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『孔雀』への旅

本を読むことは旅のよう。

どのくらいの人がそう思うかは分からない。果たして本と旅は、絶妙にマッチする取り合わせなのだろうか?
読みたくて読めなくて。行きつ戻りつ。揺蕩うかんじも旅に似ている。新幹線を降りてからローカル線に乗り換えるときみたいに。

旅先ではぶっちゃけ一冊も読み終わらなかった。まあ一泊二日だし。小説なんてものを書くようになってから、ますます読むのが遅くなった。こんなことではあっという間に百年経つぞ。困るよね、命が尽きる。

当たり前のように旅先では本を買うつもりでいた。尾道の本屋を巡る旅だったのだ。往路は荷を減らしたくて、スマホに電子書籍を詰め込んだ。

ホテルでだらだらしながら見たNHKの樹木希林ドキュメンタリー。家にいたら見なかっただろうなあ。こういうのも旅先ならでは。記念に収めた。テレビ画面だけを撮るのはつまらないから、引きで一枚。演じる役について是枝監督と話し合う樹木希林である。

旅に出ると自分の荷物やホテルの写真も撮る。ビジネスホテルのLEDは一様にシケてて残念だなあと思う。けれどこれはこれで非日常。旅の力は侮りがたい。本当のところ、旅さえすれば本が生まれるのかもなんてことまで考え出した。でもそれ間違ってはいない気がする。

山陽新幹線で岡山を通過する。
トンネル山間部、山また山、野原。
どこまでも続いてほしかった。いつか終わるとわかっていても。

山尾悠子さんが岡山の人だとは、蟲文庫の田中美穂さんのツイッターで知った。緑に囲まれたところで執筆されているという状況でもないだろうに、ああ、ここから山尾作品が飛び立ったのかと、そんな目で景色を追いかける。

今年、なんと文春から出た『飛ぶ孔雀』この本がどうしても読めなくて。

旅の最中では読めなかった本も、日常生活のリズムのなかへ帰還しようやく仮の決着をつけた。仮の、と付けるのは読み終われるようなものではなかったからだ。正直に言えばページをめくり終わったというのが正しい。なにが起きていたのか、誰が誰なのか、どんな話だったのか。それすらわからないという……絶句。とくに後半、「不燃性について」がやばい。人物の混ざり具合が加速する。景色が二重にブレて動き出すような世界なので、そもそもそういうふうに描かれている話ではある。そこに作者のたくらみ、何度でも読めること、たぶん希望が、ある。

旅も本も物語も、希望なのだろう。

ふたたび開いて読んで読み終えて(もしくは挫折して、)仕舞う。その日のために書棚はきれいに保ちたい。そして今日も私はバッサバッサと、海辺の街で新しい本を買っている(おい)。

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