利益」だった。当該グラフィティ行為に違法性が無かったことは、簡単に証明出来る。しかし、もし逮捕・連行・勾留の過程でドウズが警官に対して抵抗し、暴力行為に及んだとした

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (2) (2005.06.23)

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (1) (2005.06.19)

          仮に犯罪性がゼロだと判っていたとしても、自分が好きだったり、良く知っていたり、仕事していたりする誰かが「逮捕」されることは、ショッキングである。ましてや、その「逮捕」の原因の一端が自分にある場合には、なおさらのこと。 1994年5月、私はマンハッタンに居た。ヒップホップのダンスグループ、ゲットーリジナル・プロダクションズ・ダンス・カンパニー GhettOriginal Productions Dance Company (以下、GPDC)の活動をテレビ取材するためだった。現

          A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (1) (2005.06.19)

          カサンドラ・ウィルソン “Blue Light 'til Dawn” (譜例あり) (2004.07.30)

          まず、音楽に集中出来る環境を作って欲しい。可能な範囲で最も高いクォリティの音響機器を使用し、十分な音量レヴェルを確保して欲しい。そして、このCDをプレイヤーにセットし、冒頭から再生する。眼は閉じても閉じなくてもいいが、視覚的情報は断ち、聞こえてくる音に全神経を集中させて欲しい。楽音だけでなく、喉を通過する息、弦の軋み、弓の擦り音、木の響き、それらの全てを、一音たりとも聴き逃さないで欲しい。そうすれば、この音楽の奇跡が、あなたにも見えるはずだ。 ヴォーカリストのアルバムではあ

          カサンドラ・ウィルソン “Blue Light 'til Dawn” (譜例あり) (2004.07.30)

          ロバート・ジョンソン (2) 〜 右手の表現力(譜例あり) (2004.07.17)

          ロバート・ジョンソン Robert Johnson (1911 - 1938) は、素晴らしい。偉大である。さて、どこが素晴らしく、何故、偉大なのだろうか? 「R. ジョンソンは、後世のブルーズ/ロックアーティストに大きな影響を与えたから。」と、よく言われる。実際、エリック・クラプトンやローリング・ストーンズ等は、「影響を与えられた」と語っている。ライター/評論家達の言うように、これらのロック・アーティストに影響を与えたから、凄いのか?本末転倒である。影響を与えたから素晴ら

          ロバート・ジョンソン (2) 〜 右手の表現力(譜例あり) (2004.07.17)

          ロバート・ジョンソン (1) 〜 “Sweet Home Chicago” 歌詞の謎 (2004.07.14)

          夏になると私は、ロバート・ジョンソンが聴きたくなる。しかも、朝に。その高い歌声と枯れたギターの音色が、ミシシッピ・デルタを吹き渡る風すら思い起こさせ、窓を開けると乾いた土の道に陽炎がゆらゆらと立ち昇っていそうな、そんな空想を味わわせてくれるからだ。 その生も死も、謎に満ちた伝説的ブルーズマンの R. ジョンソンなわけだが、歌詞の中にもいくつかの謎がある。数多くのミュージシャンにカヴァーされている名曲のひとつ、“Sweet Home Chicago” の歌詞の一節に疑問を持っ

          ロバート・ジョンソン (1) 〜 “Sweet Home Chicago” 歌詞の謎 (2004.07.14)

          ブラフォード “One of a Kind” ~ 唯一無二、音のユートピア (2004.03.12)

          1979年、ブラフォードとホールズワースは、他のふたりのミュージシャンとともに、「ブラフォード Bruford」というグループ名義のもと、このアルバムを発表した。 それは芳醇にして繊細。堅牢にして自由。「ロック」である必要のないその音楽は、複雑な多面体を形成しつつ滑らか、高い密度を保持しつつ軽やか。ステュワートとホールズワースによって入念に幾重にも重ねられたコードとその音色が、豊かな色彩と透明とを織り成し、ブラフォードとバーリンによって繰り出されるリズムが、硬度と弾力とを併

          ブラフォード “One of a Kind” ~ 唯一無二、音のユートピア (2004.03.12)

          「プログレッシヴ・ロック」の真実 (2004.03.10)

          ブラフォードとホールズワースがその後どうなったか、を書こうと思ったがその前に、プログレとは何だったのかについて述べておこう。 全ての音楽ジャンル名がそうであるように、「プログレッシヴ・ロック」もどこかの非音楽家によって名付けられたものであり、明確な定義は存在しないし、全ての音楽ジャンルがそうであるように、プログレと非プログレの境目はあいまいである。しかしながら、お決まりの「聴く人がプログレだと思えばいいんじゃーん?べつに。」という、受け手オリエンテッドな恣意化・個別化は、本

          「プログレッシヴ・ロック」の真実 (2004.03.10)

          U.K. “U.K.” ~ ホールズワースとブラフォードが来なかった大阪厚生年金会館 (2004.02.13)

          去年の12月に、クリムゾンの “Red” を紹介したけど、このアルバムの後ライヴ盤を1作出して、キング・クリムゾンは解散しちゃった。で、しばらくして、ビル・ブラフォードとジョン・ウェットンが新しく結成したのが、どーん!。このバンド、「U.K.」です。 いやー、このファーストアルバムは、聴きましたねー。本当にもう、繰り返し繰り返し。文字通りレコードが擦り切れる程に。およそ「ロック」の範疇に入るアルバムの中で、一番聴いたんじゃないかな。長いインスト部分やインプロヴィゼイションを

          U.K. “U.K.” ~ ホールズワースとブラフォードが来なかった大阪厚生年金会館 (2004.02.13)

          祖父 中原義一郎を偲ぶ (2012.08.07)

          今日は父方の祖父の命日です。 軍艦の艦長は、艦が沈むとき、敢えて艦と運命を共にするものらしいです。 祖母が生きていた頃。まだ僕が子供だった或る年のこの日、知らない人が家にやって来て、祖母を前に玄関で土下座し、号泣しながらこう言っていました。「自分は、艦長を艦橋の椅子に括り付けました」と。 僕のおじいちゃんなのに、海に沈んだ時は今の僕より5歳も若かった。それが戦争というものなのですね。 「退役したら、洋酒のバーを経営したい」と書かれた手記が残っています。当時「洋酒のバー

          祖父 中原義一郎を偲ぶ (2012.08.07)

          キング・クリムゾン “Red” (2003.12.15)

          1970年代に私をインストゥルメンタル・ミュージックに導いたアルバムは、当然のことながらジェフ・ベックの作品だけではなかった。 1曲目、タイトル曲冒頭の B - D - F - A♭ - C - E というディミニッシュ〜オーグメント進行、主題部のオルタードサウンド(リフの構成音がEパワーコードに対して♯11、♭13の関係を為している)、そして中間部の B7sus4 - B7sus4/D(*) - D7sus4 - D7sus4/C (*ロック的に書くとこうだが構成音は D

          キング・クリムゾン “Red” (2003.12.15)

          「プロなんだから…」の錯誤 (2003.12.02)

          「プロなんだから、お客を満足させなければダメ。」 プロスポーツ選手やプロミュージシャンに対して、このような声が発せられることがある。プロスポーツ選手やプロミュージシャン自身が、このような声を発することもある。私はそうは考えない。少なくとも、それが本質だとは考えない。 プロスポーツ選手は、お金をくれる人の為にスポーツする人、ではない。プロミュージシャンは、お金をくれる人の為に演奏する人、ではない。彼等は、「彼等のプレイを観る/聴く為ならお金を払ってもよい、と多くの人々が思う

          「プロなんだから…」の錯誤 (2003.12.02)