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同じ仏教でも空海の教えは心が温まる|悟りとは何かを知ると思わぬ能力が開花する!


1.はじめに


人生を楽しむには五感をフル活用させることが大切です。

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美しい光景を見ること、美味しそうな匂いを嗅ぎ、美味しいものを食べること。
心が躍る(落ち着く)音を聴くこと。
興味があるものに触れてみること。
五感を活用することで感性も養われ、イメージする力も強くなります。
イメージをする力が高くなりますと、普段感じないことが感じやすくなることから、人生に楽しみも増え、幸せになることに繋がります。
歴史上の偉人たちは生まれながらにして、天才的な気質を持った方が多いかと思いますが、名人や達人と呼ばれる方は、五感を研ぎ澄ませ、経験を積み、直感や感覚といったものを鍛えることでその能力を開花させています。
人間は誰もが優れた能力を持っています。
私は凡人です…。
私は凡人以下です…。
そう感じますか?

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もしもそのように感じるのでしたら、それは「自分には無理」「できない」という観念があるだけで、自分の能力に気付いていないだけなのです。
人間には個性があります。
その個性を開花させるには、五感を磨くことが重要であり、その感覚を突き詰めていくと悟りを開くこと、つまり覚醒することにもなります。
悟りを開くということは特別な方が、特別な修業をして仏の心に達した時に、悟りを得るのではないかというイメージが強いかもしれません。
ですが一般的に語られている悟りとは、さまざまなアレンジを加えられた仏教の教えであり、密教ではこのような教えではないとされています。
密教では三密加持さんみつかじという教えで、誰もが生きたまま、悟りを得ることができるとされています。
密教とは?そして、三密加持とはどのような修法なのでしょうか?
今回は、能力の開花、三密加持についてご紹介します。

2.密教とは?


さて、みなさんは密教といいますとどのようなイメージをお持ちでしょうか?
密教とは、文字で表されている通り、秘密の教えであり、秘密仏教の略称のことをいいます。

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密教には二つの伝統的な宗派である、真言宗天台宗があり、真言宗は空海(774~835年)、天台宗は最澄(766~822年)が開祖となっています。

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二人は804年、遣唐使として選ばれ中国に留学し、密教を学びました。

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密教は古代インド宗教であるバラモン教のやり方を仏教が取り込んだものです。バラモン教の特徴として、一般的には分からない言葉を聖典せいてんとして伝えていること、また、文字を使用せず呪文を口伝として教えています。
そして、所作も細かい規定があり儀式で神や仏を召喚させるといった宗教のため、とても分かりにくい教えとなっています。
仏教にはたくさんの経典があり日本では、中国から経典を輸入することで学びましたが、密教の教えはバラモン教の名残があり、繊細・複雑であり、文字を読んで学べるようなものではなく、じかに見て触れて感覚として学ぶ必要がありました。

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現代の密教は日本とチベットだけになり、中国・インドでは途絶えてしまいました。
また、日本の密教も独自に発展をしてきたために、発祥地であるインド密教とは違ったものとなっています。

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3.仏教と密教の悟り


さて、仏教の教えでは「悟りを開く」ことが最終目的となっています。

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一般的に「悟りを開く」という言葉の意味は「心の迷いがなく、真理を会得する」ということを示しています。
人間界において束縛・迷い・苦しみなどの雑念がなく、完全に執着がなくなった状態を、悟りの境地に達したといえます。
ひとことで「悟り」といっても、仏教(顕教)と密教では意味合いが少し違ってきます。
(顕教…密教以外の仏教のことを指す)
仏教は釈迦が開祖となっています。仏教の教えは数えきれない程の輪廻転生を繰り返し、長く厳しい修行の果てにようやく悟りを得て仏になることができるとされています。(宗派によって少し考え方が違います)
一方、密教における悟りとは、大日如来と一体になることを指しています。

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大日如来は「宇宙の真理」「宇宙の根源」であるといわれており、人間もそれ以外のものも、姿が違うだけであり、全ての根源である大日如来が姿を変えたものであるといわれています。

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本来誰もが大日如来と同じ仏の心を持っているために、それを自覚することで悟りの境地に至るとされています。
人間には煩悩があります。
仏教ではこの煩悩を持っていては悟りを得ることはできないとされていますが、密教では煩悩を持った状態でも悟りを得ることができるとされています。

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では、大日如来と一体になる、つまり悟りを開くための修法とは、どのようなものなのでしょうか?

4.三密加持


密教でも真言宗の開祖である空海は、仏である大日如来と一体になる修法の基本として「三密加持さんみつかじ」という教えを説いています。

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三密加持とは密教独自の修行・瞑想法のことをいいます。
三密とは身密・口密・意密を指しています。
身密とは、両手で印を結ぶこと。(印は仏と修行者を結ぶしるしであり、神聖な力を宿している)
口密とは、真言・陀羅尼だらにを唱えること。
意密とは、心に大日如来の姿を描くことをいいます。

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この三つを行うことによって深い瞑想状態に入り、大日如来と一体になることができるとされ、この状態の達することを加持かじといいます。
三密加持することで大日如来、つまり宇宙と一体になることで悟りを開くことができるという教えです。

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仏教において心のけがれである煩悩の源を三業さんごうといいます。三業…身体=楽をする、美味しいものを食べる、異性との交わり 口=悪口や陰口、自慢話、噂話 意識(心)=バレなければOKの心、ズルをする
人間は煩悩を持っていては悟ることができないというものが仏教の教えですが、密教ではこの三業さえも受け入れるという教えなのです。

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仏教では煩悩を中心とした心の問題を取り上げた教えになっていますが、密教では身体・言葉・心の動きを一つにすることで悟りを得るという教えになっています。
空海は心を抑制するのではなく、浄化をすることで人間は人間らしく生きることを教えたかったのかもしれません。

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5.まとめ


いかがでしたか?三密加持は密教の基本であり、苦しい修行といったものではありません。
密教では宇宙全体は一つの生命体であるという教えがあります。
個々に意識を持った人間には宇宙とは遠い世界のように感じてしまうのかもしれませんが、一人一人が宇宙そのものだという考え方もできます。
神や仏の力は偉大で、崇めなくてはならないという考えは、情報や教育で刷り込まれた幻想で、本来は対等な関係なのかもしれません。
小さな存在である私たちは、無限の可能性を秘めた大きな存在であると、空海は教えているのかもしれません。

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