勝手に日報(仕事と寿命について考えた話)

「命を寿ぐ」と書いて寿命。 言葉ってよくできている。

生まれた時から人は皆死に向かっていて、普段はなぜかそれを忘れたりしている。

ふとした瞬間に思い出して、「ああ、そうだった」と思いハッとした後は、また忘却の魔法を使うのだけれど、

決して無くならない。ずっとそこに、共にあるもの。

何のために生きるか自分で決められるくらいには豊かな時代に生まれ、まあ多分だけれど明日も私は生きるだろう。

いつ死ぬか分かったら、今日やることは変わるだろうか。

否。

そう思えるのは、間違いなく幸せなことだと思う。

これまで幾つかの命を見送った。祖父母や父、共に近くで過ごした動物たち、友人、仲間、

命を寿ぐのに十分とは言えない一生も、中にはあった。それを受け止め、自分なりに答えを出せたから、今日も何とか生きているし、死ぬまでは生きようと思えている。

乗り越えられない死

も、時として訪れたりもするのだろうと思う。そういう瞬間は、自分にもあったし、乗り越えられたというか、何とかやり過ごしているようなものもある。

今、仕事の合間にスターバックスでこの記事を書いていて、今日偶然隣り合った女性客の死を目の当たりにすることは、きっとおそらく無いと思う。

この瞬間がとても不思議だ。

スターバックスのロゴのセイレーンが呼び寄せたこの場所の人々も、皆いつか死ぬし、
みんなそれを知っている。

窓の外のテラス席には大きなバーニーズ・マウンテンが嬉しそうに家族と過ごしている。彼は今まさに命を寿いでいるのだ。もちろん彼の家族も。

美しいなあと思うのは、今まさにこの時。

この景色も、百年も経てば全く違うものになっているだろう。その時を、今ここにいる私たちは共に歩んでいく。

ああ不思議だなあ、心強いなあ、死に向かうことがこんなに美しいとは。

そんな仕事ができたら最高だなと思うんだけど、それって生きているだけでいいってことだなと思う。

生きるためにすること全てが、この美しさに結実している。生命の樹の中心が「美」なのも頷けるなあ。きっと古代人も、今私が感じている気持ちを知っている。

そう感じたことを、報告したくて書きました。

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