大規模感染症とともに店長やって

辛いし、苦しかったというのが感想だ。

しかし、このままだと細かいことが思い出せず、
本当にそれだけしか言うことができなくなってしまうので、
ここでちゃんと思い出せるだけ思い出して、残しておこうと思う。

もちろん、これを書いている今だって感染に対して恐怖が完全になくなっているわけではない。
ただ、店長になった瞬間、
自粛に追い込まれたという経験は2度とできないし、
人類史上でも大変珍しいことなので、
その時にどうだったのかを簡単に残しておきたい。

まず、最初に影響があったのはイベントのキャンセルだ。
当時は誰が感染しているかわからず、
店やその周辺の人たちに迷惑をかけてしまうかもしれなかった。
自分がかかるのも嫌だが、
それ以上に店にいる人が感染したら申し訳なさすぎる。

結果、5月は全てのイベントが消滅し、自分だけが立つことになった。
当然、密などという状況とはかけ離れた状態だ。
近所の人だけ、それも1人来ればいい方で何とか遠隔でもらったりして、
維持をしていた。

給付金など全く話がなかったので、5月はとにかく地獄だった。
遠くの全く違う店では自殺者すら出た。
早めに書いておきたいので書いておくが、
国はともかくとして特定業種を連呼し続けた都政だけは許さない。

ただただ暗い闇の中をひた走るだけの営業だった。
近所の人が来ることもあり、深夜もひっそり開けた。
大々的には言ってないが、行けば開いてるようにした。
時折、疲れて横になってたら、扉が開いたので、
頭をクラクラさせながらカウンターに向かったこともあった。
この時はどこも開いてなくて、何とか辿り着いた先がウチだけだったというのも珍しくなかった。

来店があったらそんな感じだが、
実際はほとんど来客はなかったので空いた時間はキャス配信をした。
人と会えないので、
少しでも人の声を聴きたいらしく需要があると思ってやった。
実際に自分も人の配信を聴いたり、ツイートを見て状況を把握して、
どことなく安心感を得ていた。
そして、ついでに遠隔で収入になればいいと思った。

最終的には遠隔での電子決済が現金売り上げを上回った。
就任初月だからわからなかったが、
今にして思えば、これは珍しいことであった。
おそらく2度とないのではないかと思う。
来店が少ないから現金が少なく、
電子決済が上回るのは難しくなかったのもあるが、
それにしても電子決済の支払いが多い月になった。

そのころバイト先はスーパーであったのだが、
マスクがなくなったのは当たり前で、トイレットペーパーや水までもなくなっていた。
まだ家族連れで来ないようにというアナウンスが流れることもなく、
大量に買い込みに来たお客さんが流れてきた。
このころからバックヤードではこれが感染源になるのではとため息交じりに話されていた。
また自分の所属していた部門では3ヵ月で1年はかかるだろう業務のすべてを覚える新人が誕生していた。
人数は少ないが、人材は安定していた。しかし、自分が辞めていいほどではなかった。やはり、人が少ない。

異常に人のつながりを意識させられた時期でもあった。
過去の大震災の時も絆がどうとか言われていたが、
人と会える安心感を孤独の先で実感できた。

今回は普段から会おうと思って会える状況とは違う。
災害と大きな違いのとして会えないこと、
移動できないことで心が重くなり、
精神的な束縛を感じるという点が挙げられる。

物理的には何も変化がなく、ただ人の流れが止まっただけ。
しかし、ヒビ一つ入ってない建物で構成された街は人気がなく、
廃墟のようだった。健康でも心だけが病んでいくような光景だ。

視覚的には感染拡大前と比べて、
何も変化がないのに意識だけが変わるのは妙な感覚だった。
はっきり言って自分は今まで通り、
バイトに行っては帰るを繰り返していて、
そこに店での作業が加わっただけで、何も変化はなかった。
だけど、周囲は確実に変化をしていた。
仕事がやりづらくなった、話せないのが辛い、イライラが増えた。
そういった精神的な変化は直接に会わずとも感じた。

