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共に過ごした日々

グリが先立ってから2年ほど経つ先日、愛猫オレオも旅立った。
二人とも、私達家族の歴史の一番つらくて苦しい15年以上の日々を一緒に過ごしてくれた。きっと彼女たちなしでも何とかかんとか越えてきただろうが、二人の存在にどれほど私達が救われてきたか、今はハッキリと分かる。
グリがいなくなった後、オレオと私達はその寂しさをお互いで埋め合わせるようにいたと思う。でも、今はオレオのいない寂しさを埋め合わせてくれるものはない。オレオがいない今、グリのいない寂しさをも再び押し寄せてくるようだ。とても、淋しい。

オレオは自分から我が家へやってきた。誰かに連れられてきたのでも、拾われてきたのでもない。自分から家にやってきた子だった。ひょっとしたら、先に我が家へきていたグリが呼んだのかもしれないと私は密かに思っている。いずれにせよ、家にきた。まだ吹けば飛ぶようにバランスのとれない子猫だった。
当時、父はまだ健在だったが、今思えば、すでに会社は決して上手く回っているとは言えない状態だった。母は父と共に働き、私は大学での勤めが満了し、芸術活動をするべく次に進むべき道を模索し始めるところだった。
貰い手がいなくて困っていると無用者だったグリは、大学に勤めて二年目の頃に連れ帰った。妹は留学を終え、希望のホテルに入社し、いい先輩や同僚に恵まれて活き活きと社会人を謳歌していた。まだ夢見る少女のままでいる姉の私より遥か上を自由に飛んでいた。
だが、父の会社と同じように少しづつ歯車は狂い始めた。アメリカから帰って来た頃から症状が出始めていたアトピーが悪化する一方だったのだ。仕事はおろか生活も儘ならなくなった。東京で会社の寮にいた妹の為に、私が身の回りの世話がてら看病に行くも焼け石に水だった。ついに、妹は治療に専念する為、不本意ながら一旦ホテルの仕事を辞めることを決めた。その残酷な決断をせずにはならなかった妹を想うと今でも苦しくなる。
笑顔は消え、お肉が好きだったはずなのに体は受けつけず、野菜や果物しか食べなくなった。痒さは抑えが効かず、つい掻いてしまえば最後、とことんまで搔いてしまう。搔いてしまった後は傷になり体液まで出る。そうなると今度は少しでも触れると痛い。痒さと痛みとの戦いで疲れ果てていた。
日がな一日、根が生えたようにベランダを向いたソファに座ったままだった。顔以外の体中がアトピーで纏われ、惨憺たる有様だった。彼女を見守る家族もみんな同じ地獄の中にいた。

「子猫がいる。」
そう妹がつぶやいた。
「どこに?」
「ベランダ。ほら、そこ。」
「え?!」
そう言えば、最近家の周りで猫の鳴き声が聞こえると母が言っていた。何度か見かけたがものすごい速さで消えたとも言っていた。
妹が指さすベランダの窓を見ると、仁王立ちで万歳にした両手を窓に押し付けた白黒のハチワレ子猫がいる。そして有らん限りの声で鳴いている。右に左に両手がガラスで滑っていくが、何度も万歳の姿勢を取ろうとしている。
「入れて!とにかく入れて!お願い!入れてください!入れてったら。」
そう言っているようだった。そんな姿を見て、中に入れずにいられなかった。
妹は地獄の中の光を見たような眼をしているし、すでに家にいたグリは少し斜交いに眺めつつ、「入れてやんなよ、その子、あたしと同じ無用者なんだよ。」とでも言わんばかりだった。
「開けるよ!」
と私は窓を開けた。窓が開いた瞬間、走り込んでくるかと思いきや、子猫は力尽きた様に脱力し、くにゃっとなった。
すぐにお風呂に入れてミルクを飲ませると、しばらくクルクルクル回っていたが、その内疲れたのか安心したのか、ずっと前から家にいたかのように、ピクピクと痙攣を繰り返しながら長い間眠った。グリは気のない素振りだが確実に意識しており、絶妙な距離感でそばにいた。
名前は、黒い背中にある一筋の白いラインがクリームみたいだったからお菓子の名前からとった。この白黒ハチワレこそがオレオだ。
久しぶりに家の中に笑い声が響き、優しい空気が広がった。
それから間もなくして、妹のアトピーは跡形もなく綺麗に完治し、そのタイミングで、もといたホテルと同じ系列のホテルのオープニングスタッフとして招集され、晴れて復帰することができた。

あれから15年以上の時が経った。父はその後およそ13年の介護生活を終え旅立ち、共に会社も無くなった。母はパーキンソン病を患った。私は夢は夢のまま仕舞い、家族の問題と向き合い、縁あって結婚した。グリは2年前に先立った。色々なことが起こり、それを乗り越えて、また何かが始まり、役目を終えたものは旅立っていった。その苦々しい日々を一緒に過ごしてくれた。泣きたくても涙が出ないくらいに渇いた奥に、いつも潤いを与えてくれていたのはグリとオレオだった。
そして妹は、今年新たなステップを踏むことを決めた。あの思い入れのあるホテルを辞めることを決めたのだ。今度の決断は胸痛むそれではなく、とてもポジティブな転職だ。と私は思っている。妹が復帰してからのキャリアと共にオレオは生きた。家族みんなにとってオレオの存在は大きい。が、妹にとってのオレオはより特別だったかもしれない。彼女の決断を見届けるようなタイミングでオレオは旅立った。

オレオは人間みたいな猫だったなぁ。自分のこと、猫じゃなくて人だと思っていたんじゃないだろうか。とてもよく喋って、おやつがほしくて演技もした。コケティッシュで憎めない、人たらしな猫だったなぁ。
オレオは最後の数ヶ月、目が見えていなかった。ふらふらと何度も壁にぶつかりながらも部屋の配置を確認して把握した。オムツをしていても、トイレはトイレまでちゃんと行った。オレオと声をかければ、力なくとも「ニャ」と答えた。声を出せないくらいになるとまばたきをして答えた。
辛いほど健気すぎた。犬と比べて、猫は薄情の代表格のように言われるけど、決してそんなことない。
もう、いよいよ自分に時間が無いことを悟ると、何も口にしなくなった。
そして、眠るように旅立った。寂しがり屋だから独りで旅立つのは心細かったんではないかな。でも、仕方ないよ。みんな旅立つときは独りなんだよ。

グリの時、何とかもう少し生きてくれないかと強く思っていたけど、静かにその時を見守ることが一番だと気づいたんだ。もう十分、一緒の時間を過ごしてくれた。もう十分に。それなのにまだ生きることを望んだら罰が当たると、心の中でずいぶん謝ったんだ。
オレオにはその余計な負担をかけまいと心がけたよ。
最後の時間を愛おしんだんだ。
私達が愛してるって知ってる?
オレオ、淋しいです。
グリには会えたかな。
二人に会いたいな。
家に来てくれてありがとう。

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