荒涼たる地を抜けて

突如、首と背中に負荷がかかる。

「…っ⁉」

強制的に開けた視界に光が差し込む。
天井、業務用エアコン、明かり。

(そういえば、スポットライトなんてついてたっけな。使ってないけど)

寝ぼけた状態から徐々に覚醒し、意識が明瞭になる。
椅子に座っている。
エビぞりで上を向いているような姿勢になっているのは、
その状態で寝てしまったからか。

目が覚めて体に血が廻ったのか、ドクっと心臓が鳴るのを感じた。
姿勢を正すと、テキストが移るパソコンの隣に漫画が積まれ、
その横には金庫があるカウンターが見える。店だ。

「そうか…。」

思考が回るようになるとともに記憶が戻っていく。
白紙に次々と文字や絵が足されていくように情報が浮かんでいく。
やがて自分が何をしていたか思い出してきた。

地下にある店なので、
太陽が出てるんだか沈んでるんだかさっぱりわからない。
気候も当然わからないが、寒いというのだけはわかる。
エアコンは消し忘れ防止のために日が変わるとオフになるような
タイマー設定にしてある。
日をまたいでも店にいる時はつけ直してしまうこともあるので、
結構意味がない時もあるが、設定しないよりはマシだと思っている。

去年の5月から何度も見た空間で、
その前からも週に2回はカウンターの中に立っていた。
この光景もまた幾度となく見た光景の一つになる。
それでも帰るのに慣れない。
なかなか気合を入れないと動けない移動時間を要する。
この帰る苦しみだけはいつも新鮮さを保っている。くそくらえ。
なので、Twitterで「帰宅失敗」とか言って、
朝日が昇るころに帰ることも少なくなかった。

帰路にこぐギシギシ鳴る自転車、貨物を運ぶ早朝トラック、
会社員も学生もいない。
11月はいるくらいになると少しずつ寒さが厳しくなり、
クロックスを履いてる素足は感覚が鈍くなるほどだ。

「本当によく生きて帰れたな…」

呼吸も心臓も止まることなく帰れるの奇跡だと思うくらいだが、
何回もやってしまってるため、奇跡と感じなくなってしまってる。
それでも、やはり奇跡だし、安全ではないので、
ちゃんと帰れるように頑張ることにしている。
でも、水商売というのはままならないもので、人生と同じだ。
これは仕事ではなく、生き方なのだろう。
ライター入門の本にもそんなことが書いてあった。

嵐と時化と凪しかない海に漕ぎ出して、年が明けた。
もう「こんなはずでは」も言い飽きた。
こんな時期に船に乗ったことに後悔はない。
むしろ貴重な経験ができたことに喜びすらある。
移動した目の前に現れた島に飛び移る毎日。
未開の航路に地図なんてあるわけもない。
その島には何がいるかなんてわからない。割と何もないことも多い。
怪物が現れることもあるけど、それには慣れている。
2年のイベンター歴も無駄ではなかった。

新しい店ができる

「店、もう一つやることになった」

そうオーナーから聞いたのは去年の年明けくらいだろうか。
何だか記憶が曖昧だ。
飲食店には1店舗ごとに1人食品衛生責任者が必要となる。
誰かに責任者をやってもらわなくては新店舗もできない。

店のことをよくわかっていて、名前を出しても問題のない人物…。
どう考えても自分しかいなかった。それと同時に店長を任される話も出た。
記憶が不確かだから憶測で書いてるが、
店長になる話は食品衛生を取った後に出されたものじゃないはずだ。
そんな後出しじゃんけんみたいなことはない。多分。

店長をやるにしても適性を考えた結果自分しかいなかった。
能力的にはダメだと思うのだが、“この店”をやるのは自分しかいなかった。
よくわかっているし、定期的な行動も取れる、
あと出身地というおまけのアドバンテージもあった。

本来なら肩書や経歴も特別なものがあってこその店長だ。
自分で始めた飲食店ではないし、
ましてイベントバーというネットをマーケティングに使う
業態であるならタレント性が求められて当然だ。
確かに2年もの間入り浸って、キャラクターはついたが、
それは身内での話だ。学校にいるような有名人みたいなものだ。
しかし、それは世間はおろか他校にすら知られていない。

全く知らない人に来てもらうにはキャラクター性ではなく、
タレント性が必要だ。自分を知らない人でもわかるし、
インパクトが与えられるような、そんな。

別店舗をやる都合上とは言え、
本来なら自分は店長をやるような人間でもなかった。
経歴も若さも能力も何もなかった。
フックと言うのかトリガーと言うのかそういった“ひっかかり”のようなものが、
自分には明確に存在してなかった。
紹介の時に何とも言えずただ“面白い”とだけ。
それもどのような面白さで誰に向いているのかも不明だった。
本当に自分は凡庸な人間以上に何もない。

何者でもなく

思えば、面接のときなどでもそうだった。

「やりたいことはなんですか?何をしてきたんですか?」

そう言われて答えられるものは一つもなかった。
何かのリーダーになったことも特別な活動も賞をもらったこともない。
やりたいこともあるようでなかった。
ただのんびり過ごし、時たまこういう文を書ければ、それで満足だった。

今までやってきたことだって、全部中途半端で長続きもしなければ、
形にもならなかった。そもそも形にすることに興味がなかった。
もう完成系が見えてしまえば、興味を失ってしまう。
大体のことが心底はどうでもよかったのかもしれない。

だから、生きるために追い込まれるような事態にならないと
生きてる気がしなかったのかもしれない。

もし。もしも、自分が丈夫でなければ、活動における閾値が低ければ、
簡単なことに必死になれたのかもしれない。
もっと他の人がやってる同じようなことで。
しかし、自分は他人と同じことができるわけでもないのに必死になれなかった。

「あなたは何なんですか?」

そう言われて、答えられず、いなくなってしまった相手もいた。
俺はコンテンツじゃねぇからいちいち詳細とか機能とか求めるな。
って言ってしまえば、それまであり、間違ってもいないと思うけど、
それでは人は去ってしまう。

仕事でも個人でもそのあたりの歯がゆさを感じていた。
店の界隈はネットにあふれている生きづらさの中心地みたいなものであったが、
生きづらさというほどのものでもなかったし、種類が違う気もした。

ただ自己証明がきっちりできないのは不便だった。
不足や自信のなさが原因だ。

そういった意味ではイベントバー店長業にふさわしいとは言えなかった。

しかし、ただ一つ。自分でなければならないというものがあるとするならば。

『店を開け続けられる』

これに尽きる。それに付随して店も地域のこともわかっていて、
接客に拒否反応がないこと、例え得意でないとしてもやる気があることも挙げられる。
メンタルと気持ちというまたもや説明も根拠もないものが唯一の資格となってしまった。

こうして自己証明ができないという呪い、
去ってしまった人の亡霊を引きづりながら、店の管理をすることになった。
主人公ではない者が船に乗って、海原を越えていけるのか不明だったが、
そこに不安はなかった。やることが分かってたからか。
0から1にするような、自分から何かをするのは小心者なため非常に苦手であったけど、与えられたものを打ち返すのには人生経験上なれていた。
火の粉は振り払い、災難は畳みかける。
やはりその瞬間だけに生きがいを感じている。

この話を持ち掛けられたとき、
世界を巻き込むほどの災厄が待ち受けてるなんて思ってもなかった。

食品衛生責任者

食品衛生責任者を取ったのは2月の初めだった。

思い返すと、もしかしかたら取ってもらうかもしれないと一昨年の12月には言われていたかもしれない。
この時はまだバイトを2つしていて、週45時間働いてた頃だったか。
なので、時間が作れなくて、すぐに取ることができずにいた。

食品衛生の受講の日程は複数選べるのだが、
場所を絞ると選べる日程は少なくなる。
そのせいもあり受講が先延ばしになり、1月中受けられなかった。
何とか2月の初めに受けられそうな日を見つけて、応募した。

この時はまだ北千住のシェアハウスに住んでおり、
封筒と証明写真にプリントアウトした書類をなくさずに見つけやすいように
自室の小さな折り畳みテーブルの上に見えるようにして置いてた。
バイトや人との約束、店での予定に疲労具合などの動けなくなる時を、
網の目をくぐるようにして、動ける時間が出来た瞬間に近くの郵便局に駆け込んだ。
そこで切手は窓口で貼ってもらい、直接送ってもらった。

これが北千住在住で最初で最後のシェアハウス近くの郵便局利用となった。必要書類などをなくさずに無事に送れたことに安心した。

受講場所は板橋にあるハイライフプラザいたばしという所。

この周辺は通ってたこともあったので、余裕だと思ってた。
しかし、何を考えていたのか店の近くの駅に行き、
そこからゆっくり歩いてこうと予定していた。

まぁ、地図を見るまでもないのだが、
北千住から行くのならまだ池袋から行った方が近い。
その時の自分は板橋という響きだけで練馬からの方が
近いとでも思ったのだろうか?
おそらく去年の思考を推測すると、
大山とかあのあたりの近くかと思ってたようだ。
あるいは区役所の近くとか。実際はどちらも遠い。
大山も区役所も互いに近いからどっちに近くてもハイライフプラザいたばしは遠い。

到着予定より3時間くらい早く出発してて、余裕だと思ってたけど、
この謎の勘違いにより瞬時にかつかつのスケジュールになった。
何なら、この後に店のイベントがあり、荷物を店に置いてこうとしていた。
実際にはその余裕すらなかったので、直接、受講会場に行った。
また途中まで間違えて道を真反対に進んで行ったので、
余計な遠回りもしていた。感覚で経路を選ぶな。

グーグルマップをにらみながら、
大通りでない知らない道で限りなくショートカットをしようと試みた。
よくわからん大学病院の中なのか横道なのか分からないところも通った。
多分、大通り通るより早かったはずだが、
なにせ知らない道は時間間隔が長く感じる。
不安になってグーグルマップに「これで合ってますよね?どうですかね?」とちょいちょいお伺いを立てる。
そんなに徒歩で細かく見ても現在地なんて大して変わってないから
もっとしばらく歩いてから見ればいいのだが、
心の余裕がなくなってついスマホと見つめ合ってしまう。

目的地、直前の交差点。筆記用具を買わなきゃいけないことを思い出した。
元々、買う予定ではあったのだが、つい道を歩いている間に忘れていた。
さてコンビニで買おうかと思った時、意外とコンビニが遠い!
この時、到着予定より10分前でぼやぼやしてると危うくなる時間だった。
探せ!探すんだ!!何としてでもコンビニを見つけないと。
近くのコンビニが見えたとき、踏切が見えた。閉まっている…。
しかも、閉まったばかりなのかなかなか開かない。

ちゃんと意識的に計画しないといつもこうだ。
想定外の遠回りをする、物が不足している…。
バイトやら住環境が安定してないせいとも言いたいが、
資質の問題もありそうなので、直したい。
しかし、30半ばの人間が今更短所の矯正なんてできるのだろうか…。

そんな不毛なことを考えていると踏切が開いた。
足早にコンビニに向かい筆記用具を買って、引き返す。

受講会場

どうにか会場に間に合った。すでに大勢の人が入っていたが、
まだまだ受講開始まで時間があった。
会場後方の席に座ったが、席が人で埋め尽くされていた。
去年の2月のことであったが、まだマスクをみんながしているとかアルコールをしなくてはならないなど特別な行動を取らされる雰囲気ではなかった。この人数なら今ではマスクをしていないというだけで、
記事ネタの一つや二つになりそうなものだ。

現に今年の成人式の画像は反響が大きかった。
その画像は大暴れしてるわけでもなく、ただ出席しただけの画像だ。
言いたいことは分かるが、言いたいだけで何でも口にするか?普通。
などとSNSに常識的な感覚を求めても仕方ないのだけれど、
情勢を考えた上で比較すると何とも感慨深い。

と、今ならではというか、今しかできない表現と説明をしてみた。
この時は感染のことなど一切思ってなく、食品衛生のことだけ考えていた。
それは当時、何の罪もなく当たり前のことだった。

受講の進行はテキスト読みながら話を聴いたり、
ビデオを見せられたりしてた。保健所のチェックや設備、
細菌の話や健康とは何かなどそういうのだった。
手洗いや管理表などビデオでは使ってるのを見たりしてちゃんとした飲食はやるのかという気持ちだった。
(現在、管理表はないけど、やることはやってます)

後日、この再現ビデオに出てる人の知り合いだという食品衛生責任者の人と会った。
まさか映像とは言え、こんなところで再開するとはびっくりしたとのことだった。
人生何が起こるかわからない。もしかしたら数年後、
お客さんの中にも食品衛生再現ビデオに
出演する人が出てくるかもしれない。別にどうでもいい。

最後、理解度チェックのためのテストが行われた。
多分、0点でも取得できると思うが、
その場合、絶対にテコ入れをされそうなので面倒だ。
補習なんて受けたことないけど、こんな時に受けたくなかった。

結果、5点満点中自分は4点だった。
他に受けた人は満点だとドヤ顔で言ってたので、
いらぬところで人生の汚点がついてしまった。ファックファック。
こうして足りぬ1点を抱えたまま店の管理者としての資格を得た。
この3か月後に1点足りない店長となる。腹立つのでみんなは満点取ろうね。
受講者のほとんどが5点なので。あと、解答解説の時に講師の人が容赦なく、
「これを間違えるなんてなってない」と、
とにかく不正解者に対して鞭を浴びせまくるので、
本当に間違えてはいけない。心が苦しくなる。(※主観です)

その場で食品衛生責任者の資格が取得できるので、
会場を出た俺は食品衛生責任者となってた。
遠回りしたり、筆記用具買いに行って遅れそうになったり、
会場にイベントの大荷物を置くことになっても、
1点足りなくても食品衛生責任者になった。
自分の人生が凝縮されたスタートだった。

イベントで大荷物になる時は自分の中では限られているのだけど、
前はバイトが入ったときにもそうだった。バイト先にドラムバックで行って、帰りには何故かウィスキーのボトルを数本もらい、
荷物を膨らまして店に行ったこともあった。
いつも“この”イベントの時は予定が入るし、荷物が大きくなる。
中は衣装と言えば、わかる人にはわかるイベントだ。

この時も調子が良くて、それなりにお客さんが来てくれた。
カウンターは埋まってた気もする。
買ったばかりの食品衛生の札を見せびらかし、
テキストの内容についても話した。
当時店長だったオーナーにも「食品衛生責任者は管理者に報告する義務があるんですよ。これから報告しますからね。」
と言うと「…うわぁ、取らせなきゃよかったなぁ」と返された。
それからテキストをオーナーに渡したが、
その後のテキストの行方は定かではない。

新店舗内装

手作り内装工事中の新店舗に自分の食品衛生の札を持って行った。
プリントアウトした名前を札に貼って、その時にテキストも持って行った。

店内は汚れが残っており、清掃の手伝いから入った。
自分が行く前にはすでに何人か手伝ったいた。
それでもまだまだ汚れていて、綺麗にした後に壁紙も張った。

壁紙や張る薬剤や道具を用意してくれたのも持ってきてくれたのも有志の人によるものだった。手作りとは言いつつ、業者に頼まなかっただけで、
多くの人の手を借りて内装は進んだ。

新店舗の名前は「ZEN」…だった気がする。
こればかりは本当に間違ってても知らん。全く覚えていない。
それには訳がある。

一度、名前を決めるために今やっているmojaにて名前を決めるイベントをやった。そこで決まった気もした。本当に忘れたな。
それから「ママミルク」とかいう謎の名前になりかけてしまったが、
懸命に理性で面白を抑えたオーナーにより「ZEN」になった。

待ちゆく人の目に映る「ママミルク」…
商店街の集まりがあったときに出される「ママミルク」…
知らない人に紹介する「ママミルク」…噂になる「ママミルク」………。
想像したのだろう。「ママミルク」のオーナーですなんて言う日々を。
他人だったら面白いことでも自分のことになれば、
面白いなんてもんじゃ済まない。自分史に残る恥という黒いシミになる。
たまったもんじゃない。
俺はオーナーの人間性の欠片を信じて良かったと思った。

その後、気合が入らないという理由で「Afro(アフロ)」に名前が即変更された。
なめんなよ。

由来はオーナーの毛質から来ているが、どんだけ自分の頭にアイデンティティー持ってかれてんだよ。
名前を決める段階でごちゃごちゃしてて何が何だかわからん。
覚えてられない。

とにかく、何とか2店舗目も開店し、2馬力で運営することになった。
オーナーが自分で立つ予定でほとんどそうなったが、
何日かは他の人に立ってもらったようだ。
食材の確認をする女性も見かけた。カウンターにはウィスキーの「角」が並んでいた。
オープンは3月の頃だった。

よく知っている新天地

イベントの帰り、オーナーと一緒にいた。
5月から店長にするとの話になった。
前から聞いてはいたが、確定したのはこの時だった。
店長業というのはイベントの予約受付と売り上げの集金がメインの業務だ。
集金に関しては店が開いてる限りしなくてはならない。
今住んでいる場所から行くには無理があった。

