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大人になるということ

大人になるとは排便行為を我慢する事である。ずっとそう思っていた。

出先の人がごった返してる都会なんかでトイレを我慢できずに「漏れちゃう!!あっ!!漏れちゃう!!!」などと叫んだり泣いたりするのは子供である。誰が見てもそれは一目瞭然。

排便のコントロールなど、遅くとも小学校の低学年のうちにマスターしておかなければいけないアビリティの最たるものなのである。必須アビリティである。

そう思って生きてきた私も気がつけばアラサー。

さてどうだろう。はたして排便行為を我慢する事が大人になるということなのであろうか。

否。

排便行為を我慢することが「大人になる」だなんて発想は股間にようやく毛が生えた程度の青二才の考えだった。そんなことは当たり前で、誰でもできる。それはそう。

大学を卒業し、社会に出て約10年。そこで見た大人たちはどうだったろうか。






そう、本当の大人というのは便を漏らすのである。年を取ると共に肛門の締りは年々緩くなってくるのである。日に日にキレは衰え、下着なんてもんは汚して当たり前の物になってくるのである。歳を重ねていくと便意のコントロールができるという、ごく当たり前の常識を更にもう一週してコントロールできなくなってくる。

そら娘に「お父さんの洗濯物と一緒に洗濯しないで!!!」って言われるわ。僕が娘でもこの事実を知ったら間違いなく言うし、僕が父親だったならば「別々に洗濯してやってくれ!!!頼む!!」って奥様に土下座するわ。自分のかわいいかわいい娘の衣類に自分の排泄物の欠片が紛れ込む可能性があるかと思うとゾッとするわ。娘いねーし父親でもねーけど。


現に吾輩も最近拭いても拭いてもトイレットペーパーが「白紙」という答えを返さないという謎のfor文にハマってしまっている。やれやれ困ったものである。ほんとにケツを幾度拭こうともキレイにならない!!こんな不幸がこの世の中あるか!?なんの呪いだよ!!!


これを見てくださったアラサーの方がいたらコメントを残してほしい。

吾輩だけじゃないよな!?みんなそうなんだよね!?ねぇ肛門科行ったほうがいい?行った方がいいのかなこれ!?

ゴホン。真の大人とは「コントロールしよう」という思考を捨て、「あ、これ出ちゃうな。もう間に合わねーなこれ。」と悟り、諦め、「この辺にユニクロかGUあったかなぁ」と、その後のリカバー案を瞬時に導きだせる人間のことだと見つけたり。






仕事も同じである。同期や部下持つ者は、周りの人間をコントロールしようとするのではない。コントロールしようとしても、人には個性や意思があり、駒や歯車ではないのでうまく回るはずもない。考えうる限りの行動パターンを予測・推測し、そのカバー・リカバー案を瞬時に導き出す。

左手は添えるだけ。その左手になってあげる。コレが大事なのである。



はぁ。大人ってマジ大変。