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少なくとも少し尊敬

何年か前、ヒプノを勉強したという人(明らかにお金だけ払ってやり方だけ習った人)の実験台で受けたことがあったけど。まあ、常識がちょっと欠落した人なので他人への共感もできない人で、そのセラピーは全く無駄だった。けど、面白半分で受けた無料経験セッションだったので、まあ費やしたのは時間だけで、経験をできたことになる。
日本では前世療法っぽく、なんか怪しいセラピーになっているけど
ちなみにオーストラリアでちゃんとしたヒプノシスを勉強した人に受けたときはパニックアタックが数年収まった。

例えば、カウンセリングに行って子育てで煮詰まっている時に、若く結婚もした事ない人に相談したくないし、恋愛音痴に恋愛の相談もしない。カウンセラーも、のほほんと大人になったような人は、のほほんと大人になったけど、世間に交われなくてなんか苦しい人くらいしか、カウンセリングなんてできないのではないかとさえ思う。

外国に行ったこともない人に国際結婚のことを相談してもそもそも奥にある問題が見えないだろうし、日本の背景がわからないオージーに親との確執を相談しても親の立ち位置が文化的に違うのだから、分かりっこないでしょ。と思う。まあ、悪態をつけばこんな感じに文句は言える。中には素晴らしい想像力を駆使して共感できる人もあるだろうし、問診表をみただけでその国の歴史や文化を学ぶカウンセラーだっているだろう。

多分、自分が相談を持ちかける人は、自分がその分野についてこの人ならわかってくれるかも。という共感力を持ち、ちょっと尊敬できる人。

ヒントが欲しい時と問題を解決したい時、ただ単に共感してほしい時、と時と場合に応じて相談する人は変えたほうがいい。

ただ聞いてもらえばすっきりするというのなら、ノートに書くとだいぶすっきりする。私自身、このnoteをそのように使うときもある。
文字にすることで自分の気持ちや思考を整えたり、昔の心情を読みかえすこともできる。そして今はもう、この時点にいないと確認できるし、いつまでも変わらない思考回路を改めて発見することもある。

誰かに読んでもらう事が前提の時、なんか大変であろう人や苦しいであろう人を励ましたい時に書くときと、自分の記録のために書くときといろいろあるけど、いつもすぐ忘れてしまうので書き留めておくことで安心しているのかもしれない。


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