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一番つらかったとき、してもらえたらうれしかったこと

朝起きて、リビングの椅子に座って、窓の外を見ることしかできないときがありました。

自分の気持ちがわからず、絶望していたとき。

当時を振り返ってみて、どんな関わりがあったらうれしかったかを思い返してみました。

何もできない生活に寄り添ってもらうこと

本人が一番なんとかしたいと思っている。でもどうにもできない。その矛盾を自分の中に抱えるからつらい。

ごはんにまともに食べられない。
風呂を入るのが面倒くさい。
眠ることもできない。

生きるための日常を、そっと支えてもらえたら、うれしかった。

押しつけではなく、自分がやりたいと思った時に無理なくできるような形で。

ごはんは一応冷蔵庫に入っている。
風呂が沸かしてある。
数日着ても匂わない服がある。
よく寝れそうなハーブティーとかアロマとかが置いてある。

「やりたいかもしれない」という小さな気持ちの後押しがあったら、うれしかった。

肯定も否定もせず、存在を受け入れてもらうこと

いま、困難にいる。
正直、苦しい。
悔しいくらい、どうにもできない。

そのとき持っている自分なりのプライドをずたずたにしながら、誰かにすがりつく。

自分でもどうしたらいいかわからない気持ちを一緒に受け止めてほしい。何かをアドバイスされても判断する力は、そのときの自分にはないから。

だから、

ただ、いてほしい。
特別扱い、しないでほしい。
自分のために、がんばらないでほしい。

やさしい言葉や配慮された行動も、

「こんな自分のために何かをしてくれて。迷惑をかけてしまってるなぁ。申し訳ないなぁ。」

みたいにしか感じられないときがある。自分ではどうしようもなく「申し訳ない」という気持ちが湧いてきてしまう。

だから、

ただ、自然にいてほしい。
いることだけを、受け止めてほしい。

期待しない、求めない。ただ存在に寄り添ってもらえたら、うれしかった。

信頼できる専門家を紹介してもらう

ネットで調べた知識だけでは太刀打ちができないことがある。専門家という信頼性に自分を委ねてしまった方が楽な時がある。

ネットで調べて不安を煽るような広告や記事ばかりが目に入る。診断を受けてみても「あなたは弱っているかもしれません。」という内容ばかりで、ますます弱る。

専門家に頼りたいけど、どの専門家が信頼できるかがわからない。だから信頼できる人から、信頼できる専門家を教えてもらえることができたら、うれしかった。(自分のときは家族が調べてくれました。)

できない自分を愛せないとき、愛してくれる人を頼る

まえに「夜は長い。できない自分を愛したい」というnoteを書いた。

ただ、本当の困難にいるときには、こんな綺麗事が腹落ちすることはない。当時、自分を愛することなどできなかった。

「そんなこと、頭ではわかってる。」
「頭とは逆方向に心が動いてしまう。」
「あぁ、悲しいのかつらいのかわからない。」

自分の気持ちの海に放り出されてしまったような感覚。周りには誰もおらず助けを呼びたくても声が出ない。冷たい雨が降っていて星も見えず現在地も方角もわからない。

そんな感覚。

その感覚を知ってから思うことは、人は弱い存在だから、大きな困難の中では、愛してくれる人を頼ることぐらいしかできないんだと思う。

できない誰かを愛してほしい

もし近くに困難に直面している人がいたら、愛を持って接してほしい。

フロムが定義する「愛するということ」の4つの要素。

配慮、責任、尊重、知。

相手がどんな困難にいるのかを知り、先入観なしにその人がどんな気持ちなのかを尊重し、生きることと変化することを気遣いながら、求められたときにそっと手を差し伸べる準備をしておく。

ささやかな強い決意と覚悟。愛というやさしい言葉の中には、心と強さが込められている気がします。

困難に直面しているだれもが、なんとかしたいと思っている。

だから、小さな気持ちが前を向いたとき、愛を持って支えてあげてほしい。存在を愛してほしい。ただいることを許してほしい。ぼくはそうしてもらえたら、うれしかったから。

TOP画像は、奄美大島に行った時の写真。あんまり綺麗な海と夕日でずっと佇んでしました。

cotree advent note 5日目の記事。



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