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後悔しても戻れないけど、そしてもし、戻れても同じことをしてしまうだろうが

 なぜあの時あれほど簡単にYesといってしまったのか、なぜあの時忠告を聞けなかったのだろうか、色々と後悔ばかりがめぐる日々である。

 後悔しても何も変わらない、メンタルによくない、悲しんでいる姿をみた子どもが不安になる。そしてそれなりに長い人生でいろんな失敗をしてきて、それでも似たようなタイプの失敗を繰り返している。そもそも直せないなら後悔しても効果がない、それなのに、なぜ私は後悔するという機能を持っているんだろうか。

 恐れや不安を持つというのは、生存に必要だからという説がある。不安がないタイプの人類は、迫る危機に気づかず淘汰されてしまった、だから不安というのは大事な機能だと。

 でも、後悔ってどうなんだろう。まったく前向きじゃないこの時間、そして、後悔を反省に変えられ、反省して次に同じようなことが起きた時に改められればそれはそれでよいのだが、いつも後悔し、そして同じ後悔を繰り返す、愚かさよ。

 愚かな自分と向き合う一ヶ月だった。こどもたち、この愚かな私しか頼るものがいないふたりの子。切ない。

 空が青く晴れている今朝、ひとつだやってみたこと。それは朝ちゃんと7時に起き、朝ごはんを食べさせ、そして8時から9時の間、3人で散歩にでかけること。息子は作家ボールを蹴りながら、娘は私の運動不足を気遣って手をひっぱって少しでも走らせようとする。普段めったに子どもたちと遊んであげられてなかった私との外出、友達ともだれとも会えない現在、それでも2人は外に母と出た一時間の間、終始散歩を楽しんでいた。だから約束した、「これから一ヶ月、晴れた日は3人で散歩に行こうね」と。

 家事は好きではなく得意ではなく、いわゆる「母親らしいこと」とは無縁の私だ。こういう非常事態に #おうちぐらしを楽しもう  的なことができる器用さも余裕もないが、幸いリストラ予定だから在宅勤務とはいえ、別にちゃんとやる必要はもうない。暇はある。だから毎日1時間を子どもと私の健康のために使おう

 広場についてサッカーボールを蹴る二人、青空と桜の花。やはり後悔がなんどか思い出される。そして涙が出るのを隠す。

今日は緊急事態宣言1日目、日常の不自由はこれからまだ少なくとも1ヶ月は継続する。私は散歩を続けることができるのか。それはわからない。

 

 



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