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国のまほろば奈良に行ってきました

松尾たいこさんが奈良県桜井市主催の古事記イベントにお呼ばれしたので、せっかくなんで神社取材もしちゃいましょうということで、前乗りして神社巡りをしてきました。

金曜日の朝6時半に二重橋駅前に集合。そして歩いて東京駅へ。

前日、体調不良を訴えていた松尾さんでしたが、見事に復活し、

御覧の通りのやる気満々ぶり。

少し時間が早かったので、改札の中の喫茶店でカフェラテ休憩。

若干どんより。さっきのはカラ元気だったようで・・・。

そして、寝る・・・。

さりげなく写っているのは『古事記ゆる神様100図鑑』。

この第2弾として『古事記ゆる神様ゆかりの神社ガイドブック』(仮)に現在とりかかっているのです。

車内販売が来たのでお茶購入。松尾さんが甘いものが食べたいというのでチョコレートを買おうと思ったら、なんと! 

ドクターイエローのカンカン入りのチョコレートを発見。

迷わず購入。しかもこれ。

マグネットになっていて、はずれます。

で、下からノーマルタイプが出てくるという。超かっこいい!

肝心のチョコは6個しか入ってませんでした。

ちなみに僕もどうしても欲しくなって、帰りの新幹線で買いました。

で、京都に到着。ここからJR奈良駅まで行きます。

意外と遠い(47分)・・・。

自分で椅子をぱかっと引き出すタイプ。

ちとシートが固くてお尻が痛くなりました。

で、奈良に到着。いました、やつです。

まずはご挨拶&記念撮影。自然と笑みがこぼれます。

さて、当初、僕がたてた計画では、ここ、奈良駅から桜井線に乗り換えて、電車で石上神宮大神神社檜原神社を回る予定でした。

が、直前になって松尾さんのご主人の佐々木さんから、レンタカーじゃないと厳しいんじゃないの? というアドバイスがあり、急遽、松尾さんがレンタカーを予約してくれたのでした。(→これ、大正解でした)

まあ、普通はこういう取材旅行っていうのは、編集者が運転して、著者が助手席でのんびりするもんなんですが、ドライバーは松尾さんです。

僕、免許もってないんで(キッパリ)。

松尾さんも運転技術に若干の不安を抱えているので、若葉マークを借りて、前後にしっかりと貼ってから出発です。

出発するやいなや、ガックンガックンいって、焦る。

大丈夫か・・・。まあ、最悪、人をひかなきゃいいよね、なんて言いながら、よちよち運転で走ります。

で、そのうち運転にも慣れてきた松尾さんに安心して、やっぱ車って便利ですよね~なんてぬかす僕。

まずは石上神宮を目指します。

で、20分くらいで到着。

「石上」と書いて「いそのかみ」。日本で最も古い神宮号をもつ、由緒正しい神社です。(日本書紀に掲載の神宮はここと伊勢神宮2社のみ)

古代史好きにはたまらない神社。ニニギノミコトより先に天孫降臨し、大和を治めていたというニギハヤヒノミコトにゆかりの神社です。

百済から贈られたという国宝の七支刀や鉄の盾など、お宝もざっくざく。

死者をも蘇らせるという強力な祝詞もあったりして、とにかくネタにことかきません。

御祭神は、

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)

布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

の3柱。

配祀神として、

宇摩志麻治命(うましまじのみこと)

五十瓊敷命(いにしきのみこと)

白河天皇(しらかわてんのう)

市川臣命(いちかわおみのみこと)

の4柱。

これ、説明の必要がありますね。すっごく大事。これこそが石上神宮のすごさの所以です。

まず、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)ですが、これは神剣「韴霊(ふつのみたま)」のこと。天孫降臨の先駆けとしてアマテラスの使者・タケミカヅチノカミが出雲に上陸し、大国主に国譲りを迫るのですが、その時に携えていた刀です。

その後、この刀は神武天皇が大和入りする際の困難にあったとき、案内役の高倉下(たかくらじ)の夢のお告げによって神武天皇に授けられて、その威光で神武天皇は敵を破って大和入りを果たし、現在に続く日本の国を建てられました。まあ、この刀なくして、日本はなかった、みたいな?

神武天皇は即位してから、その功績を称えて宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じてこの刀を宮中でお祀りさせました。そしてその後、第10代崇神天皇の7年に勅命によって石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)にお遷ししてお祀りしたのが石上神宮の創めです。 

で、長いこと石上神宮の拝殿の後ろの禁足地に埋められているという伝承があり、明治になって宮司さんが掘り起こしてみたところ、本当に出てきたというびっくりな代物。この時の発掘作業では神剣のほかに玉、剣、矛などが多数出土。ほとんどが重要文化財になっています。

それまで石上神宮には本殿はなくて、拝殿を通してその後ろの禁足地を拝していたそうです。古来から御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」または「御本地(ごほんち)」、「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。その禁足地に建てたのが今の本殿で大正2年の造営です。

いろんな説があるんですが、この神剣である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)とは、千葉県の香取神宮の祭神であるフツヌシノカミとも言われています。フツヌシノカミは古事記には出てこないんですが、日本書紀ではタケミカヅチと一緒に国譲りで活躍した神様です。

『古事記ゆる神様100図鑑』で描かれたフツヌシです。

地震を抑えてます。タケミカヅチとともに武の神様として有名。

タケミカヅチとの関係も含め、いろんな説があるので、ここではこれくらいにしておきます。

こちらは拝殿です。

第72代白河天皇が石上神宮の鎮魂祭のために永保元年(1081)に宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えられています。鎌倉時代初期の建立と考えられ、拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されています。 

長くなったので、とりあえず、今日はここまで。

つづく・・・。



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