「じゃあ、そっち住みますよ」

そう申し出た。店に住むということじゃないぞ。
近くにシェアハウスを運用しており、
そこに住むことにした。実家が近いので帰ればいいだけのことだが、
親に説明するのも面倒であり、
また実家に住むことになるのも親にとっても面倒だったので、
引き続き借りぐらしを続けることにした。

この時点で1年近く住んだ北千住から離れることになった。
覚悟があったので、戸惑いはなかった。
ただまたしても住んでた時の記憶が思い起こされた。

住民と話した夜、謎の飯を作ったリビング、
管理人の店に行ってカードで遊んだり、NBAの試合をテレビで観たり、
荒川を歩いて、商店街をボーっと歩いて、朝早くゴミを捨ててバイトに行って。

派手な思い出は特になかったけど、何でもない日常を始めて住む場所で過ごせた。
リボや借金にも小走りで追いかけられたけど、バイトの掛け持ちで払いきった。

時間ができたら、実家にも北千住にも寄りたい。
その時は当たり前の生活だったけど、過ぎてしまうともう戻らない貴重な時間だと感じる。

コンビニで金を下ろし、口頭で住むことを伝えたすぐ後に家賃を即金で払った。
まさか地元なのにそこで新しい生活を始めることになるとは。
店に関わってから秋葉原で暮らし、
北千住になり、それから生まれたところに戻るとは。
予想できた未来なんて一つもない。

北千住にいた当時から戻った方が楽だという話はよくされた。
しかし、その時にはまだ近くには入れるシェアハウスはなかった。
北千住ならまだバイト先から近く、引越ししやすくて、
店にも行けなくはなかった。
それで新しくシェアハウスができるという北千住に移動したのだった。
ただ店長業にやるとなると無理だった。
後からできた現在のシェアハウスに住むことにした。

生活が安定すれば、店長として店がフルに使えるようになれば。
負担が減る。時間もできる。利用できるものも増える。
この時がこらえ時ではあるけれど、過ぎれば可能性が広がる。

冬の寒さが身に染みる夜だった。きっとこれからも続くのだろう。
夏には何か企画もできるだろうか。忙しくて何もできないのだろうか。
またわからない未来に進んだけど、悪くはならない気はしていた。

帰りの電車は真夜中であったが、人が多く、北千住の店も賑わっていた。

店長の話は確約するまでは言えなかった。Twitterの告知にも出せなかった。
その期間はそんなに長かったわけではなかったが、気持ち長かった。
言いたくてたまらないということでもないが、ちょっとやりづらかった。

分かってきた来店の波

1年目は開店当時を過ぎると少し来客数は落ち着いた。
2年目は認知が広まってきたのか人が増え、
11月には入る日数も来客も多かった。
金曜日より木曜日の方が来店が多いというのもわかった。
週末は仕事仲間や知り合いと行く用事があるが、
木曜日はちょうど何もなくて行きやすいのだろう。

振り返るととても順調だったと我ながら思う。身に余るありがたい結果だ。
しかし、自分も客としても店は利用したので客観的にこれが最高潮であることも感じてた。
そして、人は飽きる。
体感として3ヵ月で人は入れ替わる。もちろんそれより長い場合もあるが、
大体の客はそのくらいでいなくなる。
新しく熱中したものに対してはそのくらいで飽きる経験は誰しもあるだろう。
長続きするタイプであっても
最初の3ヵ月と同じ熱意をいつまでも持ち続けることはない。

人は学習していく生き物だ。動物の中でも学習が早い方だ。

人間そのものが売り物であっても忘れられていくことに変わりはない。
まして、メディアで価値拡大された人種ではないのだ。消費は早い。
1,2年で消える芸能人だってメディアがあるからこそ、そこまで続いている。
ならば、個人で自分を売りにしている人間なんてもっと寿命は短い。
過去に見た路上で感動的な歌を歌うアーティストの名前だってきっと忘れるし、忘れてる。

消えずにいるために

自分個人としては売り物として鮮度を落とさないように、忘れられないように新しいことをしちゃ騒いできた。
うるさいくらいじゃなきゃいないのと変わらない。
いるならいるという。何をやってるかはっきりさせ、
前と同じことはやらない。そうして認知を強めるが、
来店をするかどうかのジャッジはその時までわからない。
この辺りは水商売の厳しさだ。その反面、気軽に何でもやれるけれど。

他人に期待しない意識は強くなった。どんな人にだって絶対はない。
また来るよ、ずっとやっていきましょう、もっとよくしてこう。
そんな言葉は何度も聞いて、何度も無意味な言葉になった。
それでも中には残ってくれる人たちもいた。
俺自身だって無に帰してしまった願いはあった。
やれなかったこともあった。一方的な期待を抱くのは筋違いすぎたし、
自分がどうあっても他人は他人だ。

叶えられた言葉は奇跡で、感謝を忘れない。

他人に期待はしないが、その時、一緒にいる人への想いは強くなった。
自分の視界にいる限り、その人はいる。いなくなってない。
これからはわからないがその瞬間は消えていないのだ。信じられる。
強く信じるようになった。
人がいい、流されやすい、甘いと言われることも増えたが、
そうまでしてでもそこにいる人間のことは優遇した。

ワガママを言おうが、設備にケチをつけようが、見下してこようが。
その時はわざわざ利用してくれた人だから。
次からは知らないけど、
その時は例え屈辱でも拳を握るより感謝に頭を下げた。
気に入らないのならば、次からその人は来ないから気軽だ。
本当にここが学校じゃなくてよかった。

逃げ場と居場所

義務教育中は謝ろうが殴ろうが、明日も明後日も顔を合わせてしまう。
逃げ場があまりにも少なすぎる。
社会に出ると逃げ場はいくらであるが、居場所がなくなってしまう。
学校には曲がりなりにも席があった。所属があった。どんな劣悪でも。

多くの人たちは所属があることに慣れてしまい、
社会に出ても所属を求めるが、逆に所属が得られなかったり、
所属することに苦しくなってどこにもいられなくなってしまう人もいる。
そういう人たちのための居場所にもなるようにやってるし、
自分も居場所のない人としてやっている。

酒を出す店なので自我が出て、そのまま人にぶつけることだって多くなる。
店内では客同士がそうならないようにと思うし、
その自我が自分に来る分はまだいいとしてる。
だから、客として存在してる限りには自分は多くを受け入れてるつもりだ。
何を言われても否定はしない。止めることもしない。
次の日の朝には何も残らないし、
今度も同じことをさせるかはわからないけど。

多くの反省とそこそこある受難のある日々を歯を食いしばる間もなく、
口を開けたままでも迎えていく。
その苦しさ以上に居場所を自分の意思で繋ぎ止めていられることが
嬉しくて楽しいからだ。

別に飲食店の店長なんて珍しくもない。そもそも自分でやった店でもない。
何なら正社員で役職がついてる人の方が信用度が格段に高い。
だけど、この店で店長をやっているのは自分だけで、
そこでしか過ごせない時間がある。
こればかりは社会的信用がどれだけ積みあがっても同じことはできない。

たまたま自分の性格と求めていたものの性質がこの店と合っていた。
だから、やってこれているというのが本音だろう。
これからはわからないにせよ。

シェアハウスへ引越し

シェアハウスからまたもシェアハウスに引っ越すことになったわけだが、
今回は人に頼んで、軽トラで荷物を運んでもらった。
今度のシェアハウスはベッド以外にパーソナルスペースはないので、
多くの荷物を実家に置くことにした。
実家とシェアハウスが近いのはこういう時に役立つ。
そして、軽トラを所有している知り合いはありがたい。

実家に住んでた時、走りに行ってた公園の近くにシェアハウスがある。
戻ってくるどころか住むことになるとは。

色々なシェアハウスがあるが、
他人と住むからこそ協力していかなくてならない…
のではなく、関係の距離を詰めすぎないことが重要だ。
というのは自分が人間関係を築くのが不器用すぎるからでもあるのだけれど。

シェアハウスは普通に暮らして自分が我慢できれば、
問題にならないことが多い。ルールさえ守れば、
シェアハウスで起こる厄介ごとは人間関係のトラブルくらいしかない。
器用に立ち回れば、いくら人付き合いがあっても大丈夫なのだろうけど、
それができない場合は違う方法を考えなくてはならない。

自分の出した結論はそもそも会わないようにする、だった。

火種を消す方法を考えるのではなく、
火種を作らない方が楽だし、成功率が高い。
今回のシェアハウスは店にいられることによってそれが可能になっている。
来店があれば商売になるし、
なければパーソナルスペースとして利用できる。
店の管理とシェアハウス住まいはその点相性がよかった。
他人と接し続けるのが無理でなければ、色々と効率がいい。

他にも荷物を置いて占有率を高めない、
起床と風呂のタイミングを人とずらす、などいろいろあるが、
最も大きいのが食事を取らないことだ。これは店があるからできることだ。

食事は全てのトラブルを擁している。
におい、騒音、空間の占拠、共有スペースでの行動と一気に火種が増える。
また調理をする場合、台所も使うし、さらに音も大きくなる。
そして冷蔵庫も使用する。
冷蔵庫は人の食材を使ってしまうと問題になるかもしれないし、
使われると自分が使おうとしたときに使えないことがある。

一番初めに住んだシェアハウスでは
夜中の3時くらいに炒飯を作った住民がいた。
そのことを管理会社経由で頼まれた住民が注意しに行ったら
長時間の口論になった。その日は午前の7時からバイトがあり、
口論で眠れなかったため体調の悪い状態でバイト先に行った。
他のシェアハウスでは深夜に菓子作りをした人がいて
迷惑だったとかも聞いた。料理という行為が贅沢であると思い知らされた。

これは狭いほど難しい行為になる。
自分は配慮をする負担と食事を天秤にかけた結果、
重すぎる負担が食事を吹き飛ばした。
店があるのだから食事は店でとる。そう固く決意をした。
正式に店長になってからはちゃんとした食事は1,2回あった集まりを除いて、したことはない。
冷蔵庫は腐りかけで不要になったもの以外使ったことはない。
自分の活動で起きたトラブルならともかく、
住むだけで発生したトラブルは抱えたくなかった。

シェアハウスに睡眠と入浴以外の機能を求めるとストレスになる。
トイレでさえ使われてて入れないこともある。
共同生活において全てを充実させることはできない。
特化させる部分と切り捨てる部分があり、自分は食事を切り捨てた。
睡眠と入浴だけは利用して、食事は店で洗濯はコインランドリーなど
他で機能を満たして生活している。

荒れた海に漕ぎだして。そして、新しい店へ

新生活が始まった頃の天候は荒れていた。

桜が咲いてるのに雪が降ったり、
梅雨ではあるが降るのか降らないのかわからず長続きしたり。
近くに引っ越したとはいえ、
自転車で悪天候の中を行くとなると辛い距離だった。
それでも店にはいかなくてはならない。
ただ自分の店に行くばかりで今まで行ってたり、
知り合った店に行かなくなるのは嫌だった。
店長になると行かなくなる人は多い。
夜に互いに活動してるのだから仕方ないといえそれまでだが。

それでも、近所にできた新しい店には特に行くようにした。

板橋本町にある「Garnet」は前のDOCの時に行っており、
店長が代わるタイミングで再び行った。

現役大学生が店長をやっていて、その大学生がオーナーになり、
また店長が大学生が務めるという異常に代謝が若い店だ。

看板から宣伝、仕入れに至るまでコストを限りなく0で行うなど、
とてもユニークな店だ。
何よりもオーナーも店長も話がしやすく、雰囲気がとてもいい。
自分が初めて行ったときは今のオーナーが店長の時で、
たまたま自分と二人きりの時間が多くなってしまったが、
気まずくなることもなくずっと話をしてくれてたのが、好印象だった。

しかも、自分は新しい店を行くときに身分を明かさない遊びをしていくので、
取っ掛かりがなくてやりづらかったかもしれないが、
それでもちゃんと話をしてくれて、
自分がいる店のことを言うと、
さらに話してくれて本当にいい青年だと思った。
若い人だと物怖じしてしまうこともあるかもしれないのに、
そういうこともなく、きちんと話を聞いて、
こちらの問いにも楽しく返してくれた。

また店長が代わったとき、
俺が個人的にイベントバー界隈の記事が欲しいと頼まれていて、
ちょうどその時にも行った。
そこでさらに深い話を聞けたのだが、あまりに内情を話し過ぎるので、
聞いてるこちらが焦るし、
書けないことが割と多く、それはそれで楽しかった。

それからしばらくして、ツイートで衝撃の事実を知る。

アルコールとウーロンの比率が逆…。
自分は得だなと思うけど、普通のお客さんはびっくりするし、
まず飲めないな。だいぶ太っ腹な豪快なメニューになってしまってる。

こんな感じが良くて、
明るい若い人がいるならこれからの時代もそんな悪くないかもなと思い、
自分の歳も考えさせられた。

バーだけど、たこ焼きはおいしいし、
畳も何故か敷いてあるので居心地はいい。
自分が店長やってる店もそうだけど、店というより家感がすごい。
さらに板橋本町は店も多いし、バスも電車も通っていて便利なので、
遊びに行くのにちょうどいい。
特別な用事がないと行かなさそうな場所でもあるので、
これを機会に行くのもいい。

新しい店だが、人脈とTwitterで知った人で早めに人気が出ており、
これからが楽しみな店である。

都会の村

光が丘公園という大きな公園があるのだが、子供の時からよく行っていて、
大学になっても自転車で実家から行っていた。
その道の途中に練馬駐屯地があり、ドンキホーテがあった。
昔は光が丘行くのが目的だったから素通りしていたが、
あまりの存在感に何となく気になるスポットになっていた。
突然、駐屯地とドンキがある地域ってなかなかない。

後にそこが東武練馬という駅が近いことを知った。
正直、こんな所に駅があったのかという印象だ。

しかも、イオンがある。何というか東京ではちょっと珍しくて、
こんなに都内の駅前で堂々とそびえたっているイオンは貴重だ。

それどころか映画館まで備わっており、
この地域の生活と文化を支えているといってもいい。
普通なら地元のスーパーとかがあって、
独立した商店が集まり住民のニーズに応える形になるのだが、
ここはその全てをイオン一つで握っている。イオンキングダム東武練馬。
よくわからないが、治安もよさそうだ。駐屯地があるからだろうか。
実際は知らないが。

またギリギリ練馬で少し行けば、板橋区になる。
全然練馬と名の付くわりには
練馬の中央に近くないのもまたシュールだ。
東武東上線が止まる練馬というのは
貴重ではある。そこに価値があるかどうかまでは判断ができないが。

一応、通り過ぎることが多かったが、何回かは好奇心で行ったことがある。
大きな顔したイオンには感動したし、映画館があることも感動した。
豊島園近くに映画館があるがそれまでは最寄りの練馬の映画館はここくらいしか知らなかった。なお、ここに行くのなら池袋の方が近かったので、
池袋に行ってしまっていた。こうして練馬区民は池袋に文化を享受しに行く。

そんな謎の情報しか知らなかった東武練馬に謎の店ができた。

名前はカフェバー「ARU(或る)」。
もう自分でも謎の店って言ってしまっている。
謎の地域に謎の店ってミステリアスに加減がない。
しかし、不思議なことに全くワクワクしない。
多分、行ったことなくてもワクワクしない。
ただ、この店の店長さんはmoja2でイベントをしたことがあるので、
気になっていた。

その時点で場所は抑えていたので、
早いうちに挨拶して、古参ヅラをしたかった。
Afroと同じようにみんなで内装を頑張ってる店だった。

(が、頑張りすぎでは…?)

店長さんもとてもいい方で話してて安心できる方だった。
またコーヒーの心得があり、軽食もできるので飲食も期待できる。
そして、頑張りがすごすぎる店内の居心地は格別。
店としても部屋のような居心地の良さも兼ね備えてるすごい店だ。
これ、原宿とか下北沢とかにある店って言ってもいいくらい。
いや、決して東武練馬が悪い場所ではないのだけれど。

アーケード内にあるので音も出せるし、伸び伸びできる広さもある。
徒歩圏内なら週2で行きたくなる店だった。
あと、店長の名前(家賃やば太郎)の通り、いきなり家賃がやばくなるなど
事件の香りも漂わせており、東武練馬らしい謎の面白ネタが尽きない。

ここもこれからというときに自粛営業に入ってしまったため、
残念ではあるがそれはそれで生き延びられているので、とても運がいい。
この店はすごい人脈と運に恵まれているので、
行くと何かご利益があるかもしれない。
あと「ARU」の入っている北町アーケードは独特な雰囲気がする商店街なので、行くといい。
グーグルマップで見て、何か感じることがあれば行くと面白いはずだ。
ここもなかなか近所の人以外は行かなそうなので、これもまた機会にぜひ。

あと趣味に生きている人は居心地がいいはずだ。
特に普段はおうちにいる人。もしかしたら仲間ができるかもしれない。
ベストフレンドってやつがさ…。

あとカウンターのLEDが急に色めいてて、
暗くしてつけるとキマる感じなので、そこも併せてお勧めしたい。

国を動かす場所

この国の政の中枢近くにできたイベントバーがある。
前からあったが、自分と似たようなタイミングで店長が代わった店だ。

Bar三代目。
本当にすごい所にあるなと思った。
自分は政治家も官僚にもなることはない人生なので、まず縁がない。
大企業にいく能力はないので、やはり行くことはない。
街を構成しているビルなどの建物が全て高機能で、そこに見栄はなく、
ただただスペックの高さを感じる。威圧感のある街でもなく、
せわしなさがあるわけでもない。どっしりとした安定感のある雰囲気で包まれていた。

自分ならここでどう勝負するんだろう?
居場所さえ保持できればという考え方では飲まれて潰れてしまう。
全くわからない。
人脈や人徳も込みで能力をフルに発揮したところで通じる気がしないのだ。
体力も人間性も全てを総動員させたところでどうにかなるのか?
生々しく言えば、損益分岐点を突破することすら厳しい。
店は残せても自分は生きられるか?

