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廊下の扉は閉めずに、家を出ることにしている

バタン、と

扉が閉まる

そのことに、僕自身なんとなくかあまりプラスのイメージはない。

誰かを見送り、見送られる寂しさだろうか、これからあなたの帰りを待たねばならないという哀しみの始まりを告げる音がするのだろうか。


最近、気がついたことがある。

ドアが閉まる音というのは、何故か決まって、家の中からの方がよく聞こえるのだ。

扉の1番近くにいるのは、閉めているその本人であるはずなのに。もっと遠くで、聴いていたはずなのに。

僕だけだろうか。あなたも、そうだ、と言うのだろうか。なんとも、不思議である。



3日に一度、1人で暮らす母の家を出る日。

ベッドに寄って、話をして
いってきます、と言って、カバンを背負う。

その時決まって、廊下の扉は、少し開けたままにする。
思えば4月、最初の頃からそうであったが、何故なのかを考え認め始めたのはここしばらくのことだ。

置いていってしまう、そんな自分であることが苦しく、そして怖いのだと思う。何かから逃げているのではない、と言い聞かせるためなのかもしれない、とも思う。

だから、開けておく。そうして、家を出る。


だがしかしそんな僕も、家の扉は閉めなければいけない。

それは外の世界、外の輩から、あなたを守るためなのだろうか。

いや、ただ

それでも僕が、家を出るからだろうか。

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