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(101) 人間関係

”自立”とは、”異う誰かと共に生きること”

私はその時のテーマにもよるのだが、講演の折余韻を残して終わりたくて最後にそう言うことがある。いつもは割れるような拍手?を頂くのだが、それで締め括った時はいつも拍手がまばらな気がする。
「・・・???」

確かに、これは突然言われたりしたら難しいのだ。世間で感じられている”自立”とは、思考の角度が大いに違うかも知れない。経済的に・・・、社会的に・・・、なんていうのが”自立”の相場だし、一応それで説明はつくし納得もいくのだから、それとは角度の違う私の言い方は「?」を貰うことになる。

”孤立”することが生活する上で一番”怖くて淋しい”ことなんだと、クライアントの方々の話を聞きながら実感している。

「私だけ特別に感じやすいのか・・・人に気を遣い過ぎるのか・・・人に合わせるのがとても難しくて、つい落ちこぼれて”ひとりぼっち”になってしまいます。怖い淋しいと強く思い・・・ダメな自分を嫌だって思うんです」
「自分を責めることはありませんよ」
”孤立”って言うんでしょうね。小さい頃からいつも気がつくと”ひとりぼっち”でした」
「それが淋しくて嫌だということですね」
「いつもひとりだから今では麻痺してしまって、嫌だと強く思う訳ではく、ただただシュンとしてしまいます」

この世で”人間関係”ほど難しいものはない。大半の悩みは、この”人間関係”と無関係ではないと思われる。それほどに人との関係は悩ましいものだ。クライアントにとっては深刻だ。いや、誰にとっても深刻なのだ。

「みなさんの悩みの大半は”人間関係”からですよ。少なくとも、あなただけではありません。人はひとりひとり違った感覚・考え方・解釈を持っていて、人それぞれ異質なんですよ。自分とは大いに違います。言ってみるなら誰もが規格外なんですよ。スーパーに行くとナスやキュウリが三つ四つビニール袋に入って売られてますね。あれって袋の中の野菜は規格品でみんな同じ大きさで真っすぐでしょ?僕は買いませんよ。”わけあり”とか言って同じ数で半額ぐらいのを買います。曲がっていたり、形が変だったり、ちょっと傷ついていたり・・・これは野菜の話ですけど、人はそれぞれ顔や体格が
違っていて規格外だから、ひとつの袋には決して入りませんよ」
「それで良いんでしょうか?不安です」
「僕なんか、望んで人と違うように生きてますし、独特で個性的というより常識外れだから、とても人とひとつの袋に入り切らない”わけあり”でちょっと安いですよ(笑)」
「それで平気ですか?」
「平気も何もこれが僕ですから・・・。ただ”自立”していたいと思いますから、異う人たちと僕とで大いに感覚・考え方・解釈が違っても相手を認める努力をして”同居”出来ます。ただただ傍に居たら良いですよ。何も”孤立”などではありません」
「自分で思うようにならないし、その異質な誰かを私が認めていないから、私は”ひとりぼっち”だと勝手に思ってしまっているんですね。私自身も規格外で他の誰かも規格外で、それぞれが大いに違って良い。傍に居るってことを考えることが大切だということなんですね?」

三十歳銀行員、女性。
半年あれやこれやとよく対話した。彼女の苦しい、やり切れない言葉で綴られる話は、この私にとって痛みだらけだった。ほとんどの時間、彼女の訴えが続いたが、ちょっと”間”が空くと、私はボソボソと話をした。私のボソボソ話の後、はっきりと彼女の顔が変化した。彼女は私の話に必ず良い”間”で相づちを打たれた。そして、その上「納得」という合図の大きな頷きをされるのだった。

このことは、カウンセリングでなくとも、人との対話で最も大切な「基本」だと思う。頭が下がる思いで私は感謝の言葉をお掛けした。
「あなたのような真摯で相手を活かすご姿勢に心から感謝します」と。

「すでにあなたはもう出来ていますよ。あんなに真摯に話をお聞きになり、頷き納得を表現されるのですから、あなたの周りの人達は十分あなたによって”活かされ”ているはずです」
「こんな風でいいのですね。”孤立”ではなく私がひとりで人と合わないと思っていて、私も周りも規格外で、ひとつの袋に入れなくて良いですね。ありがとうございます」

ズンズンズンと切れ間なく直線で突き詰めて考えることは危ない。まずひとつだけのズンで終わっておくこと。少し”間”を置いて別の世界・別角度で考えてみる器用さぐらいは持っていたいものだ。「人」で考えたら・・・今度は別世界の「野菜」なり「動物」なり「料理」なりというように考えてみるといい。四角い器の中で丸くなり、丸い器からはみ出てしまう私だ。今までもこれからも・・・。


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