ここで店長をやり続けているということは
その全てを越えているということだ。
魅力的なイベンターを呼ぶ人徳だけではなく、
自身もインフルエンサーとして能力を発揮する。
確かにこの能力なら赤坂という場所はむしろ適している。
ここのオーナー店長で他のコストが抑えられる場所でやるのは
もったいないくらいだ。

動画を中心としてネットメディアに興味があるのなら
興味は十二分に満たされるだろう。
また行くのに気構えがいるとか一切なくて行きやすいので、
大変いい場所だ。自分の店のお客さんやイベンターも結構行ってるので、
本当にとてもいい場所だ。

また自分の足なら永田町で降りれば店から一本で行けるので、
交通の便もいい。(無理がある)
当然、YouTubeだけでなくTwitterも活発に運用されていて、
イベンターの人たちも魅力的なので、ネットでも飽きさせることはない。

うまくやってるなというよりは本当に楽しくやっているのがよくわかる。
それは実際に行ってみると大変よくわかる。
またイベントバーは男性が多くなりがちでもあるが、
ここは女性が店長のため、女性の方も入りやすく、雰囲気がいい。
常連の人で空気が固定されていることもなく、風通しもいいので居心地もいい。
当然、赤坂なので、仕事終わりにも行きやすい。

店長が代わってから主にイベントカレンダーをチェックしたが、
ずっとイベントが埋まっており、本当にすごいと思った。
これは店長をやるとその大変さとすごさが分かる。
自分はバカなので入ってないところは全部自分が入ったし、
入ってても挨拶と説明を兼ねて、やはり自分が入った。
とにかく店長兼イベンターとして強引に回した。
それで本当に回ってしまったが、これは都心では通用しないだろうな。
自分でやってしまうと人脈も広まらないし、何より動けなくなってしまう。
人に任せることにより商売というものは広がりを持たせられるので、
本当にイベントを埋めるということの重要性を認識させられる。

また自分が行った後、店長がmoja2に来店してくれたので、
改めてここで感謝する。本当にマメで活動的だなぁと舌を巻く。

一見すると自分も動き回ってるようだけど、
実際は店にいるにはいてもダラダラしてるし、
発信するときだけやかましいだけで、
そこに戦略も何もなく、ただ無ではないと思わせているだけだ。

なので、本当に営業らしい営業を理想通り貫いているのは感服する。
ましてこのご時世でその姿勢がぶれないのは素晴らしい。
自分の場合、店には入り続けることはできたが、
正直、入りたくないというか寝てたかったし、手は抜きたかった。
ただ手を抜く賢さがなかっただけなのだ。

こういった店が存在することでこっちもなんとかやらなきゃ、
どこか取り入れられないかと刺激になるので、大変ありがたい。
これからも頑張ってほしいし、その間はこちらも頑張る。

利便性と情緒のある街で

北千住に住んでた時からお世話になった店がある。

店長をやる前から毎週土曜日に「ONE 駒込」でイベントをやらしてもらった。
とは言え、存在してるだけで何かしたつもりはなかったのだが…。
料理もするわけではなく、というかできないし、やることはただ喋るのみ。
本当にいさしてもらえ、ありがたい。結構長い間いて、店長をやるにあたり、土曜が厳しくなるギリギリまでやらしてもらえた。
本当はもっと早く厳しくなることを伝えるべきだったのかもしれないが、
ついいてしまった。振り返るとそこでしか会えない人や、
会ったことある人でも違う展開になったりと貴重な経験になった。
また店長さんとは店以外でもお世話になり、来てもらったこともあった。
すさまじくアクティブで行動力あり尊敬に尽きない。

何とか自分も宣伝できればと色々したつもりだったが、
ここもやはり自粛が入り、せっかく広がった輪も無駄ではないが、
完全に生かすことが難しくなってしまった。
それからテイクアウト商品の販売などに奔走し、
店の維持に努めていた。自分も少し手伝った。

場所は駅からのんびり歩いても10分程度と近く、
飲食店も多くいいところだ。
活気もあるし、都内屈指の庭園である六義園も反対側にある。
散策から食べ歩きまでゆったりとできる。

店内も広くて、各種イベントだけでなく、貸しスペース、
小規模会議場としても使える。
本当におススメで相談もしやすいので利用してほしい。

moja2でもイベントをやっていただくことがあり、
お客様としても利用していただけるので、嬉しい限りだ。

静かに押し寄せていく無

自分が店長になったのは2020年の5月からだ。
大規模感染症による緊急事態宣言が発令され、
都も対応するため休業協力要請を出した。

誰も来ないなんてイベンターを何回もやってれば、よくあることだけど、
開けられないというのは初めてだ。
別にこれを機会に政治批判をしようなんて気にはならないけど、
全てを感染のせいにして、追い込まれるのは納得がいかなかった。

とにかく、店長になって初月でこけたくなかったので、
やれるだけやることにした。とは言え、
人が呼べない以上やれることは限られている。
こういう時にネットを使った集客をしていた業態に救われた。

やることはTwitterとキャスしかない。
呼べないのなら忘れられるわけにいかなかった。
この時は給付金の話など一切なくて、
できるとしたら遠隔支払いで何かやるくらいだ。

全てのイベントはキャンセルとなり、俺は管理する箱とともに残された。

「休職なんで実家に帰りますね」
「感染が怖いんで外出できないです」
「うつしたら責任取れないじゃないですか」

人が消えた。店から、街から、目の前から。
誰も座ってない並べられたイスと
いつまでも変わることのないカウンターの上。
きっとこれからしばらくは何も置かれることはないだろう。
憂さ晴らしに流した音楽が爆音で流れ続ける。
俺好みの低音MAXの不自然な音が、店内を響かせる。
知ってたか?重い低音はカウンターを震わせて軽い物くらいなら振り落とすんだぜ。
ちょっと用事で外に出るとその音が2重扉を貫通してるのが分かった。
他のテナントも鉄の扉が閉まっている。
2重に閉めているだけじゃなくて鍵もかかってるだろう。
この店の入ってる地下には俺以外誰もいない。生きている者は俺だけだ!
商店街もシャッターが増えた。日が経つと書かれている「テナント募集」

まさか大好きな終末世界がリアルにやってくるだなんて。
実際に来ると素敵なんて言えもしなくなるな。
収入が死なない程度に入る人は落ち込む程度で済むだろうが、
こっちはそうはいかない。自分で始めた商売ではない、
人に託されたものだ。仕事がなくなっても所属先が負担して、
自分はこれからの仕事探しに困るというのとは訳が違う。
金だけの繋がりと違い、なくなると永遠に取り戻せないものがなくなる。
思い出だったり、文化だったり、人との縁だったり。
似たものはこれから復帰した時にまた作れるかもしれないけど、それは別物だ。
むしろ中途半端に似たものができたら、
なくなったものを突き付けられ続け、辛くなるだけだ。
それにまたコミュニティを作るのはしんどい。

何よりも俺の意地とプライドが許さない。
なくなったら、はい潰れましたじゃねぇんだよ。
何が原因かなんて、何をしたかなんてどうでもよくて、結果潰れてんだよ。
その時に先導してたのが俺。ずっと不名誉が残る。それは死ぬまで。
それに地元だし、築き上げた見えないものが完全になくなってしまうし。
だから、諦められないからと言って何もしないでただいるというのも癪だ。
やれるだけやってやる。どうなるかなんて考えない。
そんなこと考えたって、最悪しか思いつかない。そういう時だった。

閉ざされた希望の中で始まって

5月だが、雨にも降られた気もする。暑かったし。
その中を無料で何とかもらってきた自転車で店まで行った。
ギシギシと踏み込むたびに軋む。
スピードが出ないことより壊れないか不安になった。
現在まで壊れてないので、かなり丈夫な自転車だ。
悪天候だろうが、自粛だろうが行くしかなかった。行かなければ完全な0。
行けば可能性が。何滴か垂れてくる水滴を求め、
砂漠を爆走するかのようだった。実際、想像してみたら嫌になる。
店長歴1か月未満で撤退だなんて。情けねぇ。
どういう方針でできた店だろうが、飲食店経営に変わりはない。
逃げ腰でやれるほど水商売は甘くねぇなんて思われたくも思いたくもない。

4,5月は気候も穏やかになり、
店も周年記念があったりと大変恵まれた月でもある。
2年イベンターやってたら分かるが、11月、12月もいい感じだし、
9月は飲食店的に落ち着いてくるが、
色々組み立ててイベントを考えやすい。
雨が降ったり、外が暑すぎたりすると厳しくなるな。

そういう傾向がもう通じなくなる。先に言っとくと本当に通じなかった。
厳しさは長く、盛り上がりは浅く短く。最低最悪だったよ馬鹿野郎。

自分はこういう感じだったが、他を見ると撤退する店も結構あった。
気持ちはわかる。普通はそうだ。
自分はただそういう方が燃えるだけだった。
感染など関係なく閉店した店も少し前には多かった。
不思議なことに商店街も高齢化が原因で店を閉め、
跡地がコンビニになってる所もわりとあった。
それに今回の大規模感染は輪をかけた。
新しくできた店もあったが、これは不幸だった。非常に共感できる。

画像1

Afroの閉店が決定した。3月のことだっただろうか。
この店は自分が店長でもなんでもなく、オーナーが自分でやってる店だ。
そこに異論は挟めない。
moja2と違って、始まったばかりの店であり、
周知して店を育てていく必要があった店だ。
すでにお客さんがついてる店なら何とかしようもあったが、
0をプラスにできない以上どうしようもできなかった。
自分が店長になるきっかけの店であっただけに
口惜しい気持ちでいっぱいだったが仕方なかった。
ここでの撤退は賢いと言われてた。周りに流されなくても撤退するだろう。

最終日は少人数ながら集まり、みんなで飲み散らかして店を閉じた。
それから撤収作業に入った。この前、内装作業をしたばかりだというのに。

本当にこれは災害なんだなと静かに考えさせられた。
地震ほどダイナミックではないにせよ、
時間が長く、長引くほど地震と変わらない被害になる。
この時は気持ちが重くなる程度だったが、この感染症と年を越えることになる。

Afroの物はmoja2で引き取った。奥から出てきて油で汚れた食器などは、
何故かあったパーツクリーナーで汚れを強引に落とし、
そのあと食器洗剤で残りを落とした。
北千住に行った時も潰れる店が当時のシェアハウス近くにあり、
その店の玄関にコップなどが置いてあり、
持って行っていいとあったので引き取った。
こうしていると意思を継ぐような気分になる。
この時は継げるかどうかもわからず、
自分もすぐに後を追うような結末になってしまうかもしれなかったけど。

物資が増えたのは助かったけど、果たして使うことがあるのだろうか…。
そして、2店舗がまさかの1店舗に逆戻りとはな。
ここまで来たら仕方ない。Afroでできなかったことをやるしかない。

ちなみにしばらくはカレーのテイクアウトなどで様子を見たが、
やはりダメだったようだ。カレーがというよりは利益が見合わなかったのだろう。
人がそもそもいない環境下では感性に頼った営業は当然のように厳しくなる。
それは未来のmoja2の姿かもしれなかったので、肝に銘じた。

5月は普通の人が外に出てなかったが、
Uberの配達員は多く見かけるようになった。
池袋なんかは5人くらい同時に見かけたこともあった。
自分も配達員の登録はしていて、バッグは持っている状態なのだが、
5月はまだバイトをしていたので、出る必要もなく、
Uberをやる気にはなれなかった。
自転車もバッグもあり、店に人が呼べないというのに。
つくづく用意されているだけでは人は動けないんだというのを実感した。
もちろんバイトがなければこんなふざけた生活もできなかったので、
店長になるタイミングで辞めなくてつくづくよかったと思っている。

バイト先の変化

そもそもバイトは辞めるに辞められなかった。
自分は小売りのバイトをしていたのだが、
この時は巣ごもり需要というわけ分からん需要が、
高齢者を中心に発生し、買い占めが発生した。
マスクのみならず、トイレットペーパーまでもが店内から消えた。

自分は通販部門に所属していたので余計に忙しかった。
あまりの忙しさに当時の人数では対応しきれず、
受注する件数を抑えたこともあった。
それでも一人当たりの注文数が多すぎて、運んでも運んでも終わらず、
バックヤードは注文した商品であふれ、仕分ける前の商品が山なら、
仕分けた後の商品の箱もまた壁のようになり人の間にそびえたっていた。

こういう時、時給制なのが悔やまれる。
後になり、特別有給1日と1日分程度のボーナスが
バイトながらについた。ちょっぴり嬉しいくらいだ。
仕入代の足しにはなる。

1月に入った優秀な新人がもう5月時点でリーダー級の習熟度を見せていたので、
早々に辞めたくてたまらなかった。
この時から次のシフトで辞めると心に念じていた。
結局、どんなに習熟度が高かろうが大体の人数がいないので、
手足として残らなくてはならなかったが。
それに自分が抜けるとこの仕事できないなとかわかるようになってしまったので、
頭脳にはならなくとも末端部位としていなくてはいけなかった。

それから新人が多く入り古い人間の比率が低くなったが、
彼らが習熟するまでいなくなるわけにいかない。
新人の時は数としてカウントできない時期がある。
それが過ぎるまではやはりいる必要がある。

感染症の終焉よりバイトが辞められるかどうかの方が、
考えると気が遠くなった。果たして次のシフトで辞められるのだろうか。

バイト先が秋葉原の近くにあり、あまり当時は通りたくもなかったが、
通勤の都合上、通らざるを得なかった。
日に日に通行人は減り、一時は昼の車両の中に自分一人の時もあった。

都心という環境に長くいると
人混みの中を移動するために細かい技術が身についてくる。
まず、5~10m先を見渡す。
それからスマホを見ている人がいたら近づかず、
子供連れなら大幅に避ける、
すれ違いそうになる人がいればその人が目指してる方向を予測して歩く、
など。それでも失敗するのが都会での歩き。息苦しさの一因でもある。

それがなくなった。まるで住宅街を歩くかのように商業地区を歩ける。
深夜早朝の秋葉原を歩いたことを思い出させるくらいの昼の通行量だった。
大規模感染がなければ、心地いいくらいだが、空気が重い。
行きなれているせいもあるけど、
都心に来たワクワク感より不気味さが勝っている。
透明で乾いたおもりが充満しているかのようだった。

息苦しさの方で先にやられる

この時ほど健康で帰れることを祈りながら移動したことはない。
色々な主義主張を感染に対して持っている人はいるけど、
とりあえずかかりたくない一心だった。
これが近所を行き来してるだけなら遠出を控えるかというだけだったが、
都心への移動はさすがにリスクが高く思えた。
自分がかからなくても周りがなるかもしれない。

厳密にはかかりたくないのではなく、
かかったときに責任のとれる行動をしてたか
どうかを気にしてたのかもしれない。
家とコンビニの往復で感染してしまったのであれば、仕方ないとも言える。
さすがにコンビニで感染したのを責められたら食事すら取れないことにもつながる。
だが、バイト先でかかったとなったら?
仕事だから仕方ないと言い切れるだろうか。
まず感染対策はしてたのか、バイトなら辞めて違うところ探せただろう、
実家に帰ることだってできただろう。と責める文句が多すぎる。
かかった瞬間に咎人として首をつられ、火をつけられ、石を投げられる。
その構図が目に見えた。死につながる感染症だ。
少し痛いだのかゆいだのでは済まない。最悪なのが、
治っても後遺症付きだ。リスクがでかすぎる。
可能性の世界だが、0ではなく、
全人類に突き付けられたロシアンルーレットくらいの確率だ。
今までなかった死の可能性が今まであった死の可能性に乗っかってくる。
それがどこまで事実かわからないにせよ、無ではないのとそういう情報が流れてくるのが苦しみを生んでいる。

