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宝くじに当たったら

宝くじに当たったら、欲しいものが買える。

でも、本当は当たらなくても買える。そこにお金を使う余裕がないだけでお金がないわけではない。

例えば、会社を辞めたいとか、時間が欲しいと思うけれど、それは宝くじに当たらなくてもできること。

時間があったら何をしたいのか。時間があったら、畑をしたり、もっと手作りものを楽しんだり、彫刻をしたり、詩作をしたり、旅に出たり、陶芸をしたり、テニスやゴルフをしたりフラメンコや合気道も習いたい。

でもこれ、何も宝くじに当たらなくてもできること。

そうだな、気に入った着物をすっと買ったり、気に入った伊万里、有田、小鹿田焼、備前、萩、信楽、織部、美濃、瀬戸など焼き物の里を訪れては好きな陶芸品を買う。ガラス、漆器。。美しいものが好きだから。そういうものをいつでも手に取れるように持っていたい。茶道具、花器、欲しいものはわんさかある。

で、本当に必要かと問うと、別になくても全然やっていける。ブランドバッグとおんなじでそんなのなくても全然、生きていけるのだ。

宝くじに当たったら、買ってもいいかもな。。程度。

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コロナが来て、世界一長いロックダウンを強いられたメルボルンで、必要不可欠なエッセンシャルなものと、不要不急のものという考え方に突然、従わなくてはならなくなった。

芝居もないし、生演奏も聴けない。映画館はないけど、映画は観れるし、音楽も聴けるけど。

美術館も閉まって生の絵を観に行くことはできない。バーチャル、ネット、写真では観れるけど。

シェフの作る得別な料理が食べられない。そのレストランでのAtmosphereを得ることはできない。自分の手料理だって美味しいけど。
お金があったってできないことはあると諭された期間だった。

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もちろんお金があったほうが好機をとらえることができると思う。
大金があれば大きなことを動かせたりする。個人事業主よりも大手企業で大きなプロジェクトにかかわるほうが大きな事業を成し遂げられる。
個人の家の塀を作るのと町に橋を架けるような違いがある。

始まりは個人経営で事業を大きくしてきた社会貢献度を思えば先人の成し遂げてきた人達の寄与は大きい。小資本から始めた人もリスクをとって借り入れて始めた人も、宝くじに当たっていたら始めない事業だったかもしれない。事業を大きくしていく醍醐味は宝くじでは味わえない。

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10万円ほど宝くじに当たったとき、最初は「お。やった!!」と思った。
そして、二日もたてばあともう一つ番号があっていたら数百万だったのにと思うと、悔しくなってきた。

あぶく銭ってこういう感じ。
幸せではなくて一時の興奮を買うのだ。そう、ギャンブルの最も自意識がないやつ。

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本当に手に入れたいものは、それが手に入ったときの感情。
安心感だったり、満足感だったり、幸福感だったり、達成感だったり。
人によって違うけど。


アドレナリンが出まくる興奮も欲しいけれど
人が絶対安全な危険が好きなのはなぜか?
でも絶対というのはありそうでない気がする。

経済的、時間的自由が欲しいのはなぜなのか?
疲れてるから休みたいだけなのか?

大枚をはたいて人に施したいのはなぜなのか?
貢献したいのか見せびらかしたいのか?
すごいと言ってほしいのか?

持ちたくない感情を知るのもいい。
無意識にそれを避けていることもある。
恐怖とか、怒りとか、悲しみとか。
無意識に避けて行動を止めていたりする。
実は今の生活から逃げたいだけだったり。

宝くじにあたったらを考え詰めていくと、
本当にやりたいことが見えてくる。
そして、本当にやりことがあれば
宝くじなんて必要ない。きっと。




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