かやのかつみ

三流作家。講演家。バックパッカー。「小さな会社の稼ぐ技術」「小さな会社☆儲けのルール」…

かやのかつみ

三流作家。講演家。バックパッカー。「小さな会社の稼ぐ技術」「小さな会社☆儲けのルール」計9冊26万部(海外翻訳版・Kindle含む)。起業事例勉強会を1000回開催。講演1600回。世界一周70ヶ国。2016年熟年離婚+婚活が趣味にw。36歳差のカンボジア美女と2年交際フラれるw

最近の記事

アジアの恋①

「アジアの恋」 ①出逢いは婚活アプリ ■2018年10月、私はカンボジアへ飛んだ。アンコールワットの町シェムリアップ在住の日本人49才バツイチ女性との婚活で。 私は2015年に離婚。2-3人と交際したが合わず。 2018年春、バカにしてた婚活恋活アプリや見合いパーティ試すと悪くない。いいね!や意中の人投票マッチング!恋愛ごっこみたいだが、青春時代の恋が甦った。いいね!程度だが、告白するされるのはイイ。 50代後半でアプリや婚活パーティーとか恥ずかしい。ところがいざ

    • 第二十七章 2冊目の出版!?

      ■奇跡!2冊目の本が決定      ※前回・出版社からゴーストの依頼が  リメイク?つまり竹田陽一先生のゴーストライターとして、新「独立を考えたら読む本」を書かないかということです。ランチェスター戦略は難しいが、竹田ランチェスターの入門編というか、経営未経験、独立起業を目指す人向けなら、素人のオレにも書けるかもしれない。 竹田先生とは当時で約10年のつき合いだし、セミナーも20回くらい主催。先生の経営戦略教材もたくさんもっているし、事例は勉強会「ベンチャー大学」他で数多く

      • 第二十六章 ゴーストライター

        というわけで東京の出版社約45社は全敗。中身は福岡ローカル社長24人の「私の履歴書」だしね。中央の出版社じゃ無理よ。売れんわ。オレも社長もほぼ無名だしね。 今回の本は様々な起業家が辿った人生の軌跡をまとめたものですが、私自身が一番知りたかったのは、起業家の人が今の仕事、天職にいつどういう経緯で出逢ったか。人は一体、どうやって天職に巡り会うのかと。それは43歳にもなって天職がわからない自分にとって大命題でした。  そこでインターネットで「天職」というキーワードで本がないか検

        • 第二十五章 売り込み

          こうして事務所に閉じこもり、3月の中旬までになんとか24名の人生逆転物語(+約50人の短い実例)をまとめました。本にするには充分な量です。実は24人中、10名前後の物語はすでに書いていました。 過去3年、年末に来年の夢や目標を書き殴ると毎回「本の出版」が。「そんなの無理」と思いながらも「やっぱり書くぞ!」。でも3ヶ月程度で挫折。それが10人分溜まってました。三日坊主、三ヶ月坊主、三年坊主と挫折しても、また再開継続すれば「チリも積もれば山となる」ですね。  しかし、全体の構

        アジアの恋①

          第二十四章 出版にチャレンジ

          こうして、42歳の2月からウツになり、内観、トイレ掃除、早起き、新興宗教、ありがとう、プラス発想、心療内科、抗うつ剤、成功哲学、まな板の会、超能力者、セミナー、勉強会、本、ビデオ、新聞配達、ハンコのFC加盟と、思いつくことはいろいろやりましたが、これだ!というものがない。かつ、やる気は相変わらず出ない。お金も相変わらず減るばかりで、残金は200万円を切るように。 ウツになって丸2年になろうとする43歳の12月、年末になり、新年を控え、竹田ランチェスター経営の勉強会、上射場S

          第二十四章 出版にチャレンジ

          第二十三章 40過ぎて新聞配達

           何をやっても駄目な私。この頃は本当に本当に落ち込んでいました。でも、何とか自分を変えたいと、知ったことで金をかけずにできることは何でもやろうと、早起き、掃除、内観、瞑想、ヨガ、ありがとう1万回、プラス発想、できるできる!私はできる!と唱えること、マントラ、夢や目標を書き出して眺める・・・・。  しかし、なかなか劇的な変化は現れません。そんな時、仕事で出逢った社長が新聞配達をやっていたと3人続けて聞きました。新聞配達は以前から一度やってみたかった仕事。朝早く起き、休むことは

          第二十三章 40過ぎて新聞配達

          第二十二章 追い込まれてFC加盟

          ハンコのFCに加入する  そんなこんなで天職探しをしていた43歳、日経Uターンという雑誌に載っていた顔写真ハンコの会社の記事を読みました。シャチハタみたいに、押すと自分の顔写真がスタンプ形式に残るハンコ。商品名はデジハンでした。実はこれに似たフォトポンという顔写真ハンコを以前愛用していたので、その良さはすぐにわかりました。  記事を見るとFCも募集しています。2カ月ほど悩んだのですが、当時のFC加盟店に電話して聞いてみると、うまく行っているところはほとんどない。でもそれは

          第二十二章 追い込まれてFC加盟

          第二十一章 講演は大失敗

          当時、通信販売系のダイレクトマーケティング理論が一部で注目を浴び、その理論と自分の広告事例を組み合わせ、小さな会社で小さな広告でも、広告文章次第で効果は何倍も上げられることを、聖心美容外科やFCC英会話やホームテックの広告事例を上げて説明した。  初めての講演にしては、自分でもまあまあの出来だと思った。予想以上にエネルギッシュに話している自分というか、自分で自分の話に酔っている、良い意味で調子に乗っている、原稿もなしで話す言葉が次々に出てきた自分に驚いた。  しかし、講演