シェアハウスでも冗談レベルで嫌な顔はされてるし、
バイト先ではうっかりシェアハウス暮らしを言ってしまってるため、
感染を不安がられた。

居場所どころか生きるための仕事先と居住先すらも不安の種になるなんて。
これを書いてる今、陽性の診断が下った人が命を絶った記事が流れた。
それも都内で。予想の域を出ないが、
村社会で責任を外から問われた末とかではないだろう。
責める人もいたかもしれないけど、
おそらくは自己責任でその結末を迎えたのかと。
この記事を読んだ瞬間、一気にしんどくなった。
あちこち好き勝手向いていた全ての目が突然こちらを向く。
それも敵視で。耐えられるか。
自分がなったときは自分のことだから具体的にどうすればいいかまだ考えがつく。
だから、落ち着いてられた。
しかし、他人のことになると考えられない部分も加わるから
余計に苦しくなる。ニュースという断片的な情報が想像力を働かせる。
書いてあること以外のことに思考を巡らされる。
どれだけどれだけ辛かったのだろうか。
こうやって文字にすると発狂しそうになる。やめとこう。

この当時から予想はついていた。
今まで生きにくかった人はさらに生きるのが厳しくなるだろうと。
単純に持ってるものが少ない人間から消されてくだろう。
そして、長引くほど持ってるものが多い人にも響いてくる。
結局、この死の環境は逃げ切れるかどうかだ。
殺すのは感染症ではない。まずはルールが殺してくる。
そこに感染症が寄り添う。
経済という死神が持ってる感染症という鎌は撫でられても振るわれても命が散る。

自分はそういう事実と風潮があったとしても、
少し間を置けば冷静になれる。
心をいつまでも痛めるほどの記憶にならない。確かに思い出すと苦しいが、
それで行動に何らかの変化が出てくることもない。
しかし、そうではない人はどうだろう。多分、そんなに多くない。
生活の為に変わらない日々を送る人が大半だ。
だからこそ、耐えられなくなった人の心中は地獄絵図だ。想像がつかない。
たった一人で恐怖と向き合い、
それで動けなくなったらそのことが罪悪感を生む。
何もしなくても生活が安定してるのならそうはならないだろう。
だけど、生活の為に動かなくてはならない人は精神の負担もしくは仕事量が増える。
本当はそういう人たちこそ安定して頑張ってもらわないといけないのに、
倒れてしまう可能性が高くなっている。
経済で死ぬというより、社会に潰されて死ぬ方が早い。

配信と営業と

接触をしない仕事のやり方を模索せざるを得なくなった。
秋葉原からはカメラマイク付きのPCが消えた。
ウェブカメラやマイクなどの配信機材も消えた。
それほど世の中のサラリーマンは
配信機能のあるPCすら持ってなかったことにびっくりした。
あるいは会社も渡せなかったことに。
情報機密の問題で仕方なかったのだろうけど。
自分も使うつもりはなかったし、手持ちのPCかスマホでいいと思っていた。

ところが、店でもZoomをやる流れになった。スマホで対応したけど、
ちょっとYouTubeLiveもやったらどうなるんだろうと思い、
PCを使うことに。登録人数と再生数の要件を満たしていないと
スマホから配信できないので、PCを使わざる得ない。
しかし、使おうとしたところ自分のPCにはカメラもマイクもない!
一見、マイクっぽいのがあるの見たけど、飾りらしい。
本当に故障とかではなく、そういうデザイン?のようなのだ。
そんなことがあるだなんて思わなかった。
今どきのPCならみんなあるものじゃないのか。
会社員の人たちもそんなことがあるのか?いや、さすがにないでしょ。

そんな緊急事態が発生したため、ウェブカメラを探すことに。
何故かマイクは内蔵されてたので。不思議なPCだ…。
ちょっと高くてもいいから買おうと思っていた。

が、全く見つからない。

ここまで買い漁られているとは思わなかった。
きっと同じ考えだったのだろう。
何とか探した3,000円近いウェブカメラを購入した。
ちゃんと言うとこれはウェアラブルカメラで、
ウェブカメラの機能はおまけのもだった。
無駄に防水機能をガチガチに備えたウェブカメラが
店に置かれることになった。頑丈な防水処置のための丈夫なプラケースみたいなのに入ってたが、邪魔なので外してしまってある。

結局、配信はYouTubeLiveはやらなくなり、
スマホでZoomのみをやるようになった。
他の配信方法も検討されたが、それに関しては一度きりで終わった。

事前に料金を取る形でZoomは行われた。
画期的であった気もするが、会議以外で使うにはやはり無理があった。
Zoom飲みというのが一瞬流行ったが、現時点では聞かない。
まだ企画進行がしっかりしていて、役割分担があるのならスムーズだろう。
しかし、そんな飲みあるか?疲れるし、疲れてまで飲みたくない。

最近のことではあるが、再びZoomイベントをすることになった。
わりと主旨のはっきりしたイベントではあったが、それでもつらかった。
企画はしっかりしていたが役割が甘く、
結果的には店側だけが進めることになった。というか、俺がずっと喋ってた。
本当に大変で、相手側は役割なくただ画面を見てて進行に応じるだけで、
進行役は常に相手の反応を表情だけで探るしかなかった。
こちらまでだらけてしまうとやる意味すら失われてしまうので、
そうならないようにひたすら何かを話していた。
そうすると何が起こるかというと相手は応じることもなくただ聴くだけで、
自分が一方的にしゃべる空間になってしまうのだ。
一応、聞き手のことを考えながらしゃべるが、
意外な質問が時々来てしまい、それに何とか答える。
自分の中でもうまくいけばいいが、ぼんやりしてしまった場合、
相手の反応を見るが、相手もぼんやりしていると虚無が支配する。
すごいズレたことを言い続けてないか不安になる。
かと言って、返事も強要できない。

これは即興でやるプレゼンや授業みたいなものだ。資料も台本もない。
ただあるのはテーマだけ。これは労力がいる。
かと言って、先生といわれる人間をこれで尊ぶ気にもならなかったが。

Zoomのおかげで発表や会議というものは
テーマと資料を作りこむことの大事さを思い知らされた。
例え無駄になったとしてもそれはそれでいい。
むしろ、足りなくなることの方がマズい。
進行が止まってしまうからだ。あるいは時間の無駄になってしまうからだ。
そういう意味では時間の貴重さも思い知らされる。
かける時間に対する満足度を意識する。
適当にやってしまうと他のことをしてた方がマシだったとか言われてしまう。

最初に店でやったZoomは
その後、数回やった後、2度とやることはなかった。
多分、6月以降はやってないはず。使い方を覚えただけで終わった。
最近のイベントで役に立ったが。

そして、YouTubeLiveもやらなくなったわけだから、
ウェブカメラも意味がなくなった。ウェブカメラに対しては色々、
使い道を探ったが、そもそもPCとの相性が悪く、使えなかった。
余計な仕事と出費が増えたが、授業料として生かしてくしかない。

泥沼の徹底抗戦

4月までできっちりなくなったイベントたち。
5月のバイト帰りに開ける空の店。
開けない言い訳ならいくらでもできる。しかし、

「開けなければ、確実に0」

大規模感染前の言葉かもしれないが、
店長になって初月の俺にはこれしかすがるものがなかった。
絶対に店は稼働させる。店の費用は店の収益で相殺させる。
店の金は店に払わせる。
開けても意味ないかもしれないけど、
どうするかは開けながら考えればいいこと。
店を閉める理由は大規模感染以外に見つけてから閉める。そう決めた。

とは言え、この店でできることってなんだ?客がいないのにどうする。
ツイートでの告知すらできない。
していいものではないし、誰が見てるかわからない。
誰かしら見てるのがネットのいいところだが、
誰かしらに見られて悪意を撒かれることもある。
厄介なもんだ。誰に見られてるかわからないのがタチが悪い…。
…そう、見てはいるんだよなぁ。

店が暇なとき何してただろう。
誰もいないときに何かやってることなんてあったかな。
去年、人が来ないときなんてなかったからなぁ。

キャスか。ツイキャス配信なんてやってたな。
まだ秋葉原に住んでた時。この時の秋葉原は感染症とは無縁の時だ。
初めての時は何を話していいかなんてわかんなかったな。
やってみたら、話してくと自分の言葉から連想させて話すことで長く話せることが分かった。
一番最初では頭の中に話す項目を決めてたけど、
今では一番最初に話すことを適当に組んで、
それでスタートさせてた。
ひどいと話しながら組んでそこから広げていった。
何回もキャスをやることになったが、
結局、コツは話を途切れさせないことに心血を注ぐことだった。
止めたら終わる、視聴数が減ると言い聞かせて、とにかくしゃべった。
話すほど人が増え、減り、また増える。この繰り返しで人をとどめていた。
誰もいない状況を作りたくなかった。
今では贅沢になり、2桁の視聴者数で安定させたいと思っていた。

これしかなかった。告知や宣伝はおろか挨拶すらできないなら。
ついでに遠隔で収益を求めよう。これはおまけ的なものだけど。

店が沈黙してしまうことで存在感を消すわけにはいかない。
イベントバーの中でもブランドがあるわけではない。
インフルエンサーもいなければ、特殊な若者が活発に動く店でもない。
すぐに忘れられるような店だ。少なくとも覚えている人は減る。
そして、そうなって廃れれば覚えてた人ががっかりしてしまう。
店長となった責務と意地以上にそのことが大きい。
売り上げなんてどうでもいい。声を上げろ。
生きてた痕跡だけでも刻み込め。

ひたすらキャスをやった。
数回しかやらないのなら話してる内容も覚えているものだが、
あまりにも回数を重ねてので、全然思い出せなくなってしまった。
それでもネタ切れ感があると指摘もされたが、とにかくやった。
待てど暮らせど客が来るわけじゃない。
だが、確実にこのキャスを聴く人はいる。
聴いてて何が面白いのかしゃべってる俺にだってわからない。
それでも、聴いている人がいる以上は思いついたことを片っ端から話す。

しゃべってないなら死んでるのと同じだ。そのくらいの気持ちはあった。
実際、配信がなければ、俺が何しているかなんてわかったもんじゃない。
文章書いてたって、そんなこともわかるわけじゃない。
それは自分も同じことだった。

配信がもたらすもの

確かに存在感を示すためにキャスを始めたと書いたが、
それだけではなかった。

自分も人のキャスを聴いてると安心感があった。
何をしてるかわかるだけでなく、他人と接している安心感があった。
疑似的なものかもしれないけど、孤独感は紛れていた。

そういった意味でもまたキャスをやる意義はあった。
この俺の声でいいのかわからないが、数字だけを信じてやる。

究極、ネタに関してはバイトをしてたおかげもあって、
本当に尽きてしまうこともなかった。
あまりバイトをネタにすることもなかったが、ネタの枯渇は防げたと思う。
一ヶ所にいて刺激がないと心が虚無に支配される。
生きる以外に何も残らなくなってしまう。

あとキャス自体の収益化も図った。
前は1ヵ月に2回とかの配信だった気にもしてなかったが、
頻繁にやるようになり、
設定をいじってたら見つけたので収益化を検討した。
結果、ライブ収益以外は収益化に成功した。
ライブ収益は再生数に応じて収益が出る方式。
キャスのいいところは登録者数関係なく、
広告もなく条件を満たすことで直接収益が出るところだ。
一体、どんな利益構造してるのかは不明だが、ありがたい。
多分、一部課金アイテムから会社は収益を得ているのだろうけど、
そんなに高くはなかったはず。

それでも復職と言うにはほど遠い収益であり、
元々それが目的ではなかったので、
自分の気持ち以上に数字を気にすることはない。
0人ではない限りやり続けようくらいしか思っていない。

それとは別に遠隔に対応したサービスもしていたのだが、
聞いた話であまり高額な遠隔支払いが
あると支払いシステムの利用停止になるとのことだった。
これにより、おおっぴらには遠隔を求めることができなくなった。
店としては決して、
高額ではなく普段の遠隔より少し多めなくらいだったが、
利用客からすれば、そのあたりの関係性が不明であり、
いらぬ心配をかけてしまうので、遠隔の利用を求めることはしなかった。

話の出先にも思うところがあったし、
今後の不安もあったので、少し困ったが、
どの道、売り上げ目的でやっていたわけではなかったので、
やることは変わらなかった。毎回やって聴いてくれる人がいる限り、
やり続けるだけだ。

これがきっかけか一緒に配信する人も出てきて、週1でやることになった。
実はこの時まで誰かと定期的にやるのは初めてで
企画があるのも初めてだった。土曜の昼にやったが、
その割には多くの人が聴いてくれた気がする。
これは自分ではなく、一緒にやってくれた人の力が大きい。
自分一人ではできない話の展開ができたので、大変面白かった。

ちなみにキャスは1度話すと3,4時間以上は話す。
1時間とかで終わることはない。
外を歩きながら話すときは1時間というのはあるが、
店で話すときはそうではない。
何故かというとコインというものが投げられ、延長されるからだ。
別に延長されたからといって、律義に話さなくてもいいのだが、
自分はどうしてもコインの分を話したいため、気合でしゃべっていた。
それは大規模感染症の中でも変わらない。
だから、回数を増やすということは、
週に何10時間話すのかということになる。
ネタも切れないわけがないと思った。
実際、ちゃんと企画あって筋道があるわけでもないからネタ切れの心配はなかった。
思いついたこと何でも話すだけなので。
そういう意味ではゲストがいるのは楽で、
ネタも2人分あるし、時間も短い。

在りし日々となってしまい

イベントが適当に入っていて、たまに自分が入っていた。
これは感染症が蔓延する前の話だ。自分が店長だったわけではないが、
この店の流れはわかっていたはずだ。
だけど、それが自分がひたすら開ける状況では全くわからなくなってきた。
もうこうやってずっと開け続け、喋り続け、
住居と店の往復にバイトが当たり前になってきていた。
これがいつ終わるのかなど、考えなくなっていた。
目の前に映る光景が刷り込まれ、
ただ過去の自分の信念を果たすことだけに毎日が費やされた。

まして、キャスをやっているとはいえ、人の話を聴くこともないし、
店長という立場は誰にも共有できるものでもなかった。
別に悩みなどはなかったが、人と知人と社会とみてる景色が違いすぎる。
言ってはいけないところもあるし、言っても理解されないことも多かった。それが後者なのだろうけど。大規模感染症の前には何を考えていたのだろう?

書きながら考える。
イベントバーの性質に関しては熟知していたので、
店長前の想定と現在でかけ離れてることはなかった。
謎にネットを使わず、ドリンクを買いに行くので、それが面倒なくらいだ。
そして、イベント誘致と予約管理まで分かってたし、
中での動きもわかってたので、応じてサポートはしてきた。

イベントか。オーナーが店長だった時のペースを想定していたな。
だから、もっと自分は店にいないものだと思ってたし、
いやらしい話、自分が昼から夕方バイトし、夜に店に少し行くことで、
稼ぎの幅が広がるものだとばかり思っていた。
しかし、店の稼働域は縮小、
その分は自分が回転させなければならなくなった。
車輪が小さくなり、必死こいてこがなければ進めないようなものだった。
この時ばかりは自分に体力があったことに感謝した。
貧弱なら参ってしまう状況だ。

店を想定通りの動きをさせるために想定以上の動きを自分がしただけだった。
目的のために効率や合理をなぎ倒して、
無理矢理に駒を進めることよくあるけど、
今回もそれを長期スパンでやるだけ。相変わらずの人生だったな。

この時、バイトも週3で別に厳しくなく、
後は店に注力すればいいだけの話だったが、
問題が。確かに回せる。しかし、それが良くない。
回せるあまり際限なく回してしまうのだ。開ければ来るかもしれないし、
キャスをすれば人が聴く。もちろん…というのもおこがましいが、
キャスに関しては、視聴数0なんてことはなかった。
一応、求められている。やることがあるし、
意義がある。これが本当に良くない。
いつの間にか自分の時間は無くなってるし、
純粋に休む時間が無くなってる。
別に休んで回復したいとかではない。
店とバイト以外の経験が消えるのがダメだ。
これって、振り返ったとき(あれ、俺って何してんだっけ…?)となる生き方だ。

しかし、店と俺、どっちが無になるのがいいかと言ったら、
俺が無になってでも店を記憶にも物理的にも残すという結論になる。
まして、店の寿命は俺より短い。多分。だったら、最後まで面倒を見たい。
無責任に飼ったペットみたいにはしたくないので、きっちり育て上げたい。

店


(最後まで面倒見てね…)

とは言え、俺も無にはなりたくないので、
何とか試行錯誤しながら形を保てるようにしたい。
まぁ、イベントバー知ってる人なら分かると思うが、
こんな店にいなきゃ回らないなんてこと普通はない。
今までになかったことなので対応の仕方が分からず、
こうなってしまったというところもある。

他店では様々な工夫をして乗り切っていた。
デリバリーを開始したり、そのプロモーションをしたり。

だが、自分はこんな器用なことできないので、却下。
このタイミングでやるとパクリになるというのもあるが、
利益予想だとか立地を考えたらちょっとなじまないなというのもある。
実際、Afroではテイクアウトを行っていたが、続かなかった。
うーん、今思えばmoja2で昼やってもらえばよかったのでは?
という気持ちと発想もあったけど、人を酷使する結果にもなりそうだし、
別にいい。

