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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第157回 第123章 重傷の父

 泣きながら絵日記を描く経験はそれが最初で最後となった。先端の紙を少し丸く剥がしておいた銀と金のクレヨンには手が伸びなかった。不十分に露出させたクレヨンを画用紙に擦りつけるきしきしという紙の感触がその後繰り返し蘇ってきて、しばらくの期間、学校で作文をさせられるときにも原稿用紙に触れることができなくなった。
 誰だったのか、あの賊は。一生決して許さないぞ。法の裁きを受けろ、野蛮人め。
 父は腹を押さえながら水から上がってきたのだが、服はびしょ濡れで、顔は汚れ、下腹部と頬と両手からは血液が滴り落ちていた。父は超人的な精神力と忍耐力で立ち続けた。そんなことはしなくても良かったのに、滅茶苦茶に壊された船の部材を片手に持っていた。父のズボンにはマストの1本が刺さっていた。私は激しい恐怖と怒りのあまり、両手で涙を拭きながら近くの大人たちに助けを求めようとしたのだが、偶然か、見渡す限り池の付近には他に誰も見当たらなかった。新宿中央公園に人っ子一人いないことはまず考えられまい。例外的にそのような状況があるとすれば、映画かテレビドラマの撮影の場合ぐらいであろう。しかし、人口の少ない町だと、こういう事態も十分あり得るのである。
 出血多量、破傷風その他の恐れから、1秒も早く救急車を呼んで治療を受けなければならなかった。しかも、犯行現場は、道北で最も病院や医院の集まっている4条通りからほんの数百メートルしか離れていなかった。父自身が救急部で働いていたことさえあった。また、警察もただちに呼ばなければならなかった。ところが、父は判断に迷ってしまったのである。研究をしている医大でひどく弱い立場に留めおかれていたためである。生命に関わる被害を一方的に受けたのに、自分の不注意として不当処分を下される危険が高かった。教室を追い出されると、おそらく札幌の2つの医学部のいずれにも移れず、京都に戻るしかなかったのであるが、生まれ故郷の京都市に対しては愛憎が半ばしていた。昔はみんな仲が良かったのだが、その親戚同士が北朝と南朝のように2つの派閥に別れて相互に陰湿に反目し合っていたのであった。最初のきっかけは、あるお茶の席に干菓子を取り寄せる和菓子屋をどこにするかの選定を巡るさや当てだった。その他のしがらみもあった。細長い町屋の中は、風通しが良くなることも空気が淀むこともあったのである。
 結局父は、応急処置も取らず、交番を探しもせずに、激痛に耐えながら公園管理事務所に向かうことを選んでしまったのだった。冷静に考えればこれは最も不適切な誤った方針であったが、父も興奮の極致で混乱していたのであろう。後から振り返って、こうすべきだった、ああはすべきでなかった、という後悔は誰にでもあるだろう。人生の危機は予告もなしに突然やってくる。いざとなると、理性は働かないことの方がずっと多い。
 ボクは父の顔を見上げながら、その手に掴まって歩いて行った。声が出なかった。涙と鼻水が噴き出してきて息が苦しかった。ところが、めったにこの公園に行っていなかった父は、その事務所の場所を知らなかった。案内板がどこかにあるはずだったが、池の周りを早足で歩いて3分の2周もしたところに、ペンキがはげかかって分かりにくい案内がようやく見つかった。そこに示されていた事務所は皮肉にも先ほどの犯行現場からそう離れていない、大木とアイスクリーム屋に隠れた位置にあった。池の周りを無駄に移動させられてしまったのである。その間にも父の体内にはどんな病原菌が潜入していたか不明だった。息を切らせながらその方向に急ぐと、何と「本日、業務は取り扱っていません。お急ぎの方は市のXXXへご連絡ください」という掲示があって、ドアには鍵がかかっていた。
 その時、ある女性2人が通りかかった。ひとりは看護婦と名乗った。
「どうしたんですか。お腹から血が出てますよ。あなた、すぐ電話かけに行って。東口のところに公衆電話があったはずだから」
 これで助かるかも知れない。もう1人の女性が全力で走っていって公衆電話ボックスに入った。2人ともケータイを持っていなかったのは、珍しい偶然だった。7分ほどで救急車が来た。普段は助ける側の医師として、英語で言うガーニー(と言うんだそうだ)の横を患者を励ましながら早足で歩いていた父が、その日は自分がその上に乗せられて運ばれた。短い距離をボクも車に乗って運ばれていった。こんな事情がなかったら、救急車に乗るのは楽しかっただろうが、それどころではなかった。父は車内でそのまま死ぬかも知れなかったのである。病院に着くと、救急搬入口の自動ドアが左右に開き、医師らが父を小さな車輪のついた台車に移し替えて廊下を怒声で走りながら、あっという間に手術室に突入していった。父の姿は見えなくなった。ボクは一人残された。まわりは知らない大人たちばかりだった。どうすればいいか分からなかった。
 ボクは大声で泣いた。震えも涙も止まらなかった。
「ああああああああああ、父さんがしんじゃうー」

第124章 緊急手術 https://note.com/kayatan555/n/n5252cdf5dc5c に続く。(全175章まであります)。

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