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何者でもない人

金曜日は雪の降ったり止んだりな滋賀へ
年に一度行われている「アメニティーフォーラム」に。
1000人を越す福祉関係の方が一挙に集まり、
2泊3日で朝から晩まで勉強するというすごい集まり。
毎年ロビーでさをりひろばの紹介をさせていただいているけど、福祉に従事されている方の
真剣な真面目さをとても感じる。各方面から専門的に真摯に向かい合っておられるってほんとに素晴らしいと思う。

でも、私はこの場で毎年「あー私って何者でもないなー」って思わせられる機会なのだ。福祉大出身で障がい者の方とはずっと関わっているんだけどね。
生きるというのはそれだけで何かある。
さをり織りのカオスの中で日々思うこと。
その中で私は人として向き合うだけしかできへんのん。福祉も何も関係なく。

なんかなあー
ゆるく繋がれたらええなあと思ってるんだなあ。
ガッツリ結びつくというより、ゆるゆるとそれぞれを感じながらふわあーとつながってるっていう感じ。でもちゃあんとその人の存在はみんなが感じてるっていう、そんなイメージ。
みんな仲間。横並びに。
そこには、してあげなくてはしなくてはというのじゃなく、したいことしてるっていう感覚があって、それに「ええよー」っていう人が絡んでいくっていうね。
ふわふわした文章やねえ。
わかるかなあ、このつかみきれない柔らかい感覚。

それを言葉や形として説明できることをずっと探してしていて、行き着いたのが

「ギフト経済」

ペイフォワードや恩送りという、お金で成り立つのではなく、優しさの譲り渡しで回していく経済のこと。
あらゆる問題を考えた時に、最後はお金の問題ってとこで終わるのが、釈然としなくて、なんかないんかと学生時代からずっと思ってた。「所詮この世は金次第」っていうのもムカつくなあと思っていたし。←(これ私の根底にある原動力)
みんなのでこぼこを集めたら、ええ感じに回るん違うか?
お金や制度のかわりに情報と人脈というつながりで回せないか?
そこに生きにくさを感じてる人も巻き込んでいけないか?
そんなことを悶々と考えていたところに、さをりや福祉のつながりじゃない、畑を通じたつながりもできてきて、これはできるんじゃないかと、おぼろげに感じた昨年。

私は学生結婚、学生出産をして、震災にもあって、就職をしそびれたアウトロー的生き方だけど、だからこそ感じて動けることができるんじゃないかと。
子育てを終えてポカンと空いた時間と心はどこに向かうのかなあと思っていましたが、
次はそちらに向かいそうだなーと、満月の夜にそう思ったわけです。

「ギフト経済」で回る何かが、もう私の周りではじまりはじめている。ゆっくりじわじわとね。




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