変容していく街と店

5月の初めは大手チェーンでもアルコールが
入り口に置かれるくらいだった。それが時期が進むにつれ、
わけわからんつい立てができたり、座席が減らされたりとうっとお…
とにかく感染前になかったものがすごく増えた。
これはストレスだ。モノも制度も。
普通に飯を食わせろって言いたくなってしまう。

そして、デリバリーやテイクアウトが増えた。
営業が縮小したりするのは嫌だったが、
テイクアウトはちょっとうれしかった。
店頭に置かれてるとわかりやすいし、中に入らなくても食べられるので、
こればかりは結構、続いてほしいと思った。
ずっとでなくてもいいから曜日によってはあってほしいなぁと。

こう思ったのも串カツ田中でたまたま買ったテイクアウトがおいしかったからだ。
これはマジでうまい。唐揚げだが、特にうまい。
そもそもあそこの商品はテイクアウト向きだ。
酒なんて、誰でも出せるのしかない。
ホッピーとかビールとかサワーとか。あとは揚げ物ばかり。
やり方もうまい。まさかこんなところで明暗が分かれるとは。

これに行ったのは店をテレワーク利用で貸してたのがきっかけだ。
さすがに昼飯まで提供できなかったので、商店街に買い出しに行った。
なお、この後、利用者が酒を飲みだし、キャス配信をやりだして、
仕事の進捗は不明だった。
さらにキャスの配信最長記録を奪われてしまった…。
おのれ大規模感染症め。(ご利用ありがとうございました)

こうなるとソーシャルディスタンスだかテイクアウトだか
当たり前になってくる。
自分はこれでも違和感を持ってる方だと思ってるけど、
特に飲食とかに関係してなければ、すっかり見慣れてしまっただろう。
さすがにUberが列を作っているのはギョッとしたが、
駅前とかにたむろしてる配達員とか
ちょいちょい街中で見かける配達員くらいなら慣れてきた。

ここまでくると感染前のことを思い出しづらくなってくる。
マスクも普通につけるようになったし。
自分はマスクがすごいうっとおしいタイプなので、
冬でもめったにつけなかったのだが、今では毎日つけて当たり前になっている。
あと、食事をするときにマスク外すと髭だらけの男性増えたな。
化粧をしばらくしなくなったという女性も聞いたことあるし、
こんな変化もあるんだな。自分もマスクをつけてるおかげか喉が荒れなくなった。
口腔内が乾燥しやすくて、
鼻水があまり出ないのはいいが、直接喉がやられてしまう。
それが今年はない。春でも少し荒れるけど、それがなかった。
感染対策よりマスクが人を変えたまである。
もちろん自分は好きではなかった。
まぁ、電車に乗っていれば他人がつけてるのは衛生的でいいなと思ってしまったかもしれない。いずれにせよ、自分は面倒だし邪魔で仕方ない。

しばらくすると、感染前の状況になったら、
「あれ?こんなに守らなくていいんだっけ?」ってなるかもしれない。
多分、ワクチンできたらそうなるのかなぁ。

監視社会フル活動

しかし、このご時世のきつさは
孤独なくせに常に誰かに見られてるんじゃないかという衆人環視の社会だ。もうこの記事を書いてる時点では聞かなくなったが、
自粛警察なんてものがいた。
これは警察じゃなくて、見かけた一般人が営業してる店に行って、
営業に批判的なチラシを入れたりするものだ。
大手ならともかくやられた個人店の精神的負担はたまったものじゃない。
守ってくれる存在は何一つないのに攻めてくる謎の存在はいる。
それも隙を見せたときだけ、形を成してくる。

政府に対して、言葉にして許せないなと思うのはこれを予期しないで
そのまま喚起をおこなったこと。素人ではないのだから、
飲食店が非難の的になることくらいわかるだろう。
後出しで保障があったりしたが、損失が大きい。
せめて発表の仕方とかうまくやってほしい。
被害は絶対に防げないとは思うけど、
飲食店からしたらあまりにも露骨な会見をしていた。
民衆のコントロールをもはや放棄してる。
それが唯一、一番憤りを感じるところだ。

小規模飲食店、独身、身寄りのない高齢者など多くの人々や
団体が孤立させられている。全てが政府のせいではないけど、
その孤立に対して寄り添った政策は後回しにされた。
幾ばくかの犠牲の後に仕方なく対応したという感じだ。
そもそも2年前の12月時点で渡航封鎖しなかったのは疑問である。

誰も助けてくれないのに誰かに刺されるかもしれない社会は
本当に政府が介在してるのか。むしろ政府が作り出している。
治安も悪くなったのか自分が普段通ってる道にパトカーが増えた。
自分でどうにもできないのに、人に頼れない。

見える縁と絆

それでも、店を任されてよかったという瞬間はある。
色々と手伝ってくれたり、心配してくれたり、
誰もいないときに近所で様子を見に来てくれる人がいたり。
感染前にすごい来てたわけではなく、
この時期で本当に心配で助けにきた人もいた。
自分を取り巻く遠い社会などの枠は信用ならなくなったけど、
より身近な人たちの絆は強く感じた。
利益を越えて繋がってるのが分かった。

しかし、依然として遠くの人たちには声を届けられない。
利益がなければ、存続が危うくなるので、
身近な人との縁だけではやっていけない。
縁を保つにも結局先立つものがなければならない。
そのための宣伝や告知ではあるが、
人を集めるのは責任が持てないというのを通り越して、
もはや罪悪感すらある。イベントがなくなったと書いたが、
自分がイベンターだったら断るかもしれない。
店に悪いというのもあるかもしれないが、
人を移動させて集めたという事実があり、それが原因で感染したら、
責任が問われかねない。
もちろん店に来る来ないはあくまでもお客さんの自由意志であり、
それで感染しても自己責任であると言えるかもしれないが、
それをわかった上で来てくれて、そのうえで感染してしまったら本人が
「気にしないで」と言っても、周囲の反応は冷たいだろう。
そして、店に対しても社会的責任と倫理を問う声が挙げられるだろうし、
クラスターが発生したという事実はずっと残ってしまう。
まして、ネットで店内情報を発信している店だからこそ拡散もするし、
イベントを扱う、つまり常連客や近所の人たちだけではなく
多くのいろんな人を巻き込んで運営するということは
営業に様々な責任が発生するということでもある。
近所や常連だからいいというわけではないが、
彼らなら協力体制が築けているし、対処ができるという信頼がある。
だが、店のことをあまり知らないで利用する人には分からないことが多く、
補助が必要になるし、イベントの為だけに来てくれているのだから
その時間を不安で損ねるわけにはいかない。
トラブルが起きても対処できるほど慣れているわけでもない。
そのためイベントバーというのは自分一人で企画をしなくていい分、
様々な責任を負って運営している。もちろん普段はそこまで考えなくても
良心的な利用してくれる人しかいないので気楽にできるが、
こういった事態になってしまうと
やってくれる人にどんどんやってもらうなどとするわけにはいかなくなる。

またいったい何が咎められるかわからない状況でもあるため、
開店情報を伝えるのに躊躇する。
いわゆる炎上の火種が何になるか不明なのである。
こうなるとネットやらないか鍵アカウントや
LINEなどのクローズドな環境においてでの発信しかできなくなる。
ネット集客を主にやってきた店の弱点を直接突いてこられた。
それも一般大衆向けにやってるというよりは普通とは違う変わった店で、
狭く深く刺さるような層に向けて営業していたからダメージは大きい。
ネットでやるならとことん広く向けてやっていれば、
このご時世でも来てくれる人はいたかもしれないし、
クローズドな宣伝でも十分だったかもしれない。
それが認知されている範囲が狭く、地域の人でもないとなると、
このご時世でどうしても行くという人は壊滅状態になる。

自粛警察のようなリアルな攻撃に加え、
ネット炎上というリアルより
さらに見えない遠くからの攻撃の可能性もある。
つまり、リアルでもネットでも動けないのである。
来店客にいないという信頼のもとで書くが、
攻撃する側は気楽だ。何の得になるのかわからないが、
守るものがなくてただ責めればいいだけだ。

「感染したらどうするんだ」

これだけ言えば、有効な攻撃になる。
最悪なのが、関係ないだろと言えないところだ。
お前だけの問題ではない、
地域の、人間の問題だとデカくしてもウソにならない。
普段から中傷が好きでたまらない人物にとっては
最高の時代が来たのではないだろうか。
街にあるもの全てが攻撃対象になる。
夢はないけど、生きるのに不満だけはある者。決して少なくないとは思う。自分も日ごろのTwitterを見ればわかると思うが、
そういった者に共感するところはある。
たまたま店があって、そこで知り合った人たちがいて、
社会とは別のルートで人脈ができて、
それで存在が認知されて自分は居場所ができただけで、
そうでなかったらそういう人になってたかもしれない。
自粛を他人に呈するようにはなってないと思うが、
人と会うのを億劫に思ったり、
人ごみを見て嫌気がさすようにはなってたかもしれない。
おそらく、少しでも人がいる場所には
いかないようになってたかもしれない。
人とすれ違わないような場所を選んで行くなど
神経質な選択をするようになってたかもしれない。

本来は見えない感染症が敵なはずなのに
目に見える人類同士が攻撃し合っている。
協力関係を構築しなければならない存在のはずなのに
警戒し合う間柄になっている。
しかも、上記のように気持ちがわかる存在だけにタチが悪い。
不安や日頃の苛立ちに負けて責めてくる相手を
一方的に言い立てることはできない。
もちろん理不尽に対しては言うことは言うが、
決して気分のいいものではない。
この感染症騒ぎがなければ互いに言い合うこともないのがわかってるから。互いに不幸なんだと思うからだ。ただの理不尽とはわけが違う。

本当に何をしても八方塞がりな状態を感じる。
どんな企画を思いつこうが、適した人物を見つけようが、
記念日を迎えた人がいようが、全てにためらいが発生する。
制限があった状態で、実際にやり取りをしてこっそりでもいいからやろうとなったのは片手で数えられる程度。
それもかなり厳選して、
身内盛り上がりでも構わないからという了承の下で。
確かに密でなければいいとか、
時間までなら開けて構わないなど条件付きでの営業は公に許されていたが、
その条件でやってくれる人はいないし、
普通の店として自分が開けるのはできるが、
宣伝はできないし、やはり来店客は少ない。

正直、全ての店が自分のところと同じような状況であれば、
店での感染なんて考えられないだろうな。密なんてのとは程遠いから。
しかし、それでは店がそもそも成り立たない。
大資本の飲食と零細個人飲食店を同列に並べてるから
こういったおかしな自粛と補償が生まれる。とはいえ、
規模に応じた補償をするとなるとあらゆる費用と手間がかかりそうだし、
現実的ではないのだろう。

じゃあ何が正解なのかはわからない。
確かに政府の物言いは腹が立ったが、現状のやり方以外に
有効な手立てが思いつくわけでもないし、
今のやり方と結果にまでは文句はない。
こう考えると自分も自粛警察と同じで、
何か建設的な意見があるわけではないのに、
攻撃の矛先だけは定められている。
彼らも攻撃はしたいけど、できないからその不満と不安を目に見える店にぶつけているのだろう。実際やらないだけで、
自分と自粛警察は似たような心理構造なのかもしれない。

可能性が閉ざされた世界

感染症前は花見の配信や街歩きの動画でも上げようかと考えていた。
しかし、その間にアウトブレイクが発生し、
初夏を迎える頃には感染症がすっかり定着していた。
それが店長になる時なんだが、本当に天運に恵まれてる。
人類史上類を見ない事態とともに店を任されてる。
新卒採用の時も地震がやってきた。東日本のあれだ。
一応、栄転ではあるはずなのに、いつも災禍に見舞われる。
決して俺のせいじゃないんだ。これこそ文句は神様に言ってくれ。

Afroは開店間もなく自粛を余儀なくされたため、撤退を決定した。
では、この店も同じ状況だったらどうしただろうか?
同じく撤退はする気はする。もし撤退をしないのであれば?
テイクアウトを売るか。コワーキングスペースとして貸し出すか。
いずれにせよ、ネットでの告知も宣伝も躊躇せずに行うだろうな。
誰も見ていないのだから。
ちなみにオーナーが自分ならバイトの稼ぎを使ってでも持たせる。
一つしかない店を落とすわけにはいかないので。

しかし、宣伝もまたこのご時世だと厳しくなる。前述の通りの理由だが、
きっとこの記事の内容も終息して10年後に読んだら全くわけのわからないものになってるだろう。
人と接したきゃ会いに行きゃいいし、知らせたかったら宣伝すればいい。
それができない状況なんて考えもつかなくなってるし、
今までがそうだった。もしかしたら、現在みたいな状況がインフルエンザのように常識的な対策の一部として組み込まれてるかもしれないけれど。

人の認知と注目が仇になるなんて思いもよらなかった。まして客商売で。
というか、客商売そのものが非難の的になるなんて考えもつかないだろう。
俺は生き方として今の店を管理してるし、専業でもないため気は楽だが、
仕事として飲食店を選択した人は自分の就いた職業が社会悪のような扱いを受けることは考えにも及ばなかったはず。それもある程度知られて、
その人たちの為にやるようになったらなおさら。

状況の厳しさを考えなければ、それだけ人に知られたということであり、
喜ばしいことである。なかなか人目が気になるほどに
普通の店が見られることなどないのだから。
メリットというのは往々にして大きくなるほどデメリットも大きくなるもの。
知名度で言えば、有名税というのがあるが、
今回の場合はそれとは違うデメリットであり、予想しえないものだった。

それでもこのような形の飲食店をやっている以上、
知ってもらわなくてはならない。
現在、それができないなら認知度を維持していくしかない。
それが配信であったり、小規模限定なイベントであったりする。

人に依って

通常の飲食店ならメニューに力を入れて、それを軸に拡大をしていく。
ただ中の人が代わる以上、それはできない。
同じメニューを出し続けられないからだ。
店の設備だけなら漫画喫茶の方がいいという人もいると思う。
では、何が武器になるか。
やってる人が代わるというのならそれしか武器はない。
こうして人によるものを属人性というが、
メニューなど物に頼れないならそれしかない。
箱と時間と設備に物資などを提供する代わりに属人性を売りにしてもらう。
これがイベントバーの部分的な要素の一つになるが、他の店にはない。
はっきり言って、精神的負担が大きすぎるので使いたくない人が多いと思うが、それだけに差別化を図るには有効ではある。

パフォーマーでもないのだから、
キャラクターの周知なんて気にしなくていいものだが、
こういう形で商売している以上、気にする。
一般人だが、タレント性が必要とされる。
ネットでは誰も見てねぇんだから気にするなとか言われるし、
現実だって芸能人気取りかと言われるような人気取りの行動だが、
これがイベントバーでは収益に響いてくる。

こればかりは店に携わっていても経営しなくては実感がわかなかった。
しかし、数字を把握できる立場になると分かる。
すぐにわかるわけではなく、振り返って感じる程度だが、
人に知られることが売り上げになるのは感じる。
もちろん、曜日や天候なども深く関係してくるので、
一概には言えないが、それと同じくらいに人気は大事になる。

飲食店なんだから飲食を売れよと言われても仕方ないが、
サービス的にバーテンダーのキャラクター性を売っているのだから
人気商売ともいえる。このような形の夜の飲食店は珍しくなく、
新宿などは多い。
昼は働いている間に行くから飲食だけが目的になるし、
夜は仕事終わりで飲食以外のものを求めに店に行くことが多くなる。
その要求に応えるとなると商売の形が多様化する。
この店もまたその一部だ。

属人性が重要とは言ったが、
イベンターによっては独自のメニューを売りにしている人もいるし、
知識を売りにしている人もいる。法に触れない限り、
内容の指定は店からすることはないので、自由だ。
注目度や人気も店の盛り上がりには大きくか変わるが、
それを支えるのはイベンター本人のやる気だ。
そのやる気を出すには本人が心地よくやるのが欠かせない要素となる。

心地よさを感じるところは人それぞれであり、
それが消耗に変わらなければいい。心地よいと思えるところ、
たとえ少し消耗してもやれる部分は信念によるものだろう。
一般的に異論は多くても変えられない行動の元となっているのが信念だ。
心地よさも信念にも反して集客や売り上げに執着するとうまくいかないし、
いったとしても辛くて次に続かない。
店としてもイベンターに最も要求しては
いけないものの一つだと考えている。

職権乱舞

店のことでもあり、自分のこととしてその辺りについて言うと、
特に能力がないことはnoteでもTwitterでも言ってるし、
ではイベントで何かやりたいかというとそんなものもない。
単純にバーに立ちたいというのはあったし、
ぶっちゃけこんだけ立ってるのに、
まだ立ちたいって思ってるから今の立場は最高だ。
もうバーテンダーやりたい放題。しかも、金銭が発生する。
カラオケだって歌うだけで金か苦情が発生するのに
一つのスペースを実質占拠し放題なのとてつもなく得をしている。
そんなことが起こってしまうのもそれに気づけないのも資本主義のバグだ。