          第二十一章 講演は大失敗

          第二十章 またもウツに

           こうして39歳前半は絶好調、後半から40歳前半は不調、後半から41歳後半まで絶好調・・・・といった好不調の波を繰り返した後、 2度目となる本の出版にトライしていたある日の夜、またもウツに襲われた。  今まで何回もウツになったが、今回のウツはそれまでと違った。予兆というか、ウツに入る瞬間が自分でわかった。最初、頭の隅に何か光のようなものが差した。そして、不覚にもウツだと確信してしまった。自分で自分をウツだと洗脳したかのようだった。  原因はよくわからない。が、直前に五木

          第二十章 またもウツに

          第十九条 「大学」をつくる

          「大学」を設立  こうして勢いを取り戻してきた40才の11月、居酒屋のてっしい村・溝上社長がある独立希望者を連れてきた。三和銀行の営業マンを経てリフォーム会社の社長室長をやっているが、今度会社を設立することになった。名刺や会社案内やチラシなど、営業ツール一式を作って欲しいと。うれしい話だが、海のものとも山のものわからない会社で、回収が出きるかどうかのリスクがある。  事務所で2時間話を聞き、その後、天麩羅やで2時間、人となり、計画を聞いて決めた。ぜひ、その仕事を受けさせて

          第十九条 「大学」をつくる

          第十八章 土下座営業で復活

          「まな板の会」で自分をさらけ出す  こうして自分の天職探しをしていたが、お金はじりじりと無くなっていく。鬱状態は相変わらず続いていた。追い込まれる感覚。何とか打開するチャンスはないかと、様々な会合にも参加した。その一つは福岡県中小企業家同友会という、中小企業経営者の勉強団体がやっていた「まな板の会」。これは毎回、課題や問題を抱えた経営者が前に立ち、現状を素直に吐露、発表する。それに対して、参加した聞き手の経営者が自由に意見を言うというもの。ルールが一つある。それは、発表者の

          第十八章 土下座営業で復活

          第十七章 青い鳥を探しに

          青い鳥を求めて  こうして、毎月の借金返済の資金繰りからは解放された。だが、仕事ぶりは一向に回復の兆しは見えなかった。借金はなくなったが、俺は今後何をしていけばいいのか?今の広告代理業を続けていくのか?求人広告や販促の広告を受注して文面コピーを考える・・・はどうも違う。しかし、他に何が出来るのか、自分の天職は何か?青い鳥はどこだ?  私は新興宗教や勉強会の門を叩いた。幸福の科学、阿含宗、生長の家、天理教、金光教、善隣教、その他新進の教祖が開いている勉強会など。本やセミナー

          第十七章 青い鳥を探しに

          第十六章 鬱になる

          7回目のウツになる  バイト社員に急遽辞めてもらい、借金返済していた西日本銀行に、毎月の返済額の減額を申し出た。月50万円を15万円くらいにできないか。しかし「減額は出来ません」の一言に意気消沈し、交渉は1回で諦めた。気づけば、人生で何度目かの鬱状態に陥っていた。 (あとで知りましたが、この返済減額・リスケは交渉次第で可能です)  ヤマハで営業ができずに9ヶ月でノイローゼ退社の時、リース会社で新入社員教育と仕事ができずに婚約破談の時、その後の長い失業者時代、最初の独立半年

          第十六章 鬱になる

          第十五章 2度目の起業も自滅

          サラリーマンとしては過去最高の時期を過ごした36歳の8月15日、福岡市中央区舞鶴のマンション事務所で独立した。その前月の7月25日には長男敬之が誕生。良いプレッシャーとなった。  前述のように、仕事はアド通信社時代をそのまま引き継いだので、初月から売上も500万円以上、粗利も100万円近くあった。毎月の借金返済に30万円、その他事務所と自宅の維持に約70万円かかったので、なんとか最低限の生活は出来た。  聖心美容外科を中心に、約30社の販売促進と求人の広告代理業務。お客を

          第十五章 2度目の起業も自滅

          第十四章 結婚

          借金返済のため、再び独立 一方、他人の連帯保証でかぶった1億円の借金は実家の売却で残りは約3500万円。毎月の返済は約30万円で、これは父の残した銀行株券を少しずつ売却することで払っていたが、1995年の始めには残り少なくなり、手取り30万円に満たないサラリーマン生活では支払えない状況に追い込まれていった。大名17坪の土地は狭く、世間もバブル崩壊が続いていて売れそうにない。というか、実は本心では売る気がなかった。 忌々しい事件の発端となった土地だが、栢野家先祖代々の土地で

          第十四章 結婚

          第十三章 異業種交流会

          このように私生活では滅茶苦茶な経験をしていたが、仕事面では珍しく順調だった。帰郷後すぐに始めた異業種交流会「不況撃破懇談会(現在の九州ベンチャー大学)」も毎月の定例イベントになった。 会の前半は各業界で頑張っているゲスト講師の話で、後半は参加者同士の異業種交流。福岡へUターンした時、東京と同じ様な異業種交流会を探したが、当時30代前半の自分が気楽に参加できる会が見つけられず、じゃあ自分でやるかと始めた。 その頃、東京で最後に私が働いていた出版社「ビジネス社」の花田社長が福

          第十三章 異業種交流会