キャスをやりまくって

店に誰も来なかったとき、外にいてあまりに暇なとき、
早く人がいなくなったとき、自粛で人がいないときなど
ひたすらキャスをやっていた。

初めての時は話すことないし、どうしたらいいかわからなかった。
台本みたいなの簡単に書けばと言われたこともあったが、
結局、書くことも思いつかず、そのまま始めた。
その時は話しながら、話す項目を考えていた。
意地で話した項目は覚えていた。
内容も少し思い出せるようにしていた。
少しうまいと言われてからはもっとやるようになった。

それから何も考えずに即キャスを開いてしゃべるようになった。
とにかくやればなんかできるだろうと。
配信をすればするほどうまくなる。…ってこともなかったが、
いつかうまくなるだろうと思って配信しては数時間しゃべった。

結果、別にうまくなることはなかった。
もしかしてスキルレベルのカンストなのか、
次のレベルまで以上に道のりが遠いのか
あるいは別のスキルツリーを育てなきゃならないのか全く分からんが、
とにかく伸びることはなかった。

むしろ、
ひたすら配信した5月は5回くらいやると何だか調子が悪い気さえしてきた。
何と言うか思いつかないし、何か「ネタ切れ?」とまで言われる始末。
うるせぇ。喋ってるだけましだし、キャスにネタもクソもあるか。

ただ、文章との相乗効果は多少なりとも感じた。
結局、この文章と同じで一言喋れば連想ゲームのように次につなげていく。
1文書いたら付随する文を考える。
場当たり的だが、最初から計画して全体図を考えるより
早く形になる。喋りもそうだ。トークテーマなんてないし、
内容を組んでるのも労力と時間がもったいない。
話しながら考えるのが手っ取り早い。

とにかく、頭に浮かぶ全てを話す。
そして、だんだん自分のテンションが出来上がっていく。
最初は更地だった場所に言葉が積みあがって、
いつの間にか骨格ができて建物になるような感じだ。
建物ができてしまえば内装や外装を整えるだけ。
考えることは何もなくなる。
一通り話したら次の骨格が組みあがるまで話すまで。
これが相手も周囲に誰もいないキャスの優位な点だ。
何も気にすることなく話せる。
つまり、自分のペースだけで話すことができる。
更地から開始するわけだから初めのうちは苦労するけど、
組みあがってしまえば一人で話す方が楽になる。
周囲の顔色もうかがわずに済む。
淡々と盛り上がり具合が増減する視聴者数でわかるだけ。

ただそれなりに調子の悪い時もあり、
エンジンのかかり具合が悪いと1時間話してもまだ手探りになる。
通常は30分過ぎればどうにかノッてくるのだが、なかなかそれが来ない。
それでも90分でどうにか上げてはいる。
ちょっとコメントも出てくるので、それに合わせることで話すことができる。
でも、自分のは語気荒めな配信なので、コメントが付くことはなかなかない。
それでも自分の思いつく限りのことを話す。
それにコメントがあまりつかない方が身内ノリになりにくくていい。
公開で話してるし、ネットは一般に向けてやってるイメージだ。
Twitterでさえ、そう思っている。
なんか店だとか近所の話とかそういう通じないのはしたくない。
あと身内いじりとか。
俺は古いネットの人間なのでリアルと繋がらないでネット空間だけで繋がるようにやってる。
誰がどこから見てもわかるようにしたかった。
後から情報を追うと色々分かるようにもしたかった。

話せば話すほど、さすがに自分の話したことは何かを話しながらでも思い出す。昔これ話したなとか。
そのうえでなるべく重複しないように話す。
しかし、1人の人間が話すことなど限りがある。
全く同じ話にはならないにしろ、同じカテゴリで話すことにはある。
話が同じでないならそれでもいいのだが、
同じカテゴリが連続するとさすがにうんざりしてしまう。
その感じは聞いてる側にも伝わってしまうし、
飽きてしまうのではないかと不安になる。

その中でも話し過ぎてるなと思うのが、店のことだ。
このnoteでさえも店に触れない記事はないくらいになってしまっている。
仕方ないことだし、話の始まりが店になってそこから別の話になるのはいいのかもしれないけど、
どうしても客だの売り上げだのイベントだのの話になり、
他に言うことないんかと思ってしまう。
そもそも先ほどの身内ノリを嫌う点でいえば、これは最悪なのだ。
地域の話、身内の話、リアルな場所の話、
全てが自分がネットでやりたくない地雷を踏みぬいてしまっている。
こういうことが多いと精進が足りないと悔やまれる。

少なくとも客と売り上げは絶対に言いたくない。
売り上げは具体的な数値とかではなく、盛り上がり具合も含めだ。
あまりこういうことをやっているとネットでもわかるわって感じにもなるし、何だか来店したうまみも薄くなる気がする。
イベントのことはまだいいかもしれない。
一応、視聴者層はお客さんが大半だし、気になるのだろうから
答えたって別にいいと思う。
ファンサービスじゃないけど、そこを無視するのは気が引ける。

あとは純粋に眠い、疲れた、お腹空いたときにやるキャスはダメだ。
浮かぶことが足りなさすぎる。
元気いっぱいでやる方がいくらでも思いつくし、回転が違う。

結構、キャスの反省は難しくて、
問題が体調なのか気分なのか分からないところがあり、
その中でもどれが原因なのか分からないため、
何を直せばよくなるのか不明になってしまう。

文章でもなんでもそうなのだけど、
調子のいい時を基準にしないというのを戒めている。
例え眠くても腹減ってても寒くても暑くてもできる最低限を基準に考えるようしている。実際、環境と体調を整えるのが一番、
いい仕事をするのに大きな要素なのだが、
とりあえず、最低劣悪の状況でもできれば、
常にできるというのを思想に加えている。

そして、出てきた結論は同じ話、カテゴリをしないというだけだった。
そこからしないならどういう話をすればいいとか発想を促すにはどうしたらいいなど、
複次的に繋がっていく意見は自分の中には出なかった。
最低劣悪の基準だとそれしか考えられないのだ。
やらないことは思いつくのだけど、
やるべきことはやはり思いつくのにエネルギーがいるようだ。
なので、不調なまま回数を重ねてしまうと、
どんどん話すことがなくなっていき、
もはや「うーあー」しか言うことがなくなる。
でも、とにかく日本語を話していかなくてはならないので、
何でもいいから単語を発する。
辛い!元気!やる!楽しい!いける!…メンタル崩壊か。

それでもそんなに回数をやることは悪いことばかりでなく、
元気になったときにやるとその時に擦り切れてた2倍くらい回復して、
もっと話しやすくなることもある。要はレベルアップだ。
擦り切れてた時に積みあがった課題が一気に消化できる。
この瞬間を味わうには摩耗してでもやり切った過去が必要になる。

別にそれを狙ってキャスの限界に挑戦とかしているわけじゃないんだけど、
結果そうなるので、もうこれはこれでいいんじゃないかと思っている。
人というのは長期計画で動くようにはできてないと思うし、
自分は特に勢いというジェットがないと前に進めないので、これしかない。

あとたまにイベント決まったりするし、
何か計画が動くことがあるので良い。
それに毎回やってると前に聴けなかった人が聴いてくれたりするので、
回数を重ねることは悪くない。
本当は人のもたくさん聴きたいのだけれど、
何だか時間がなくてできてない。
でも、通知で毎日のように来る人いる。あれはすごい。

何かを目指してるわけでもないけど、
できたら無限にできたことの一つなので、
ぜひ今後も頑張ってこうと思っただけである。

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。