話を戻そう。なので、心地よさの点では完全に満たされてしまっている。
さらに心地よくなろうなんて特に思わないので、
その部分ではやる気は起きない。
とすると、信念しか残らない。この信念というのは消耗を伴う要素であり、
自分を削りがちだ。理想や夢、希望と言っていいかもしれない。
それが低くてより現実に近く、叶いやすいものばかりだったらいいが、
難度が高かったり、コストがかかるものだと自分を削る方にいってしまう。

曲げられないもの

とはいえ、信念なんてこの記事を書いてから意識した言葉だし、
特に何も考えてない。なので、
自分の行動の傾向から意識と思考を探ろうと思う。
何もないけど、続けている。
何なら店長になってからも自粛になってからも何らかの形で、
店はアクティヴな状態を維持させている。
配信などでは数字を追うし、自粛がなければ、
告知や宣伝には力を入れていたであろう。

ここから判断すると自分を削ってでも店をもたせたいのがわかる。
心地よさは店があれば充分なのだから。逆に信念でないものは何か。
いくら数字を追うと言っても、なりふり構っていないわけではない。
攻めるタイプの動画を上げたりして、話題になろうとは思わないし、
凝った企画を立ててまでも集客に力を入れようとは思わない。
別にそれが面白いとは思わないから。人がやる分には面白いとは思うけど。
キャラクターも作る気はない。
何なら人格に善性を見出されたら急いで悪で補正したいくらいだ。
別にどんな人にでもいい人をやる気はなくて、
ちゃんと信頼できる人に良くしたいだけ。
なので、Twitterなどで攻めてる感じなのだとしても(特定の何かを攻めてるつもりないが)キャラができてるのだとしても
自分がやりたいようにやった形なので、全部自然。
どう思われてるかなんてそんなの知らないよ。

何かでTwitterが本性というツイートを見たが、
うーん、これは人それぞれじゃないかなぁ?
Twitterじゃなきゃ本音が言えない人もいれば、
逆にTwitterとか文字が苦手な人もいるし、
つい虚飾をしてしまう人もいて、よくわからない。
それにTwitterから本性かどうかの真贋を見抜く力がいると思うけど、
それは全アカウントに適応できるのだろうか?
そんな人ばかりでもないと思うし、
Twitterから感じたものだけで根本や全てを判断するのは、
雑すぎて当てにならないと思う。
総合的に自分の頭で判断してそれでも疑うくらいでいいし、
あとはどう判断して、責任持つかは
それこそ個人の意思にかかるとこだろう。

という具合にTwitterとかも何も考えてない。
そもそもウェブをコミュニケーションツールと思ってなくて、
ただの道具かおもちゃくらいにしか捉えてない。
これで人の意思が通じるなんて思ってない。
サイコミュかなんかか?でも、扱う人間はオールドタイプなわけで、
ニュータイプがいてもそんな人たちのやり取りなんてわかるわけもない。
あと世代の問題もあるだろうね。
回線速度や機材性能が不十分な時代にネットに触れたから
細かいやり取りに対応した道具やサービスだという認識がない。
その限界に挑戦して、
どこまで現実じゃできない悪ふざけが
できるかを競う道具くらいにしか思ってない。
あるいは謎の電脳空間をどこまで構築できるか。
丁寧にホームページを作ってお役立ち情報を広めようなんて
商店街の掲示板の延長線上のような使い方、
チュートリアルのサンプルくらいの感覚しかなくて、
とてもやる気にならなかった。

だから、ネットでのキャラクター作りや
プロモーションなんて老人なんでついてこれない。
確かに他人がそういうのをやっていい人そうだなぁとかは感じるし、
自分もこういうことやって売っていかなきゃいけないのかなぁとも思う。
でも、やり方がいまいちわからないし、
効果が出るかわからないし、そこまで頑張り切る自信もない。
やったことないくせにおこがましいが、
そうやって集めた人ってネット上の人格を信じて集まった人であり、
その人たちに向かって、
現実でもその人格をやらなきゃならないかと思うとしんどさがある。
多少そのやり方もわかっていて、正解はあんまりしゃべらない、だ。
実際に会うとつまらないと言われるかもしれないけど、
ネット上の人格は壊れなくて済む。
下手にしゃべって2面性があるとか言われて、
信頼が落ちていくよりははるかにマシだ。

本当にこれは余談だが(余談しか書いてないが)、
恋愛や婚活において女性は演技をして、
異性を獲得するのは男の思う以上に簡単なんだそうだ。
だが、問題は獲得後の問題で、
うっかりおしとやかキャラで売ってしまった場合、
その後も継続しておしとやかにしてないと
ギクシャクしてしまいしんどいそうだ。
何かで外人が日本人女性と結婚したら、途端にきつい性格が出て、
すっかり尻に敷かれてびっくりしたというのも見た。
俺が男だからわかるが、単純にできてるので本当に騙されやすい。
しかも、高収入ほど仕事や勉学に打ち込んでるので、
なおさらちょろいんだろうな。

ここまでではないが、仮面を信じ込ませると面倒だし、
その面倒をやり切る責任はないので、
素を出すかそれ以上にひどいキャラを出したいくらいは思っている。
むしろ最初に下げるとこないくらいに下げたキャラで
売っていく方が叩く方がしょうもない感じになるので、
バカにされに行くくらいの方が得って
どこかの売れてるライターも言ってた。

なので、本当にバカにされたり、
なじられてもそこは言い返したりしないようにしてる。
制約と誓約みたいなもので、とっつきやすさを売りにするのなら、
扱いに怒って返して離れさせるようなことはできない。
まぁ、Twitterでめんどくささを出してるから
必要以上に舐められることはないと思うし、
そんなに人格否定するような人も店に来ないけど。
ただ元の性格が舐められ体質なので、
実際に会う人はもう自分のことを舐め切ってしまっても、
それは仕方のないことだと思う。
本当にそうなのか知りたかったら店に来よう。(宣伝)

もっと言えば、これだけ恥をさらしておいて今更、
自分を守りに入るようなことはしないということ。
恥を売っといて、
それに対しての正当な評価にケチつけるのは都合がよすぎる。
強烈なにおいが売りの商品を出しといて、
クサイと言われたら怒るようなもの。
それで買ってもらってるし、そこでにおいも褒めろなんて無茶がある。
そんなことしたら客は離れる。
芸人で言えば、いじられキャラであり、
それが売り上げになっているのだからそこを否定してはいけない。
あまり詰めていくと、
金だけ置いて帰れと言うのと変わらなくなってしまう。
具体的な商品を売らないで
属人性で売っていくにあたって発生する代償のようなものだ。
またそのいじってきた人が全て高額な支払いをしていくわけではないけど、
盛り上がりの一部になって、そこにまた人がひきつけられれば、構わない。

悲劇的体質

また昔からいじられキャラで、その限界がどこまでかを見ているのもある。
さすがに社会に出たら、
小学校の時ほど酷いいじりは一部の職場を除いてなくなったけど、
やはりいじられ傾向にはある。
はっきり言って疲れるからそっとしてほしい気持ちになるが、
構ってもらえないよりはいいかなと思ってる。
いじめられっ子の傾向も備えている。

義務教育の時から、これが金になったらいいのになぁと思っていた。
そもそも理不尽すぎるのだ。
普通に学校に通って帰ってこれる人と学校に通うだけでいじくられて
帰る自分と同じ扱いなのが。言い返せばいいって言っても
口がうまいわけでもないし、平和的な解決ができるタイプでもなかった。
表現が乏しい子供に何言ってんだって感じだけど、
教師もわかんない人たちなんだから仕方ない。
子供が分からないように大人もわからないんだよね。
クソの役にも立ちゃしねぇな。

そう思っていたら、本当に仕事でいじられて、
それがそれなりに集客に成功してるみたいだから、
夢が叶ったっちゃ叶ったな。なお、そんなに価値は高くないみたいだ。

能力とかじゃなくて、
自分の元々持っている人格が試せるのもこの店の面白いところだ。
とは言え、そんな試し方できる人、あんまりいないだろうけど。

こっから考えると、維持継続を第一優先とし、
人格を売ってでも達成しようとしているようだ。
プライドは出さないで、盛況さを妨げるのであれば、
自分を抑えてでも運営する姿勢だ。これが自分の信念だろうか。

他の人は自分も客も楽しくなきゃ嫌だとか、
あくまでも自分の店なのだから最終的には自分を立てたいなど、
色々あるかもしれない。ただ、自分の性質と能力を見て判断した結果、
このやり方しかないと思った。

自分なりの方法

そのやり方でここまで一応のところやってきたわけだが、
はじめから1人でスタートした。
気質的に他人から色々言われるのが嫌なので、始まりは1人でよかった。
だから、1人で立てる限り立って、話せることはとことん話した。
食事も少し凝ろうと思ったけど、なかなか安定しなかったので、
今は特に何も用意してない。
一応、試行錯誤したおかげで食事メニューも浮かばないこともないのだが、いつ作るかはわからない。

こうしてとことん5月は自分の売りとか色々思いながら、
1人でやれるところまでやった。
1人でやれることならもうないんじゃないかなというくらいには。
だからこそ、逆に一人だとできないこともはっきり見えてきた。
大まかに言えば、1人で店に必要な最低限の行動はできる。
別にずっとやろうと思えばできる。
長年、ワンオペで高齢でもやってる店もあるので、
そういう感じなんだと思う。

しかし、当然だが、料理とビールの提供は同時にはできない。
どちらか片方ずつならできる。複数でやった方が早いし、
事故の可能性も減る。
現場は意外と人が多い方が効率的で楽なことも多いのを改めて実感した。
だが、逆に準備は大勢でやると決まらないことがある。
単純な仕入れの買い出しとかはありかもしれない。
それでも違うものを買ってきたり、予想以上に時間がかかってしまうこともある。
また仕入れたものの整理はみんなでやるより1人でやる方が早くて正確だ。
ずっと店を見ている自分の方が良く分かっているからだ。
そういう意味では清掃も自分でやった方がいい。
全く違うところに物があったり、
外してはいけないものが外されたりすることもある。
だから、もし店を整えるのであれば、ある程度は自分でやって、
誰でもできそうなところだけ、任せればいい。

何でも1人でやるには限界があるが、みんなでできないこともある、

あとは複数でやる場合、役割分担を決めないと、
みんなが一斉にいろいろやりだしてしまい、
誰がどうするかわからなくなってしまう。
指示をする人と聞いて動く人は分けた方がいい。
今後の予定を考えるときも人がいるといい。
自分の頭だけで考えると、一方的な案しか出ないか
あまり案が出ないで終わってしまうかもしれない。
一気に複数の人がそれぞれの視点で考えられるのはみんなでやる強みだ。

また自分でもできるけど、人に任せた方がいいこともある。
イベントの進行とかなんて下手すると
自分が決めてしまった方が早くていいこともあるけど、
ちょっと要領悪くても考えてもらった方が当日うまくいったりとか、
楽しかったりする。
わりと一緒に進行したことにより協力関係が強くなるかもしれないし。

店のことを一通り自分でやって、体に染みつかせるのはいいけど、
そのあと人とやるならどうするかを
考えるのも大事なことだなと考えるようになった。
また1人じゃなくて、人とやるといいことは何だろうと考えるようになった、

1人の時よりは可能性は広がるわけだし、
せっかく動かす側の立場になったのだからやれることはあるはず。
自分ができることとして考えているのは他の人には動いてもらって、
その間の様子を記録して、記事にできないかと考えている。
実際にイベントはいくつか記事にした。それが宣伝にもなるし、
振り返るのにちょうどいい。

あとは純粋に1人でやるよりはみんなでやった方が楽しい。
だから、1人で完結してしまうことよりみんなでできるようにする方がいい。
自分のやっていることは他の人につながるようなことができれば、
そうなりやすい。

みんなの力を集めて

イベントバーあるあるなのだが、店の備品、もらい物でそろいがち。
電子レンジ、米びつ、モニター、PCなど
全てもらったもので構成されている。
炊飯器は前のもらい物が小さすぎたので、
自分の5合炊きの物を持ってきた。たまに酒までもらうこともあるし、
食料はありがたいことに結構いただいてる。
備品に関してはオーナーが店長の時にもらってるものが多く、
どれだけのものが貰い物なのかは把握できてないが、
最近、食器に関しては買ってない気がする。
グラスは割るのだが、
それ以上にもらったものが多くてまだ買う必要がないくらいだ。
コップとかは消耗品だと思ってるんで、
もらえる限りはもらってるが結構多くなった。
それに人が多く来たり、
注文が多いと意外と必要になるので、あってよかった。
それでもシャンパングラスとか特定の食器になると
足りなくなったので買ったな。
あとは店長就任時に似顔絵入りの色紙までいただいたし、酒までもらった。
感謝に堪えない。

結構いただいたが、バーに必要なものなんてそんなにないので、
少しもらうだけで充分な感じもする。

こうやって多くの人が関わって、助けてもらいながらバーは存続してきた。
その分は営業をすることで報いてるつもりだ。
しかし、客商売なので色々な人がいる。
イベントバー、見世物の要素があるので、
そこは承知して何とかやっている。
それで盛り上げって、楽しんでもらえればそれでいい。

What do you want to say?
What do you want to do?

だけど、まれに口だけは異様に出してきて、
普段は何かするわけじゃない人もいる。
というか、何もしない頼まない人ほど口だけは出す。
正直、出すのそっちじゃないし、
出せないのなら黙ってほしいという気持ちになる。
提案も是正も心からする気があるわけではないのに、
あーした方がいい、自分ならこーする、何でそんなことするのかなど、
言いたいことを言う。特に理由があるわけじゃなくて、
マウントを取りたいだけなんだろうけど、それが非常に面倒だ。
とりあえず客なわけだし、関係性があるので聞いてかなくてはならない。
ただのマウントなのかアドバイスなのかは
一通り聞かなくてはわからないのも厄介だ。

そして、何よりも最悪なのは文句言う本人は
本当に最後まで何もやらないで、言いたいこと言って終わるのだ。
何か手伝うわけでも、良くなったら無茶苦茶飲むわけでもなく、
そのまま帰る。まぁ、これが普通の店なら聞き流して終わりなのだが、
わりと長く関係性が続くことが多いので、なかなかそうもいかない。
ある程度、聞いた証拠を行動として出さなくてはならないし、
SNS等でも返す必要はある。もちろんそんなトコトンやることもないが、ある程度はやらなくてはならないのだ。

なんというか、
祭りに参加したとしても踊りが下手なことにケチつけたりしないだろ。
それと同じと思うんだ。こっちは踊るだけなんだからケチつけるくらいなら祭りに来ないか黙ってればいいだろうに。
当然、何らか言われるのを含めて祭りだと思ってるけど、
それにしてもしつこいのはこっちが逆に黙ることにしてる。
その場合、ずっと黙ってると自然消滅する。
忍耐が少しいるが、無難な解決方法だ。
今のところないが、今後、煽りを受けても同じようにできるようにしたい。これは他店の人にも銘じてほしい。
絶対に煽りや謎の要求に乗っかると不利だし、それでいいことなんかない。
でも、確かに問題点は懸命に言ってるところあるので、
その点はこっそり修正するのはいい。
本当に冷静さを動乱の中で求められる仕事だとは思う。
気持ちを逆なでしてくる人は、
えげつないタイミングでイラっとすることを言う。すごい才能。

大学の時、先生に「ウォームハート、クールヘッド」だっけ?
そんなことを言われた。
簡単に熱い気持ちを持ちつつも冷静な思考を持てというだけのことだ。
これがかなり身に染みる。特にクールヘッドのところだ。
血管締めて血液止めてでも冷やす必要がたまにある。
肝を冷やすこともあるけど、脳は意識しないと冷えない。
仕事やってた時は真っ蒼になったり真っ赤になったりしてたので、
それよりはマシだが。行っててよかった学校と会社。もう嫌だ。
あと「クールハート、ウォームヘッド。これじゃいかんよ、ハハハ」
とオチを言ってたが、時々、そうでありたくなる。
冷血に残忍な判断を下してやろうかと。
実際のところはオーバーヒートしながらやってるけど、
急停車しながら何とかしている。

本当に見てるだけのクセに言いたいこと言いやがってと思うことはあるが、
他にも自分の力じゃないじゃんみたいなことも言われた。
1人でやってる他の飲食店と比べられ、
そこはちゃんと飲食の準備しててまともにやってるのに、
ここは違うと言われたことはあった。それはそうかもしれないが、
一体この人は何が分かってそんなことを言うのだろう。
もちろん雑にいい加減にやってもやっては来たけど、
本当に同じことをみんなができるのかと。あるいはやるのかと。
そんな簡単に言われなきゃならんことかは別だと思うが。
しかも、いったい何を見てきて
「(ちゃんとやってきた店とは)違う」って言えたのだろう。
なんだかんだ言って、こっちはまだ存続している。
俺だけの力じゃないにせよ。

