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発信者の心得

2年前から小中学校の算数・数学の先生に向けた『math connect』という教育誌を制作しています。これは全国の小中学校に配布される媒体であり、一般販売はされていません。媒体の性質上、仕事で関わらなければ目にすることはなかったと思うので、貴重な機会をいただけてありがたい限りです。

コンセプトは「頑張る先生たちを応援する」こと。いろいろお話を聞いていると、やれパワハラだ、やれセクハラだ、行きすぎた指導だ、生徒を呼び捨てにするな、教科書や黒板のデジタル化への対応……など、先生方も大変だなと感じることが多々あります。

そんな先生方に限らず、スポーツの監督・コーチでも、仕事の先輩、上司でも、人に何かを教えることはあります。0を1に変えていくのは本当に大変なことです。我々のような編集・制作の仕事でも、企画発案、アポ取り、取材準備、取材の仕方、原稿の書き方、校正の仕方…etcと、新人には教えなければいけないことがたくさんあります。

新人には教えないといけないことがたくさんある…と書きましたが、私が新人だった頃は、ほとんど何も教わっていません。「自分で考えろ!」という指導法でした。

『格闘技通信』で働き始めて1週間で、先輩に連れられて、初の現場取材に同行させてもらいました。その際、コメントスペースの場所を教えられた以外、取材の仕方は何も教わらず、現場へと放り出されました。

それから数週間後には一人で初の大会取材へと行くことになりますが、このときはまだ名刺も持っておらず、どんな大会で、どんな取材なのかの指示も受けていませんでした。言われたのは「去年の大会のリポートを参考にやってきて」ということだけ。つまり、すべて自分で考えて取材しろということです。

取材後の原稿の書き方も何も教わっていません。書いたものに対して、赤入れはされるものの、事前に何かを教わるということは一度もありませんでした。ラフの書き方も基本(タイトルや写真、本文などの表記の仕方)だけは教わりましたが、写真の選び方や魅せ方、レイアウトの考え方は教えてもらうことはなく、自分で考えるのが当たり前だと思ってやってきました。

こうして技術的なことはほとんど教わることなく育ってきた私は、記者経験1年にもかかわらず、週刊誌の即戦力として『週刊プロレス』に異動しました。即戦力扱いなので、ここでも技術的な指導は受けていません。ただ、発信者として、一番大切な心得だけはしっかりと教わりました。

「本人に面と向かって言えないようなことは書くな」

「後ろから斬りつけるような卑怯なマネはするな」

「取材対象者への尊敬は絶対に忘れるな」

媒体を使って公に発信するのだから、この一線だけは絶対に外すなと、フェアプレー精神を大事にすることを、当時の濱部良典編集長に、繰り返し言われてきました。

目立つ誌面をつくって、目立つ記事を書きたいと思っていた若手時代は、「そんなことでは斬り込んだ記事は書けない」と、反発することもありましたが、時を経てみると、この教えが自分の中に染みついていることがわかります。そして、それを持っている人間と、持っていない人間では、発信者として大きく違うことも実感できています。

インターネットの普及により、自由発信時代になった今は、発信者としての教育を受けていない一般の方でも自由に発信できます。中にはフェアプレー精神のカケラもない人もいて、それがSNS上でのトラブルの原因となっているのかなと感じることもあります。

「プロじゃないんだからそんなの自由だ」と主張する人もいるでしょう。自分の好きなように発信するのはもちろん自由ですが、「自由」は「何でもあり」という意味ではないことだけは理解しておく必要があります。

古くから、自由主義の自己決定、自己発信には「他者に危害を加えないこと」という大前提があります。他者に危害を加えないことを条件に、決定、発信の自由を与えられているのです。人に向けて発信するときは、プロあっても、そうでなくても「自由」のルールは守るべきでしょう。

何を目的に発信するのか?という部分も、2000年以前と現在では違います。2000年以前の発信者が限られていた時代は、必要な情報、有益な情報を発信することが普通でした。一方、自由発信時代の現在は、「自分が好きなものを広めたい」、「承認欲求を満たしたい」、あるいは、「不満の捌け口にしたい」、「悪口を言ってストレスを発散したい」…など、発信する理由は人それぞれだと思います。

ちなみに私が発信する側にいきたいと思った理由は、「喜び」でした。自分が書いた原稿、制作した誌面を発信することで、人々をハッピーにしたいという気持ちが、原点です。どうせ発信するなら、人を不快にするものより、人に喜びを与えたいと考えるのは、普通ではないでしょうか?

有名人への悪意あるコメントを発信している人たちは、立場のある人に不快感を与えたい、自分のストレスを発散したいという目的でしょう。ただ、その発言は、その人の目の前で言えることなのでしょうか? 面と向かっては言えないけど、身元がバレないなら言っちゃえ、やばくなったら逃げちゃえという、責任を一切持たない発想は、死ぬほどダサいですよね。そんなことを続けていたら、自分も周りも不幸になっていくだけです。

誰もが自由に発信できることで、メディアだけでは拾えなかった情報も拾えるようになるという利点もあります。知らない人の発信でも、微笑ましいものはハッピーな気分になれます。どうせ発信するなら、自分も周りもハッピーになれるほうがいいですよね。

「その人の目の前で言えないことは書くな」
「後ろから斬りつけるような卑怯なマネはするな」
「対象者への尊敬は絶対に忘れな」

私が新人の頃に唯一教わった発信者としての心得は、今の時代ならみんなが知っておいたほうがいいものかもしれませんね。

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