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結界の中で締めくくりと始まりを

食堂にはテーブルがひとつだけ。三人だけの為に用意されたものだ。何と贅沢な時間だろうか。正面の大きなガラス戸から外に出ると湖の際に出れた。海のように波が何度もやってくる。夕日は見えなかったが空と湖がフィルターをかけたようにうっすらとピンクがかっていた。
ゆっくりとした時間の中で三人で過ごす。
ゆげが香るような食堂の奥で主人はひとり準備をしている。どうぞと声をかけられるわけでもなく、スッと席に着くと順に料理が運ばれてくる。事前に「母はたくさん食べられないので少な目で。」
とお願いしていたが、どれも母の分だけは絶妙に少し量が減らされていた。
どのお料理も地元の素材が使わていた。少し癖のある素材も上手く調理され、アクセントになっている。最初に面食らったすっぽんでさえ、その姿を見ることなくお料理の中に溶け込んでいた。美味しい。その言葉しか賛美する言葉を知らないボキャブラリーのない女子三人。
何か特別なことを話すでもなく、他愛のない話をしていた。その内昔の話になったが、辛かった時の話はひとつも出てこなかった。おもしろかった話や楽しかった話。そして、これからの話。多くは望まないけれど、それぞれがそれぞれの最高の幸せに向かって生きていればそれが一番。そういう話。
テレビもない音楽も流れていない。耳に聞こえてくる音は、主人の料理する音と虫の声。静かだった…と言いたいところだが、虫の声はまったくうるさいほどだった。けれど、それも外との結界の役割をしてくれているようで不思議な空間の一部だった。母は、珍しく少しお酒を頼んだ。ピンク色になったほっぺになり、うっとりとこの空間と時間を惜しむように楽しんでいるようだった。
少しずつどのくらいの品が運ばれてきただろうか。お腹がいっぱいになっていることに気づく。時計もない。何時ごろか?と思いだしたように携帯に目をやると、もう3時間たっていた。3時間かけて頂く夕食。そうして、漸くおくどさんで炊いた〆のごはんがくる。もうお腹一杯とお腹を叩いていたのに、デザートはやはり別腹。どこに別の腹があるのだ?と今更疑問に思うけど、やはり美味しくいただける。
「ご馳走様でした。」
その言葉では足りない有難い気持ち。満ち足りた気持ちだった。後はふかふかの布団で寝るだけ。深々と頭を下げて、三人は主人に挨拶をして二階に上がった。

夜の窓一面の景色も素晴らしかった。最初はカーテンにくるまって見ていたが、部屋の電気を消すと星空が見事だった。
母は着替えると布の上に大の字になって寝そべって、少女の様だった。妹は寝る準備にとりかかり、私は、まだ星空を眺めていた。星座に詳しくないけれど、十分私にも分かるほど星座は見えた。ああ、何だかとても気分がいい。今までよく頑張ったねえ。ひとまず、お疲れさんだね。さあ、次がはじまるぞ。そんな声が聞こえるような気がした。いつまでも母が生きているわけではないけれど、これから最後の日までは幸せに過ごしてくれるといいな。妹には自分の想う道を大切な人たちと自信をもって進んで欲しいな。私は。私も漸く自分の道を何に憚られることなく歩けるときが来るんじゃないか?そうだといいがな。と、そんなことを沸々考えていた時、閃光が流れた。流れ星?だよね。
「流れ星!」
妹はすっ飛んできたけど、時すでに遅し。妹は悔しがったけど、大丈夫私が代わりにお願いできてたと思う。答えをくれた様に流れた流れ星。微かに見える…どころじゃない光の曲線。大丈夫。大丈夫。大船に乗ったつもりで大丈夫。何の自信か、そう思えた。

次の朝、習慣と言うものはえらいもので、5時には目が覚めた。カーテンを少しあけて、また大きな窓の前にあぐらをかいた。ゆっくりと朝が明けていく。夜の濃紺の上に太陽がまだ姿を現さないオレンジ色の空が私は一番好きだ。夜明け前。朝日が昇りきるまでの空の移り変わりをずーっと眺めていた。流れ星を見逃した妹も起きてきた。日頃ゆっくり起きる妹は歓喜をあげてスマホにその光景を収めている。
母も少し遠くから眺めていた。三人揃って朝日が昇るのを堪能した。朝日が昇るともう眩しくて見ていられない。シンデレラの12時の鐘ではないが、朝日と共に現実に戻るように、朝食の食堂へと降りた。

朝食もゆーっくりとした時間の中で頂いた。昨晩あれほどお腹一杯頂いたにも関わらず、美味しくすっかり頂いた。たくさん食べられないと言っていた母もキッチリ残さず食べた。母は夕食の前に少し強張っていたが、それ以外は元気で周りも本人もパーキンソンを忘れるほどだった。何とも不思議だ。

もう終わってしまう。旅は一瞬。だけどこの宿で過ごした時間はものすごくゆっくりだった。宿の主人に別れを告げて家路に向かう。
少しづついつもの時間へと戻っていく。けれど、完全に元に戻るわけではない気がした。前とは違う元の場所。それは次へ向かう光の中。晴天の空がカラリと遠くまで抜けてどこへでも飛んでいけそうだ。
結局行けなかったけれど、主人の粋な計らいにもしかすると最後の母娘旅行は実現した。ありがとう。お陰様で貴重な時間を三人で共有できました。そこに君がいたら…と思う。今度は四人で行きましょう。


今年もありがとうございました。
皆様にとって素敵な年になりますように心から願います。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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