人と集まる、移動を伴う行動などするときに躊躇が増える。
何か思いついても感染症のことがよぎって、何もできなくなる。
最初のめんどくさいなぁという気持ちから慣れていくとストレスに変わる。

自分は変化がないわけなので、
そういうストレスとは離れたところにいるが、
周囲がそのように思っているとそこに気を遣わなくてはならなくなってくる。
しかし、感染を恐れている人たちに対して、できることは何もない。
むしろ、何もしないことが一番の善行であった。

仕事しかない自分ならただ引きこもってればよかったかもしれない。
伊達に20年以上ぼっちをやっていたわけではないので、
いくらでも暇は潰せる。
ネットがあれば、他人を感じることくらいできる。
むしろダラダラするには最高のいいわけだ。

だが、今の自分は違う。
任された箱がある。その箱に寄せられる想いがある。
昨日今日できた話ではない。
2年以上、どんな時も店を開け続け、開けてもらい続けてやってきた。
必要としている人がいる以上、もう自分だけの一存で済む話ではない。

そして、どんな状況下であれ、
「お前になってから店が潰れた」
などと思われるのは人生の汚点だと思った。
今後生きてく上において、そんな失態を引きずりたくはなかった。

託された責務とちょっとしたプライドをかけて店を開けた。

6月は5月の様子を心配してくれた人から助けてもらった。
イベントも6月中盤から入ってくれるようになり感謝が絶えなかった。
本当に5月は長かった。雨の中も自転車で行って、
バイトで疲れてもとにかく開けた。
開けなければ確実な0が待っているだけだ。それを肝に銘じていた。

結果として0の日はないことはなかったが、
圧倒的にプラスの日が多かった。誰も来なければ、配信もした。
この5月のおかげで絶望的な経営状態での悪あがきを覚えられた。
今後も同じような時が来ようとも同じようにしてやる。
もし終わるとしても。

チェーン店は仕切りをつけ始め、フェイスガードなる透明なプラ板で店員は顔を覆うようになった。
バイト先のレジもバイト先のレジもフェイスガードをつけ始めたが、
暑くて邪魔で作業にならないとすぐにマスクのみになった。
パートの人たちの力は強い。
席も一席空けるのが当然になり、バイト先の客用の休憩所はなくなった。
マスクは50枚で4,000円近くした。
トイレットペーパーは入手困難になり、アルコールは臭い消し用のものも含めて姿を消した。

7月は自分の誕生月でもあったが、情勢によりひっそりと過ごした。
イベントにはしたが、大きく宣伝することもなかった。
それでも通常の営業よりは来ていただき、ありがたかった。
イベントもだいぶ埋まるようになり、店としては安定してきた。

6月から給付金などの話も出てきて、
金銭面での不安はなくなってきていた。
精神的にも先行きの見えなさがなくなった。個人給付もあり、
それにより滞ってたリボやこれから払う税金などを一括で払った。
個人給付金に関しては税金を払ったら半分くらいなくなるので、
うまい時期に政府は給付してきたもんだと思った。

政府の対応にありがたみとイライラをこんなに感じたのは人生初だ。
無論、政府もこんな事態初めてだろうけど。

8月、9月もイベントの予定は埋まってきた。
自分になってからいなくなった人もいたが、
月に1回以上はどこかにイベントやってくれる方もいて、大変心強かった。

店の特徴としていろんな人がイベントをやるというよりはある程度、
知ってる人がやってくれるという感じで、自分が店長になってからは
そういう人たちが繰り返し支えてくれた。
当初から拡大よりも今いる人たちを大事にしていこうという気持ちがあったが、そういう意味では達成できたと思う。
新しく人を迎えたくないわけではないが、なじんでくれた人たちへの対応を
雑にしてまでやることではないと思った。
すでに環境ができているので、壊さないようにすることを優先した。

それに環境を変えようと思って変えられるものでもないというのは
半年間やってきてわかった。
急に新規のお客さんやイベンターを
呼ぼうとしても一時的には来てくれるかもしれないけど、
定着はしないし、かけた労力に見合うかは疑問だ。
それなら今来てくれる人たちに呼びかけるか、
自分でやって、来た人に声をかける方が労力の使い方として見合っている。
流れに身を任せて運営してくのが効率がいい気もした。