俺は割と色々動いてきたとは思うけど、
その動きのすべてが店にとって必要な動きではなかった。
無駄も多くて、やらなくていいことまでやってきてると思う。
ただ、それを知らなくて、
簡単に否定されるのはそれこそ違うんじゃないかなぁと思う。

ちゃんとできないのは自分でもわかってて、できないからこの界隈にいる。
人並みに働く能力があればここにはいなかっただろう。
それは自分でも情けないし、悔しい。
そこを他人から言われたら余計なことをいちいち言うなと思う。
それでもここにいられたのは良かった。
この文章が全てを表している。
書かなくていいもの、内容に才能がない、長さに意味はない。
全てはわかっている。ただ先ほどの信念でやっているだけだ。
才能が、能力がないならやれる限りをやるだけだ。
文章に関しては好きな上に長く書くだけならできるというだけで、
何とか書いてきている。
実際、テクニックとか学んで、取材とかもするべきなんだろうけど。
できないという所に逃げてしまって、やれる限りやるという逃げができてる気がしないでもない。ただ、何もしないよりはマシだという考えはある。

果たして、店に関しても本当は何かやりようがあったのだろうか。
5月は結局誰もカウンターの中に立つことはなく、自分が全て立った。
何とか赤字にならず、この月は終えることができた。

静かな街

バイト帰り、秋葉原近くに来ていた知り合いと会った。
仕事の様子をあいさつ代わりに聞くのはいつものことになっていた頃だ。
テレワークが導入されているのかどうか。仕事量は増えたのかどうか。
大体、こんな話だ。
天気の話以外にも便利な雑談のきっかけができたもんだ。

その知り合いはライブにはいかないくせに
フリーライブばかり観に行くのが好きな、変わったケチ野郎で、
フリーライブの為に電車賃を使っていくこともある怪人物だ。
ちなみに独身実家暮らし。今で言う子供部屋おじさんだが、
見た目は子供部屋の住民のような童顔をしている。

あまり秋葉原をじっくり見ることがなくなり、
通行人よりメイドの方が多いのかなって思った。
しかし、実際にはメイドも少なくなり、
低価格飲み放題の何がコンセプトかわからないコンカフェ嬢が
広告を持って立ってたりしてた。
相変わらず、立ちんぼをやってる嬢の周りにはシュッとしたウシジマくんに出てきそうな輩がうろついてた。

まだ夕方になるかならないかくらいの頃だったが、静かな街だった。
人ってこんなにいなくなるんだ。
巨大な隕石が文明を滅ぼしたかのような減り具合だ。
しかし、ビルにヒビ一つ入っていない。
奇怪な巨大生物がいるわけでもなければ、空は澄んでいる。
ただ人の活気がなく、街として呼吸が浅くなっている。

互いに近況報告に一区切りがついたところで、辿り着いたのは後楽園。
フリーライブケチ野郎の知り合いは
ラクーアのフリーイベントスケジュールをいつも見ていて、
今回もその流れかと思った。

「いや、もうやってないんすよねぇ」

チェック済みかい。確かにやれるわけもないわな。
野外ステージに行くと当然何もないが、全ての店が閉まっている。
たこ焼き屋に中華料理屋、パスタ屋などあらゆる店が全て閉まっており、
逆に統一感を出していた。夜だとこういう光景を見るのだが、
閉まってる代わりに電車に乗る通行人の往来がある。
だがこの死んだ夕方前の街では人という存在が全くない。
カップルだっていない。
いるのは風変わりな30代前半の独身男性2人だ。俺たちは何をしてるんだ。

「それでですね」

この光景に何も思うことなく知り合いは話の続きを始めた。
もう見慣れた光景なのか。
まるで終末世界の都市の住民に案内されてるかのような気分だ。
終末世界も俺たちも同じくらいパッとしなくて、
このまま人性終わったら虚しいことこの上ないな。
一応、昔の思い出も巡りながら話した。
前、バイトが一緒だったこともあり、バイトの話とか、
ライブに来てたアーティスト情報とか。
そこからそいつは芸能人好きでもあったので
芸能事務所の話とかをずっと聞いたりもした。

すっかり日が落ちた頃には神社に行った。
年末年始には人でごった返しているが、
平日は落ち着いている。それでも全く人がいないということはない場所だ。
しかし、通路から賽銭箱に至るまで人がいない。
黙っていると風の音だけが聞こえる。

人がいないと建物が巨大な立体物にしか見えない。
機能というものを感じない。
神社という特性上、神々しさを感じなくもないが、信心深くもない自分は、
ただ神様というものを思わされる形だなぁとしか思わなかった。
人がいないとこうも街というのは空虚になるのか。
魂を作ってるのは人だというのを思い知らされる。
そして、人がいなくなった、今。

街が死んでいる。

呼吸がない。建物は綺麗なまま人だけがいなくなった。
本当に人の為だけに作られた土地なんだというのもわかった。
ちなみに人類が滅ぶと、野生の獣がちらほらと街に出て、
普通に住処にするという動画を観たことがあるが、
人がいなくなるだけでは誰の住処でもなくなるだけのようだ。

最終的に人類が滅ぶとしたら、自然の驚異などではなく、
人類自身の手で滅んでいくのだろう。たとえ災害があったとしてもだ。
そのシミュレーションをしているかのようだった。
それが感染症の場合、こんなに静かに穏やかに滅んでいく。
滅びのきっかけは災害や病気かもしれない。
しかし、最後は人の手によって人は滅ぼされる。死を目の前にしたとき、
決定権を持たない人々はやれる限りのことをする。それは暴虐も含めて。
決定権を持つ者は戒めに縛られ、
怠惰で動けなくて権利を有効に行使しない。
少数の賢さなど多くの愚民に無力化されてしまう。
そうして、いつまでも最適解とは程遠い行動を取ってしまい、
その間にも滅びの時間が迫る。物理的な滅亡は人類の行動に関係なく来る。どんなに動いても、それが滅亡に対して有効でなければ、そのまま迫る。

無駄なあがきをしているのならまだよくて、現実はあがいてすらもいない。
ただただ民衆にその場限りの都合のいい決断を統治者はして、
民衆は全くわけわからないまま好きにする。
人は自分の耐久力を超えた負荷はかけられない。それは政府も同じことだ。
しかし、危機に対して、時には負荷を超えた決断が正しいこともある。
でも、それができるのは歴史に名を残すような人物だ。普通は苦しいし、
怖くてできない。さらにその決断が正しいとも限らない。
未来に対する有効な手段の決定は主に政治の仕事だが、
それはギャンブルと何ら変わりはない。英雄か極悪人になる。
そのどちらにもなりたくないから曖昧に映る行動を政府はし続ける。
100万人殺せば、国難を逃れることができる。
もしそういう条件があったとしたら、
簡単にその決断は下せるか?どこの国もそうはできない。
逃れても罪は罪として残るし、外せばただの大量虐殺だ。
もしかしかたら、現在、そういう判断を委ねられているのかもしれない。
だから、ある程度の誤った判断は仕方ない。
たださすがに他にもっとやり方はあったと思える判断はあった。

批判は色々出てくるような事態ではあるが、
その批判もまた仕方ないものから的外れなもの、
わりと正確なものまで様々だ。
批判する側もみんな同じこと思っていると考えてるかもしれないが、
それは違う。もしかしたら政府もそうかもしれないし、
世界がそうかもしれない。
つまり、みんなバラバラな考えをしてる。
行動はまだ落ち着いてる方かもしれない。
しかし、この状況が長引けば、バラバラな思想が行動に移されて、
パニックが起きるかもしれない。これは混乱状態である。
何も起きてない日常が続いている日々とは違う。
原因も解決法もはっきりわからない大規模感染症が
突如として現れるとこういうことになるのか。

息が止まる地元

翌日、地元の商店街に戻ると、シャッターが閉まった店が増えている。
当然のように募集の張り紙がある。
少し歩いただけで5軒は見かけた。きっともっとあるのだろう。
世界から人がいなくなるとこんな感じで、
知り合いも突然消えるとこんな感じなのかというのを感じた。
意外と冷静で、むしろ冷静にならざる得なくて、
そこに寂しいとか悲しいなんて感情はない。
喜怒哀楽以外に虚無のような新しい感情を感じた気がする。
何も考えず、生きることに集中する。
それは独り身だからそんなことを思うのだろうか。
守るものがないし、失うものもない。自分の命だけが残された。

学生までは地域経済に興味があり、
地域振興こそが国の発展につながるのだと考えていた。
だから、商店街が賑わってるのはいいことであり、
自分もそういう地域の経済を良くしていくのは夢だった。
現在、店を任されることによりその夢は間接的かもしれないが、
叶っている。仕入れは商店街にあるスーパーで主に行っていて、
それは何回も行っている。このまま面白い店が増えて、
楽しい人であふれていけば今後もいい感じになると思ってた。

だが、シャッターが並ぶこの街を見て、その全てがもう無意味な気がした。
かといって、何も考えなくていいという安堵感もないし、
喪失感による絶望もない。
本当に虚無で満たされていった。死んだ街の空気が心を支配していく。
全くわからないが、そのことによる拒否反応などは全くなかった。
完全ではないが、少し受け入れられてた。
これは自分の人生経験と構築された人生観によるものだろうか。

実家はワガママを許す空気ではなく、虐待などがあったわけでもないが、
頭の固い親だった。変化を嫌い、
何か新しいことが発生するたびに今まで通りのやり方でやろうとしたり、
酷いとやらないように済むことを考え出す。
とにかくめんどくさがりで保守的な環境だった。
幼い時ほど空気に敏感で、
言う前から「この人には何を言っても無駄だ」というのを肌で感じていた。
大きくなるにつれ、それが当たり前になった。我慢が日常になった。
話も聞かないし、わからない親だった。
何かしてくれというわけではなかったが、理解もされなかったし、
しようともしなかった。
それは世代の問題以上に他の親と比べても抜きんでていた。
危ないことはやらなければいい。言われたことを守って安全な道を歩け。
そういうものを感じた。
当然、肌で感じていたレベルだから聞いたわけでもないけど。
反抗するものだけど、そういうのもできなかった。
ウチは母親1人で、それもタフなタイプな親じゃない。
繊細なわけではなかったけど、すぐに苦しくなる人だったので、
自分が意思を出しても、ただただ辛くなるだけなのが予見できた。
反抗したところで不幸にしかならない。不幸になりたくなければ、
黙って過ごしていくしかない。そういうのが身に染みていた。

それができたのも特別に貧乏というわけじゃなかったからだろう。
とことん貧していたら何か行動は起こすだろうし。
割とぬるま湯ではあったのかもしれない。不器用な性格だったし、
勉学で状況をひっくり返そうということもできなかった。
ハングリーになるには恵まれていて、
贅沢をするには貧しい程度の環境だった。

そういう生い立ちの性質があるせいなのか、
今回の経済弱体化にも無感情でいた。
店に関しては自分が直接かかわっていて、
多くの人もかかわっているからそこは感情が出るが、
経済や社会に対して感情的になったところでどうにでもなるわけでもない。
自粛警察やネットでの通報拡散趣味に対しても
めんどくさいな以外に何もない。
別に怒るとかそういうのではなく、
ただ手間を取るのがもったいないと思うくらいだ。
もっと面倒になれば黙ってればいいと思ってもいたので、
思うところは何もない。

自分はこんなんだから、
ヒステリックになるくらいなら何もしなければいいのにと思うが、
みんなはそうじゃないんだろうな。
そうまでしてでも関わってないと寂しいのだろう。
自分も店に携わってるから気持ちはわかるけど、
不必要との判断が下されれば、受け入れる。
もう受け入れることにだけは慣れてるし、いても迷惑になるのは嫌なので。

きっとこういう性格だから自分以外のことを
考えるのは得意じゃないんだろうな。
自分が思うことは自分で御せるからいいけど、
他人を巻き込んだ場合、他人のこともいっぱい考えて、
その中から正しそうなものを念頭に置いて行動しなければならない。
外れたら最低だし、外さなくても当たり前に過ぎていく。
だから、1人は辛いけど、1人だと楽だ。

貧者の強み

きちんと就職して、生活できて、遊興費があって、
貯蓄もできるような暮らしになれてる人には負担が大きい事態かもしれない。
しかし、元々持たざる者のである俺は
「あぁ、元に戻った」くらいの気持ちしかない。
何もなくなった。それは元の自分と何が変わらない?
贅沢も特にできず、旅行なんて行けるわけもなく、
新しく物は買えなくて、遊びに行く場所も友達もいない。
そんなの感染症が流行る前からそうだ。
それが最近になって、時間と人脈ができて、少し忘れかけていただけだ。
標準の自分は今だ。だから、フリーランスや引きこもり、
その他低所得者層のツイートは妙に肯定的だったり、
変化がないというものが見かけられた。
この大感染症はトランプの大富豪で言えば、革命みたいなものであり、
社会の基盤に乗っかった上位層は下位層に叩きつけらている。
自分みたいなものは基盤とその基盤がのっかっている地面を
ウロウロしているので大した変化がなかったみたいだ。
ちょっと地面が沈んだくらいか。大富豪ほど都合が良くないが、
貧者は貧者のままで、富裕層は少し削れたり、居心地が悪くなる程度か。
多分、経済よりも先に精神の方が打撃を受けたようだ。
その点でも自分は大して打撃を受けてない。

ただ他人は自分のようなものは少数なので、その気持ちを汲むのは大変だ。また気持ちを察しているうちに、
こちらも何だかつられて辛くなってしまう。
自分の年齢周りでは家庭もあるし、仕事も役職がついている。
守るものがあって、与えていかなければならない立場だ。
理解し合えることもないけど、無神経な振る舞いはできない。
互いの常識が通じないのは、独身と既婚者で普通のことだけど、
この事態になると余計にそれが通じなくなる。
元から存在していた人の間にある溝がより深まっている。

不明瞭な判断

専門家でもないので、感染源や経路についてはわからない。
ただ政府や報道の情報を鵜呑みにするなら、
それは飛沫感染が主な原因であり、
それが発生しやすいのは飲み屋などのいわゆる夜の店とのこと。
この情報だって、唾棄することはできないし、事実ではあるだろう。
ただ極論、全ての夜の店で発生しているのだろうか?
雑に「夜の店」を強調したことだけを自分は憤慨している。
それ以外はどうしようもないと思っている。
渡航封鎖の遅さなどは過去のことだ。何も言えない。
条件がさすがにあるはずだ。
そうでなければもっとランダムにどこでかかってもおかしくない。
分かっているのは「密」な状況で「飛沫」が
発生しうる場所は感染しやすいということだ。
ということは換気がなされていて少数ならその可能性は低い。
タクシーでも感染は確認された。ただこのタクシーが窓を開けていたか、
会話がどのくらいなのかは定かではない。

そろそろ感染する条件は出てきているはずなのに、
それが示されないままただ「夜の店」が強調されている。
条件さえ整えば、
家だろうが会社だろうが学校だろうが広場だろうが発生するはずだ。
また初めに示された感染対策は大手チェーンと個人店では効果が違う。
大手は時短や距離の確保は必要だが、
個人店だとそもそも1日の来客が1桁のところもあり、
そこが同じことをやってしまったら経済死するのは当然だ。
またテイクアウトでも売り上げが出せる大手に対して、
個人店は直接の来店でしか利益が上げられない場合も多い。

この安直な発令は本当に練られてできたものなのだろうか?
少し考えてもわかりそうなものだ。
有識者というのは医学関係者だけではない。
飲食店の収益に影響するような事態であれば、
わかりやすく飲食店経営者に聞くべきではなかっただろうか?
そこで合意した大手に協力を促して、
小規模個人に補償で任意協力など手立てがあったはずだ。
もちろんここで書いたように楽にはいかないことだと思う。
だから、やらなかったのだろうと。
大手と小規模飲食店を分けた対応した場合と今回の発令を比較すると、
ものすごい判断を今回はした思う。
一気に封じ込める大胆な施策だ。小規模飲食店が続くかどうかは別にして。

感染の条件がどこに都合が悪いのか?
発令を出した際に影響を受ける範囲はどのくらいか?
全くもってわからない。
だから、何が良くて悪いのかなんて言うこともできない。
ただ、そこで影響される人の精神のケアはできなかったんだろうか。
もっと感染と対策について明確にできたことはなかったのだろうかと思う。
飲食店関係者が納得できるような努力をしていたのかはわからない。
せめて、飲食店向けに政策の資料とか発行してほしかった。
それも厳しいのだろうか。わからない。

ウチの親は飲食店とは関係なく、もう飲みに行くこともなくなったので、
飲食店が多すぎるからちょうどいいと言っていた。
大規模感染症が流行ってから実家には帰れなくなった。
挨拶をする程度には寄ったけど。
自分に関係ないと思うと、
複数あれば飲食店なんてなくてもいいと思うのか。
しかし、自分がその複数ある飲食店の1件だったらどう思うか。
その1つ1つの飲食店には生活があり、人生がある。
それが簡単に消えていくのだけど、それに関しては何も思わないようだ。

