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5月16日

今日は心がぐちゃぐちゃにえぐられた日だった。朝から病院へ行き、待合室で「ヒョンナムオッパへ:韓国フェミニズム小説集」を読み始めたところから、心が乱れ始めた。薬局に移動し、家のベットに帰り、本を読み進めれば読み進めるほど心がえぐられ涙が溢れた。日本に、韓国に、家父長制の残る国に生まれた女たちの苦しみをあまりにも生々しく、日常に描き出している作品たちだった。読んでいて苦しくて、涙が止まらなくなる。三編目まで読んで、心を守るために今日はこれ以上読むのはやめ、マシュマロを食べてぐちゃぐちゃになった心を癒した。

午後は予約していた美容室に行き、髪をばっさりと切ってもらった。休業期間中に店内を改装して席数を減らし、マスクでの施術、アルコール消毒、さらには雑誌を拭くことのできるタブレットに変えるなど、徹底したコロナ対策をしていて感動した。女性しかいない美容室で雰囲気もよく、今まで受けた中で一番技術的にも信用ができる。一時期少しでも節約したくて、初回来店クーポンを使い、色々な店を転々としていたが、やっぱりこのお店に通い続けようと思う。

美容室から帰ってきて、ここ三年書き溜めているノートを見返していた。また何か書こうと思うので、なにか参考になる言葉を書いていないかと思ったのだ。書き始めたのは精神病が発症しはじめてからで、人に話す代わりに字や絵で気持ちを書きなぐっていたので、読み返すと苦しい気持ちが蘇って再び心がじくじくと痛み始めた。これは私が見るから苦しいのだろうか、それとも誰が見ても苦しい気持ちを感じるのだろうか。ふとそんなことを思ったが、とても他人に見せられない。ところどころ、見た夢の内容や考えた創作の内容が書かれていて、それに自分の気持ちが象徴されているように見え、感心した。苦しい気持ちは防衛機制により忘れ去ってしまうことがあるから、言葉で遺していてよかったと思う。

なにか書こうか、というのに関連して、「フルーツバスケット」を読み返し始めた。十代の頃の私の人格形成に大いに影響を与えた本だ。この本は主に家族、絆、愛について扱っているが、本当に読む度に気付かされることがある。当時はなんとも思わなかった言葉が、傷ついたり色々な経験をすることで沁みてくる言葉が沢山あるのだ。だがこれを初めてアニメとして見た時、私はあまりにも幼く、ただ「見返りを求めず、他人に尽くし、いつも笑顔で幸せそうに振る舞うことが一番求められることだ」と思ってしまったのだ。この呪いが解けるまで長い年月がかかり、その際は大変な苦痛を伴った。

そのことについて文章にしてみようと思ったが、思った以上に難しそうだ。来週の土曜日まで、出来れば明日中に大まかに形にできたらいいのだが。
最後にフルーツバスケット初期アニメのop曲を載せる。「For フルーツバスケット

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