これだとイベントが埋まらないときは埋まらないし、
お客さんも来ないときは来ないだろう。
だけど、それはそれでそういう流れであって、
またいずれ人が来るときは来る。
博打みたいに見えるがそういうものなのだろう。水商売というくらいだし。
それでもダメな時は、本当にダメな時だろう。
半年はやってきたし、
それまでのやり方でやってきてダメになってしまうならば仕方ない。

店頭でのアルコールは数がは少ないが、置かれるようになった。
一時は高濃度のアルコール入りの液体を酒として販売していた。
飲料用ではないと書かれているにも関わらず、
酒のコーナーに置いてあったのは奇妙だった。
マスクは以前よりも安く売られるようになっていた。
ソーシャルディスタンスという言葉も必殺技のように流行ったが、1月程度であまり聞かなくなってきた。
政策ではなくパフォーマンスでのし上がってきた政治家たちというのが
これまででよくわかった。
6月いっぱいくらいでZoomもやらなくなってきた。集まる人たちはひっそりと集まるようになった。
いつの間にかライブハウスや特定の店での感染を大きく報道しなくなってきた。
客が来ないときはのんびりアニメを観て過ごしていた。多分100話くらい観た。

10月、11月になるとどことなく流れというのが見えてきた。
ある程度、高頻度で来店したり、イベントをやってくれる人を軸として、
そのつながりや他の日に新しく来た人で拡大が進めばいいという感じだ。
自分も近くの店には行ったりするけど、
電車を使っていくような店にはあまり行かないので、他人も同じだろう。
行きたい人を増やすというよりは、
来れる人が来やすいようにする方がいい。

むしろ誰かしら来てくれたらラッキーだなという気持ちでやるのが
一番無理がない気もする。
結果を求めて動きすぎるとどんな結果が出ても疲れてしまう。
ならば、いっそ結果を求めないでやっていった方が精神的に消耗しないし、
なんか売り上げが良かったらテンション上がるため
0かプラスにしかならなくていい感じになる。
何と言うか売り上げがお年玉みたいな感覚だ。

本来はバイトで生計を立てて、
副収入として店の売り上げがあるのがいいのだが、
現在はバイトを辞めてしまっているので、
ちょっと店の売り上げが重要になってしまう。
とりあえず、ウーバーあたりやろうと考えているのだけど、
店に時間を取られ、できなくなってしまっている。
今後はもう少し時間を作って仕事をしたい。
このまま店一筋で行くのは危険なので…。
そもそもこうやって文章を書く時間が必要なのにそれもできずにいるので、
そこも考えていきたい。

実際、そのために12月、1月は
自分からTwitterでのイベント募集は抑えてたりしたのだが、
イベントが入り、結構店に時間を取られるようになってしまった。
ありがたいことではあるが、
うまくやってかないと何も自分のことができない。

予定では昼にバイトか配達に追われてるつもりが、
イベントのみになってしまったので、本当に何とかしたい。
このままでは死んでしまう。

10月をもって辞めた時のバイト先では人数も安定してきていた。
だから辞められたのもあった。
もうマスクのことを予防と言う人もいなくなった。人権と呼ばれた。
バイト先ではくしゃみやせきをしただけで「いやーっ!」と悲鳴を上げられたが、
もうそんなこともないだろう。
チケットの店頭販売の自粛、展覧会などの入れ替え制導入などは定着し、
透明な仕切りも定着した。
このくらいになると未だに感染を気にするかどうかで神経質な正確かどうかが分かるようになっていた。
何もしなければ怖い怖い言われ、何かすれば安心安心と言う。
ちょっと身勝手だなと思いつつ、政府やマスコミの言うことを心理レベルまで浸透させてるんだなと思った。
マスクも50枚で1,000円くらいになり謎の液体が感染対策と言われることもなくなった。
未だに感染症を陰謀と言っている組織もいる。時間があるのは羨ましいが、
使い方に憐れみを覚えてしまう。
政府もすっかり金さえ用意すればパフォーマンスしとけばいいだろうという具合だ。
札が舞う中、議会を舞台に理解できないセンスの踊りをしている。
彼らはもう踊り狂うことしかしないので、ここから先はちゃんと考えて動かないとならない。
空気が冷え込むとともに世間の目も冷えていった。
もう飽きたか疲れたのだろうか、静かに絶望し、見切りと諦めをつけながら冷静に日々をみんな生きている。
もう悲しみも怒りもないのだろう。自分も一つ息を吐けば、何も考えなくなった。
感染者数は増えていっているけど、もうやれることはない。
これから限られた楽しみを享受しながらやれるところまでやろう。

