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我慢と足るを知る

3歳の頃からの記憶がある。

幼い時からアレもコレも買って貰えなかった。
我慢したのはリカちゃん人形。
我慢すると褒められて感謝された。
駄々を捏ねるなんて余裕すらなかった。

父は毎月「幼稚園」とか、年齢が上がれば「小学1年生」とかいう
雑誌を買ってくれた。
世界こども図鑑とかいうのも毎月1冊ずつ増えていった。
図鑑を眺めるのも大好きだった。
兄の影響で幼稚園に上がる前にはひらがなとカタカナは読めていた。
おもちゃはほとんど買ってもらった覚えがないけれど積み木やブロックはあったし、幼稚園に上がればひたすら自分で絵をかいて塗り絵を作った。
絵が上手だと褒められた。
段ボール箱で車をつくったり、家をつくったり
工夫して遊んでいたので別に不便は感じなかったが
友達が持っている華やかなものは何一つもってなかった。

自分が欲しいと思うものを持っている友達がうらやましかった。
リカちゃん人形をたくさん持っていた近所の子は女帝のようで
毎日誰かを遊びの輪から外して意地悪をした。
みんな彼女の持ってる人形にあこがれて一緒に遊びたいので彼女の言いなりになった。次は自分の番かと、ひやひやしたものだ。

もうあんたには触らせてあげない!
とリカちゃん人形を盾に意地悪三昧だったからだ。

私はよく、いじわるされる対象になっていた。
でも意地悪されていると上級生の優しいお姉さんやお兄さんたちが
みんなで遊んでくれたので、状況としては決して悪くはなかった。

洋服は買いに行った覚えすらない。
従姉妹のお古を着ていたし、よそ行きの服は妹とお揃いの、洋裁師の母の手作りだった。
質の良い、ワンピース、パンタロン、スカートで、靴もお揃いの良い物だったけれど、他所へ行く時にしか身につける事は許されず、いつも学校の制服と体操服で日々を過ごしていた。

ピアノも4歳から6歳まで習ったけれどピアノの先生がお嫁に行ってお終いとされた。自分の足で通える範囲に先生がいたから、たまたま行かせて貰えただけで、当時は家にピアノもなく、オルガンで練習したのだった。

小学生になった時、バレリーナに憧れてバレエを習いたいと母に言ったら一笑に付されて終わった。

算盤と習字は自分で自転車で行けるからというのとみんなやってるからと行かせてくれたし4年生からはスポーツ少年団に入って剣道もやった。
学習塾なんていうものもない田舎だった。
初めからないものは、自分の周りに存在しないものとしてあきらめもつくが、ほかの人が持っているのに自分は持っていないというとき、「無い」にフォーカスしてしまうのは、こんな時から身についたのだろう。

欲しいけど我慢しなくちゃという思いは小さな時から親に叩き込まれた。そして、それは今でもそんな状況になる事はある。


欲しい物が全て手に入るわけじゃないと、潜在的に思い込んでた。

全て入って何が悪いのか?
全て手に入って良いんじゃないのか?

そして、欲しいものを手に入れて良いんだよと許可してみた。


フルタイムで働いていた時はお給料は手取りで月40万円くらいだった。決して多くはないけど(オーストラリアでは平均以下)家も持ち家だし、もうお金はいいわ。
時間が欲しい。時間持ちになりたいと願ったら、今まさに専業主婦で時間持ちの状態だ。

そして今、社会とのつながりの為にも社会の中にいる為にも仕事したいと
チラッと思ったりする。またあの、欲しい物が全て手に入るわけじゃない状況が現れただけだけど。

全てを手に入れても良いと許可はできてる。
全てを手に入れるというのは自分さえ現実を受容していれば、
手に入れているのも同じではないかと思う。

どれだけお金があっても、
良い仕事があっても
健康的な美人であっても、
もっともっとと求め続けると、
終わりのないラットレースをしているようなもの。

母はお金を貯める事に生き甲斐を感じていたし、節約大好きだった。
そしていざとなるとドカン!と大枚を叩くタイプ。
車をキャッシでポンと買う、みたいな。
父はお金を使って満足を買うのが好きだった。
宵越の金は持たないタイプ。

私のお金の使い方は父にそっくりだと若い頃から母は嘆いていた。
近年は夫が嘆いていた。

働く事を辞めてから服もほとんど買わないし、色々と購買意欲は減った。
食い道楽はあったけど、今じゃそれもない。別にワインを飲まずとも日々過ごせるし、食欲もおさまってきた。(痩せてはいないけど)

足るを知ったら、我慢がない
それが全てを手に入れたという事なんだと気がつけた。


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