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文字を読む

リハビリのために日本語の文章を読むのと英語の文章を読むのを続けています。
文章を読めなくなってから、これではいかん!と思いましたが、とにかく何も理解できないので、困りました。
家にいる分には良いのですが、出かけると、外にはたくさんの文字があります。
駅が特に困りました。たくさんの文字、たくさんの表示、普段使い慣れている人には問題ないかもしれない駅の文字や記号が分からない。
(電車に乗ってると気分が悪くなるので降りる、というのもありましたがここでは表示の話に絞ります)
初めて行く場所で道路を歩くのも困りました。スマホを頼って目的地まで道案内してもらいました。

何も読めなくなってから読めたのは、本が2冊です。日本語で書かれた本。時間がかかりましたが読めました。
それから、英語の歌詞。古語で書かれた短歌。調子が良い時に読めました。
それから、倍の時間をかけて大学入学共通テストの国語の問題を解きました。答え合わせは胸が張り裂けそうでしたが、正解していたので自信を少し取り戻しました。時間は倍かかっていましたけども。

今は、文章を読む他に、漢字検定の漢字練習問題集をやっています。簡単な漢字が書けなかったりするのでめげそうになりますが、何回も練習するようにしています。
それから、英単語帳というのを見ることにしました。例文も載っていて面白いです。
近年は発音してくれたり、問題を出題してくれたりするアプリもあるのですね。私が子どもだった頃とは大きく変わりました。便利です。

これは私の病気の経過報告のようなもので、需要があるのかどうか分かりませんけど、一度文字を読めなくなった人、リハビリからの社会復帰をする人の何らかのお役に立てたら良いなと思って書きます。
私は文字を読んだり漢字練習をしたりしていますけど、人によっては計算ドリルをやったりするのも良いみたいです。「こんな簡単なことが」と思わず(めげそうになりますが)、続けていたら良いことがあるはずと思ってやってみています。
これは主治医のアドバイスですが、私は主治医にやってみましょうと言われたことはひと通りやっています。
・ノートに何に今困っているかを書く
・ノートに職場復帰をした場合のメリット、デメリットを書く
・産業医のアドバイスについて考えてみて、主治医に相談する
…たとえば、こういうことをやってきました。

最近、ネット上で人を攻撃している人をお見かけしました。何か理由があって攻撃なさっているのかもしれませんが、怖いなあと思いました。
こうやって文章を書く以上、私の文章に共感してくれる人もいれば、合わないなと思う人もいるとは思っています。
言葉は刃。言葉は自分のことも切ります。
昔、ソシュールという言語学者が指摘した通り、この世界を区切るのは全部言葉です。
強い言葉で区切ると、曖昧だったはずのものの輪郭が浮かび上がりますが、それは所詮曖昧だったものに輪郭を与えているだけで、幻想なのです。幻想に囚われて人を攻撃したり自分を正当化したりするのは変だと私は思っています。
生活においては、そういう場面も必要ではあります。職場での理不尽な待遇などは声を上げないといけないし。ただ、文字はそれとは違うように思うのです。強い言葉で人を攻撃しなくても自己表現することは可能だろうと。
話し合いという手段もあるのにな。

一度文字を読めなくなった人間なので、言葉を銃のように使いたくないのです。
やっと読めた文字が攻撃だったらと思うと、恐ろしいから。
私は私のnoteを私が自分を確認する場で、私が戻って来れる場にしたいです。

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