こうやって書いてみると店長というのは
半年やってようやくスタートなんだと思った。
実際やってみないと分からないことは多いし、
決まった仕事がいつもやってくるわけじゃないから、
しばらくやって流れをつかむ必要もあった。
それを掴み切るのが半年というわけだ。

イベントを埋めるのが大変とか利益の回収が大変だという
イメージもありそうだけれど、実際にそこは大変でもなかった。
イベントはなければ自分が立てばいいという気持ちもあるし、
実際に5月はそれでどうにかした。
そうやっていく内に人は集まるので、
その中からイベンターが出てくればいい。
少なくともやってもらうという精神だけではうまくいかないだろう。

基本は自分一人でやる。

その気持ちがあって、やっていって、
イベントバーという性質上人がついてくるようになるので、
それまで頑張る感じだ。
そのまま頑張れれば、人は来るだろうし、来なければバーをやればいい。

バーが基本業態であって、
イベントはおまけくらいに思っておくと生き残りやすいし、
やりやすいと思う。

こう言ってしまうと良くない気もするが、
普通に働くのも厳しくて、飲食店なんてもっと無理だけど、
イベントバーならできそうって考えるのは危険だ。

別にイベントバーをなめるなというわけでもなく、
実際なめててもできるところはあるのだけれど、
ずっとなめっぱなしでいいわけじゃないよということ。
人が集まらなかったり、
天候に恵まれなかったりして客が来ないとか不安定なのは確かにある。
そこで自分一人で自力で何とかやれるっていう精神が必要になる。

うまくいってるときは環境を整えることに全力を尽くして、
ダメな時は自分でしのぐ。
こうやってかないとなかなか続けられないんじゃないかな。
って書けるのも半年やってきたから言えることだけども。
そう言って来月潰れたらシャレにならないけどね。

ちなみに自分は店のことを
バー機能付きイベントスペースだと思うようにしている。
バーがメインの店だとするとイメージでお酒の種類がたくさんあるとかおいしいつまみがあるみたいに思われてしまうけど、
イベントスペースだと飲食のクオリティが求められなさそうなので、
ちょっと気楽にやれるんじゃないかと思ってる。

こんな風に思えるのもある程度、イベントで回ってきてるからだろう。
月に2,3件しかイベントがなければ、
バーの方を主体に考えてたかもしれない。

小さくて音も出せるイベントができる場所くらいなら
やっていける気もする。
他の店で音も出せて飲食も少しできるとかだと結構な料金が発生する。
ただのレンタルスペースだって安くはない。
昼の間はそういう所で勝負できるなぁと思ってる。

自分は料理ができるわけでも特異な経歴があるわけでもなく、
若くもない。何か差し出せるものもないし、応援される身分でもない。

それでも何とかやってけるのは奇跡だなぁと他人事のように思ってしまう。
それだけすごいことなんじゃないかなと。
人に救われて、店に救われてると感じてならない。

冬を越えられるかどうかは実力次第だ。
今までも楽ではなかったけど、
これからは配信や遠隔に頼るのも厳しそうで、
もうコロナに見舞われたかわいそうな店長もいない。
ただ店があって、その店を管理する人がいるだけ
だ。

半年が終わって、始まった。奇跡も助けも頼る段階じゃない。
店を開けて、呼び込んだり、整えていかなくてはならない。

半年ごとに自分の重ねていったものを実験するような感じだが、
またもう半年、試してくことになりそうだ。
成功も失敗も受け入れてく気持ちはあるけど、願わくば成功したい。
いや、大成功したい。

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。