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はじめてのオンラインカウンセリング

 家入さん+cotreeのカウンセリング、ありがたく受けました。ひとり親、失業予定、先の見えない自分の就職活動、先の見えない子どもたちの休校。カウンセリング、しかもオンラインのカウンセリングがどれだけ効果があるのかもわかりませんが、私が今、抱えるものの大きさに、押しつぶされてしまいそうです。子どもたちの前で平常を装い、友達に話しても、でも友達だって大変...友達にもさりげなく距離をとられてるな、と感じたりもします。

 実はオンラインの方が便利だと思ったこと。うちの場合は、もう大きくなっているし部屋も小さいので、深夜でも子どもに聞かれずカウンセリングを受けることができません。オンラインなら、当日、お小遣いをあげて「買い物にいってきて」と頼んで、ひとり時間を確保できるのです。そういうことで、子どもたちがでかけてくれそうな日や時間帯を選んでセット(天気予報で天気も見て)。時間のスロットのUIも選びやすいし、結構直前まで変更できる仕様なのが助かります。

 カウンセラーの方は海外在住の優しい雰囲気の女性でした。今の状況を説明、ようはまったくもって行き詰まってます、と。天気の良い日は朝子どもと散歩したり、薬を飲んだり、夜は晩酌し、無理をしすぎないようダラダラ過ごしてみたり、でも何らかの進捗を自分に課して転職活動してみたり。考えられる中で気晴らしだって、現状の打開策だって一生懸命やっている。でも、この生活も1ヶ月以上、なんにも先が見えないのです。長引く休校、永遠な気がします...最初は3月までの心房が突如GW明けになり、そして最近はさらに長期化するとか言われて。求職だって最初に見つかった仕事の数からすごい勢いで減ってます...そして減り続けていきます。

 そんな話をしました。カウンセラーの先生は、ホント親身に聞いてくれました。他人事としてではなく、自分のこととして、受け止めている様子がよくわかりました。カウンセラーって他人の苦しみを自分のこととして受け止める苦しい仕事だと思います。

 セッションはほとんどがそのような感じだったのですが、最後にカウンセラーの先生から一つ質問と提案をされました。「あなたは、ちょっと一歩離れたところにいると仮定して今の自分を見たらどう見えますか?とそして「そんな自分にかけてあげる言葉はなにかありますか?」と

 思いうかべるのには時間がかかりました。イメージとして浮かんだのは「沼にはまってジタバタともがいている」「もがかないと沈んでしまう沼」でも「もがくことで体力を消耗している」自分でした。

 自分にかけてあげる言葉ね....難しい。疲れている自分に「休んでいいよ」って言ったって沼でもがかないと沈んでしまうからもがいているわけで、もがくのをやめることは状況を良くしない。転職活動はやってもやっても不採用通知だけど、苦行をやめたら決して採用は来ないわけで。

 どこかにいってしまいたい、消えてしまいたい、一歩も動きたくない何もしたくないと思っても、でも動かないといけない。子どもたちを朝起こしてご飯を食べさせて、また昼にごはんで、夜もなにか食べさせて、もちろん冷凍食品や買い置きのもので適当にすませてもらうことも多いが、こういうのだってまったく放棄してしまったら子どもたちの状態が悪くなる。いくらメンタルが辛くて、ずっと寝ていたくても、ひとり親は病気になることも入院することもできないのだ。15年間ひとり親やってて、最低限のことは常にやってて、そしてこれからもやる必要があって。

 だから、沼にはまってつらそうな自分、かわいそうだけど、どうしてあげることもできない、掛ける言葉がない。そう言いました。

 セッションはそれでおわりました。助けてあげたいけど、かける言葉がない、解決ではぜんぜんない。そういうことであると。カウンセラーの先生が苦しみに共感をいただいたことは励みになった、でもカウンセリングで解決できることではないこの状況。

 セッションから2日たって、「家入さんがカウンセリングを寄付として出してくださったという好意に対し、ユーザーとしてお返しできることは体験談だ」ってモチベーションでこの文章を、当日の心の動きを思い出して書いた。

 そして気づきがありました。私が相談して「冷たいな」と思った友人たちも、きっとかける言葉がないんだなって。だれも今の私を助けてあげたくても、ホントにかける言葉がない。カウンセリングを受けた効果はじわじわと出てくるものなのかもしれない。事態はなんも変わらないけど、変わらないことをよりよく受け入れるために。


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