心がぎゅっとする
311。毎年この時期になると胸がぎゅっとして涙腺もおかしくなって心が弱る。
ちょうど土に向かい始めたのは震災のあった時だった。娘が東京農大に入学した時。
そうか土を触ってもう10年になるのか。
震災支援も農業も、自分ができることはしれていることを思い知らされた。
それから自分の生き方を考え直し始めたんだ。
いっぱいもがいてみてはいたけど、結局何も出来ず、何もやり通せず、ごめんなさいというシコリが心に残った。
心が疲れてしまった。
一つの仕事を終えても達成感もなく、気持ちはすぐ次の方へ。それをショートスパンで繰り返す。動いていることで心が沈むのをとどまらせるというだけ。
アドレナリンジャンキー。
燃え尽きたわけでもない。
でももう自分の力は残っていない感じ。
なのに動いていないと生きている実感がない。
自分でなくてもいいな。全てにそう思えた。
そんな自分が落ち着くのは、無心で土と格闘している時。
結果が出ない負けっぱなしの農業。
自分の力などたかだか知れていることを思い知らされる。
なのに心地よい。
同じ無力感を感じるのに、心がぎゅっとならないのはなぜだろう。
これが自然に包まれるという安心感なんだ。
うまくいってもいかなくても動じない大きさ。
心を赦してあげられた。
あきらめること手放すことと、あきらめないし続けることの両方を土から学んだ。
そして自分がどう生きていくかを考え直すようになっていった。
人の力は知れている。
でも一つずつ積み重ねていけば、表面は変わっていないように見えても、下の方では変わりはじめている。
土の層が積み重なっていくように。
それを静かに丁寧に続けること。
しなやかに。したたかに。
それが土が教えてくれたこと。
311。10年。
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