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三崎へ

先日、写真展を見に三崎まで出かけた。
長らく足を運べずにいた、ずっとずっと行きたかったところ。同じ県内を移動するだけの旅でも、Googleマップによると最低でも2時間半かかるらしい。今回は思い立っての一人旅だったので、目的地への時間よりも、景観重視のルートにした。バスに乗って海沿いをぐるりと40分も走り続けるコースを選び、結局行くまでに3時間もかかってしまったけれど、旅の価値は、目的地に到達することだけでなく、道中で出会う景色にもあるから。「旅は、目的地に向かう道中も楽しむものだよ」って写真を始めた頃に教えてくれた恩人は誰だったっけかな。

バスは1時間に一本しかなく、あとで聞いたところによると、このバスは観光名所がなく辺鄙なところを走るから、地元の人々だけが利用するバスらしかった。年配の乗客たちは挨拶を交わしたり、途中で小学生が乗っては降りていったりした。おそらく私が一番長い距離を乗っていたと思う。そして、辺鄙だなんてとんでもない。いくつかの美しい海岸線や漁港を通過し、数日後には取り壊されるであろう海の家も見えた。今年は(も)海水浴に行けなかったな…なんて思っていると、バスは丘をぐんぐん登っていく。今度は、広い空と海に向かって広がる畑、遠くにはどこかの半島も見える。富士山が大きくそびえ立つ、胸が高鳴る。富士山の写真をぱしゃっと撮って誰かに送るとか、そんな他愛もないことで連絡するなんて、大人になったら、なかなかできなくなってしまったな。

40分ほど揺られたバスを降りてしばらく海に向かって歩くと、目的地のギャラリーは、岬のすぐそばにあった。
gallery nagu
https://www.instagram.com/gallery_nagu/
わざわざ行きたかった場所に、わざわざ行って良かった展示があって、暑い岬の中にひっそりと佇むオアシスのようだった。ギャラリーの方は皆に「三崎をぜひ巡ってほしいです」と言っていた。わざわざ来ていただくところだからこそ、三崎をまるっと楽しんでほしい、観光名所をめぐるルートにギャラリーを組み込んで欲しいと。あったかくてとってもいい循環だなって思った。

その後、おすすめされた商店街を散策し、タイムアウトで泣く泣くあとにしたけれど、三崎はとっても不思議な街だった。同じ県内の海でも湘南エリアとも異なる、空気がすうっと肌に馴染む感じ。きっとゆっくりとしている時間の流れが、海沿いの故郷と似ているのかもしれない。こんな町で、こんな優しい循環の中で生きていけたら幸せだろうな。

都会での生活では、経済合理性を重視し、加速し、直線的な最短経路を求められることが多い。でも、それは愛すべき「無駄」を省いてしまうこと。何か大切なものを見失ってしまっている気がした。そんなことに気付かされた、2023年夏最後の一人旅。

今年の夏は長かったけれど、三崎からの帰り道、京急の海沿いの駅名を眺めつつ、車窓からの夕陽を見ていたら、いよいよ夏が終わりゆく気がした。ただただひとつ季節が巡るだけなのに、夏の終わりはいつでもたまらなく寂しい。嫌いだと思ってた夏だけれど、寂しいってことは大好きだったのかもしれないな、私は夏を。



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