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「noteを書く」を通して、何を表現しているのだろうか

「一つ一つのnoteの連なりは、自分の何を表現しているのだろう」

ふと気になったから、書いてみました。最後にお願いを載せているので、もしよかったら最後まで読んでいただきたいです。

生き様

noteのテーマに選んでいるものは、自分の体感した感覚や感情が大きいものだ。「いま、自分が感じて、思っていること」を書いている。その想いや悩みをタイムリーに共有することで、生き様を描いているのかもしれない。

変化してゆく様

noteを続けて約8ヶ月、自分自身も周りの環境も大きく変化をしている。立ち止まったり振り返ったりしないと、ついその変化を見落としてしまう。それを見逃したくないから振り返りをするけど、それは結果的に「どれほど変化したか」ということを表現している。

変わらない軸

色々なことをしながら色々なことを書きながら、結局同じことを書いていると思うときがあります。人や出来事を通して、自分の軸を再認識していることもあります。

「やっぱりこれが大切だった。」

自分のためだけに考える時間は、自分自身の軸を再発見させてくれる。

願うことを止めない姿勢

「こうありたい」という言葉で結ぶことが多い。叶う叶わないにしろ、意思をもったり願ったりすることを、大切にしたいと思っている。暗闇の荒野を切り開く黄金の精神を持ち続けたいと思い、そう願う姿勢が表現されているかもしれない。

行動の裏側

「実はこう思ってました。」という話をよく書いている。口頭やTwitterで言うにはまとまっていないことを、noteを書きながらまとめている。自分としては思っていることを丁寧に書いているだけなのだけど、それが結果として裏側として表現されていることが多い。


読んでくれた方への
ひらやまからのお願い

一つ一つのnoteではなく、これまでひらやまが書いてきた一連のnoteが、何を描いているように見えるのか、教えていただけないでしょうか。(取り留めのない質問で大変恐縮です。。)

見え方については、自分で感じるものと見い出してもらえるものは大きく異なると思うので、少しでも教えていただきたいです。。

Twitterでもnoteコメントでも、どこでも全然大丈夫です!(いただいたコメントは後ほど、このnoteに追記させていただく予定です!)



最後まで読んでいただきありがとうございます。