ウチの親を見る限り、たくさんある夜の店が悪いそう思っているみたいだ。
ネットは全くやらず、テレビの言うことを鵜呑みにする親の判断がこれだ。
とても説明責任を果たしてるようには見えない。
どうせ偏向報道や偏向編集するなら
こういう人たちに安心感を与えるような偏向をしてほしい。
ただ不安があおられているだけだ。
TVを見ているだけだが、
「若い人全然言うこと聞かないねぇ」とも言っていた。
一体どこで感染しているかもわからないし、
そういう親は配送で済む仕事を電車に乗って届けている。
それに関しては仕事だから仕方ないと言うのだが。

人は変わってしまうものだなぁと思っていた。
しかし、そうではなく、元来、平和な時には出なかった
身勝手な精神が有事になって出てきているのだ。不安や恐怖に押されて、自分を守る気持ちが前に出ている。逃げたり、なすりつけたり、攻撃したり。自粛警察にネット批判、自分の親みたいなのもみんな身勝手な心が行動に出ている。
ちょっとそれを考えるとみんな自分の都合のいい時だけは助けたり、
恩を売ったりするけど、
すぐ死ぬわけでもないのに危機を覚えると
一言もなくどこかへ消えてしまう。
仕方のないことだと思うけど、
そうじゃない人もいるわけで現実的な人間の醜さを垣間見た気がする。

店の長

もうしばらくすれば、心が変質する人も現れるだろう。
ただ今は本性がとがって出てきてるだけだ。
自分が飲食店関係者だからそれが身近な人で見れてしまって
辛さとささやかな怒りを覚えた。
でも、俺は彼らの気持ちが100%実感できないのと同じように
彼らもまた俺の心情は察せない。
まして、店長というのは普段からそんなもんだ。
山のてっぺんにいる感じから剣の山の先につま先で立つような感じに変貌した。

でも、やることが変わったわけでもない。俺がいて店がいる。
今まで同じように発令に従いつつもやるだけだ。
ネットまでは宣伝告知以外できなくなったわけではない。
バイトもなくなったわけでもない。
ただひたすら今までやってたことを繰り返すだけだ。
それでダメになるのならそれ以上は自分はできないので、
それまでだ。やはり逃げているのかもしれないけど、
立ち止まるよりマシだ。

この情勢のせいもあるけど、店長という立場上、
どうしてもどこいても店のことを気にするようになる。
仕入れは足りてたかとか、外に出たなら新しい酒を買うかとか。
他にも見かけた店とかも見るようになった。ないものが多い当店だが、
その中でも何がないのか見るようにした。
調理環境なんかは特に見るようになった。
同じものをそろえようとかではなくて、
(そもそも無理)何故あるのか、あれば何が利用客の為になるのか等を
考えるようにした。代替品で真似られればいいと思ってみている。
今のところできてないが…。

物も仕入れも売り上げが上がればそこから出せるが、
なければ出すことができない。もしくは見込みがなければ出せない。
大感染症以降、目新しい仕入れもできず、
メニューを工夫する気もなくなってしまった。
去年の感じを振り返ると、今よりはもっとよかったのは明確だった。
それはわかりきっている。
だけど、「(この情勢なら)いい方だ!」などという達成感の感じ方をしてしまうようになった。妥協をしている。
もちろん売り上げをそこまで追っているわけではないが、
これに慣れてしまうのは、いいことではないと思ってきた。
価値観が変わってきてしまい頑張れるところで頑張れなくなったり、
手を抜いてしまうんじゃないかという恐怖がある。
それも気づかないうちに。
やれることをやらなかったからできなかったことを
何でも感染症のせいにしてしまう。
より他責的な正確に変容しないかどうかを危惧している。
給付金にしてもそうだ。利益というのは提供したものに対する対価によって得られるものである。
何もなしでは得るのはフェアではないし、
そうした自己中心的な利益の取得は巡り巡って
自分に何らかの形で跳ね返ってくる。こうして怠惰な姿勢が身につき、
骨を抜かれるような感覚がある。

煽られて、変わって

感染症は人の心の溝を広げたと書いたが、
その分、捉え方も人それぞれ違う。
自分は飲食店の立場がから見ているけど、別の仕事の人ではまた違う。
スーパーでは仕事がなくなるどころか人が殺到した。
紙がなくなると言われれば、トイレットペーパーがなくなり、
暇になれば菓子作りなどに使うコーンスターチやらバター、
ベーキングパウダーがなくなった。実体商品を売る店は一気に売れても、
倉庫が空になってしまえば、それ以上売れなくなる。
一気に売れても結局、出すことができない。
仕入れが間に合う程度にたくさん売れればいいのだが、
今回のような売れ方をすると、ただ一瞬忙しくなるだけで、
長期的にすごく売り上げが良くなるわけでもない。

他の仕事の人は派遣で雇止めにあったり、周りが辞めてしまって、
自分だけが大変になった人もいたし、暇になって太ったという人もいた。
自分は基本的にやることが変わってないので、人々の変化がよくわかった。

大規模感染症なんてなければ、
店長やる前とさほど変わらずに動いていただろうに。
感染症が流行った世の中を経験しなければ、
わからないものもあっただろうけど。
何をするにしても感染を意識しなくてはならなくなった。
ツイート一つにしてもこの記事にしても
外でみんなと会ってきたというのもNGだ。店に行ったというのも。
人ごみのある所に行くこと、遠くまで移動することなど人数に関係なく、
人には言えなかった。
バイトに行ってることさえもあまり言いたくなかった。
仕事だし、それがなければ生活ができないのだから、
行かざるを得ないのだが、それと感染は関係ないので言い訳にはならない。

こういった状況のせいで人を呼ぶことができず、
宣伝ができないし、他にも何かやるたびに、
感染症に関わったことではないか気にしなくてはならなかった。
思いつくたびに感染症を気にされないかを気にしなくてはならなかった。
どんな行動を取ってもいつもついて回る。
特にイベントバーという業態は全てにおいて引っかかる。
医療関係を除けば、活動に関連性が高すぎる方だ。
別の仕事ではこんなことはないだろう。

こうして常に気を配る要素が増えてしまった。
それも前なら当たり前のようにやっていたことで。
自分は行動こそそこまでに変わりはないが、
意識はどこかで変わってしまったかもしれない。
そして、社会もまた変わってしまったかもしれない。
気を遣うところや考え方が違っているかもしれない。
ただそれを確かめるすべはない。過去と現在を正確に比較はできない。

しかし、時間が経つとみんなは慣れていってる感じがある。
ある程度までは徐々に辛い気持ちになるが、
それも限界があってそこで終わる。
自分は生活、生き方、仕事など人生の全てに感染症が関わってくるので、
時間が経つごとに重さが増していく。
だから、よく考えると変わってしまったのは自分の方かもしれない。
決して慣れの中には生きることはできなくなっている。
周りも考え方が変わったと思うし、もう全てが元通りにはならない。

店の2周年記念があった。それが自粛とぶつかってしまった。
これも含めて稼ぎ時でもあったのだが、完全に潰れてしまった。
が、遠隔でこの時は何とかした。
あと、ひそかにオーナーを5万くらいで売ろうとした。
そのくらい稼ぎがあれば黒字に大きく近づくのでそのくらいの値段にした。
ちなみに断るごとにオーナーを売ろうとしてる。
メニューにはきっちり「オーナー 5万」って書いてる。
みんなも見かけたら買ってほしい。遠隔は受け付けてないので、
直接購入でお願いします。
あ、オーナーの権利とかじゃないよ?人間ごとついてきます。
興味のある方はぜひ。
人間のみの返品は受け付けてません。相談も直接来店にて。

凪を越えて

6月になるとイベントも復活してきた。
人数制限を設けたり予約制にするなどの変化はあったが、
何とかイベントの予約が入った。多分6月の1週目は自分が入ってたけど、
あとは週に何日かイベントが入り、
前とあまり変わりないくらいにはなったんじゃないだろうか。
この月からようやくイベントバーの店長らしい動きをした。
予約受付に始まり、仕入れ、イベントサポートなど。
この辺りは今まで店に入ってたのと変わらない感じでできたので、
特に困ることはなかった。

不思議と料理系のイベントが多く、なかなか楽しみだった。
調理環境に困らないように調味料はそろえた。
それでも、足りないものが出てきたので、いい勉強になった。
おまけに見様見真似麻婆ができるようになったので、助かった。
豆腐を最もおいしく食べられる料理として自分の中で記録された。
5月に配信しまくったせいか定期的な配信企画もこの月から始まった。
全てが回り始めた。

長かった。5月と世界観が違いすぎた。
本当は5月は休んでもよかったのかもしれない。
でも、膝をつかなくてよかった。もちろん店の知名度と縁のおかげだけど、
今まで活動したことも功を奏したのかもしれない。
信じてはいたけど、1人ではなかったとここで実感できた。

5月中に人が来るようになった時の為に片付けもしておいた。
本棚が通路にあり、
椅子と本棚を縫うようにしなければトイレに行けなかった。
それを見るたびにもっと使いやすくならないかなと思っていた。
なので、本棚を壁側に寄せた。また、ついでにソファも奥に寄せて、
真ん中のスペースを大きく空けた。
そのことにより今後、
広めにスペースを使うイベントに対応できるようにした。
後に割と大きなイベントを何回かくぐることになるが、
そのどれにも対応できていたので、本当にやっておいてよかった。
多分、どかしてなければ事故とかになりそうなほど手狭だったので。

イベンターと店長の差。この時は何も感じてなかったけど、
これからそれを感じる時が来るかもしれない。
何があっても大丈夫なように準備はしたつもりだ。
自分の方針がどれだけ現実的なのか。
イベントの盛り上がりにどれだけ繋げられるのか。
今までの経験はどれだけ役に立つのか。
あらゆる要望に応え、店をより安定したイベントバーとしてやってくためにも、
今後発生するだろうタスクを打ち返す気でいっぱいだった。

自分になって雰囲気が変わってしまうこともあるし、
それは仕方ないことだと思ってる。相性というものもあるし、
今まで付き合いのあった人がいなくなって、
代わりの人間が店長になったら、生きづらくもなる。
そればかりは防げない。人が変わっただけではなく、
客層が薄くなってしまったかもしれない。
この時期だから感染症のせいにしてしまうかもしれないが、
これこそそうだとしても、他の何かのせいにしてはいけない。
自分にとって何の得にもならない。改善の意思があるなら、
外部要因ではなく、
自分の中でどれだけ解決できる要素があるかを探るべきだ。
それに人はいなくなってしまったならまた増やしに行けばいい。
大きくなりすぎないように人脈を広げ、店を知ってもらう。
それはすごく地道な方法だ。
また、今まで来ていてこれからも来たい人の為に
行きやすい場所を残すことが役目だ。
基本的な雰囲気と方針は変えない。
もう拡大をするのはこの店に必要なことではない。

気が付くとチェキの貼ってあるボードが埋まりそうだ。
初イベントをしてくれた方、何かの節目でイベントをしてくれた方の
チェキをボードに貼って残しているのだが、
それが2018年の9月あたりから始まり、それがもう100枚を超えている。
もちろんすべて違う人ではないのだけど、
それでも多くの人がやってくれた。
誰もいないときにこのボードを見ると、
現在とのギャップに虚しくなってしまう。
イベントが終わった後に見ると、やってきてよかったと思う。
店のことを考えるときは何となくこのボードを見ながら考えてる。
振り返ったり、今後のことを思ったり。
何回見ても、何かしら思うことが出てくる。自分の発案ではないが、
面白いもんだ。人の思い出を残しておくことは
後々に価値が出てくるので非常にいい。

イベントというのは一期一会であり、
過ぎてしまえばもう戻ることも振り返ることもできない。
記録に残さない限りは。残せば、振り返ることはできる。
自分はこうして文章を書いているが、
自分が本来やりたいことはこれであり、
店長になったからにはこの文章を書くという性癖を利用していきたい。
この文章自体はまだまだ続くけれど、
この時点でここまで書く店長は他にいないはずだ。
いや、ライターだってブロガーだっていない。全くもって得がないからだ。
もしかしたら、
自分だってフォロワー0で店がなかったら書かなかったかもしれない。
多分書かないだろう。書いたとしてももっとのんびり時間を使って書く。
現在、店の中で明日の予約状況とかを気にしながら書いている。
またこれを書いているのは
日本史上初2回目の緊急事態宣言の下で書かれている。
店も閉めて、この文章の為だけに時間を使って書いている。
まぁ、お客さんが来ないからちょうどいいタイミングだと思って書いてるけど。

とは言え、別に自分が店として書きたいのは
こういう文章ではなくてあくまでも店のことを軸にした記録も兼ねた文章。イベントのこととか店の日常とかそういったものを書き進めたい。
当日も楽しめるし、後から振り返れてさらに面白い。
もちろんすべてのイベントでやるのは難しいとは思うけど、
何とか残せる限りはやっていきたい。
この辺りも感染症が言い訳にならないようにやっていきたいところだ。

気持ちが見えて

店長の交代に大規模感染症とまるで切り取り線のような時期だった。
もう切り取られて離れてしまうのではないかと不安になった。
0になってもやり切る覚悟をしていた。まだバイトも辞めていなかったし、補填もできると思っていた。それでも予想外にイベントの連絡をいただき、ずっとやってくれる人、不定期で継続してくれる人もいた。
6月になってから人の心が形となって見えた気がする。
本当に心配してくれる人はいたし、忘れられてないこともわかった。

「隠れたる信あらば顕れたる験あり」という仏教から来たことわざ?があるのだが、
これを非常に強く思った。ざっくりいえばひっそり信じてても、
何らかの利益で現れるよという意味。
自分が準備や維持に努めたことより、
利用してくれる人の気持ちが6月以降に現れてこの言葉を思い出した。
本当に気持ちが無駄にならないことなんてあるんだと思った。
仕事や学校が変わるたびに人間関係がリセットされ、
どんなにやっても見てもらえず、ミスだけは咎められてきたので、
そういったものは信じなかったし、期待もしてなかった。
それだけに感慨深かったし、店に関してはそういうことが多かった。

だからこそ、ちゃんと応えていかなくてはならないし、
続けていかなくてはならない。
伝えてもらったものがあるのに消えてくわけにはいかない。
またキャスもコインが投げられるからと言って意地で続けているだけではない。
託されたものやもらったものがあって、そこに応えていく形でやっている。
正直、店もキャスもその内、
みんな飽きて反応しなくなるだろうからそれまではやってみようかなという気持ちがあった。
そしたらまぁ、続くこと続くこと。おかげで引き際が分からなくなってしまい、
いつの間にか店長になっているっていうのが事の顛末。
明らかに文章を書くことと店をやること関係ないからね。

でも、仮に文章を書くような仕事に就いても
ここまで人の心が生々しく見られる活動もなかったかもしれない。
多くの人は許容量を超えてしまい、
抱えきれなくなって嫌になってしまうが、
自分は20代まで割と少し変わってる程度で
基本的にはつまらない人生を送ってたので、
そのつまってない部分を埋めるにはちょうどよかった。退屈はない。
このご時世は余計だったが、
これを書いてる今にしてみれば、大きめな暇つぶしになった。
退屈してるよりは戦う理由のある人生の方がいくらかよかった。

関わってきた人は非常に多いが、
その関わった全ての人の想いに応えられたわけではなかった。
仕事とかでもいい話になりそうだったが、都合や能力が追い付かず、
消滅してしまったり、連絡不精な性格が災いし、
そのまま付き合いも何もなくて関係がなくなってしまった人もいる。
少し言い訳をすれば、過去に関して言えば、まず居住地が秋葉原にあり、
バイトも2つやってて、おまけに負債まであったものだから行動に
制限があった。それで必死で果たせなかったことも多かった。
でも、自分のやり方が下手だからそうなってしまったのもまたあるので、
理由にはならない。

今は完全に活動も住まいも一極集中させたので、
その辺りではうまくいくと思っている。あと負債も0にしている。
時間も金も問題はない。そして、大規模感染症が発生…。
どこまでついてないんだろうとは思ったけど、
前以上には努力が通じる世界にはなっているので、頑張りがいがある。
だから、これまで応えられなかった分、
これからの分をしっかり応えていくつもりだ。

期待をすると期待し過ぎて、現実に裏切られるような気持になるので、
あまり期待しすぎないように生きてきた。
何だかこれ書いてる今、たまたま流れてきた米津玄師「恋と病熱」が刺さるな。
だけど、店に関わるようになってからその理が変わってきている。
まして店長になってからもっと。

意外と人は見てるものだというのは2年くらい前から思ってたけど、
目の前に見えない人たちにも願いがあって、
それにもこたえてく必要があるんじゃないかと思い始めた。
これに関してはそんな複雑なことじゃなくて、
ただ店の雰囲気を良く保ち続けることにある。
あるいは開けていて楽し気なイベントを打っていけば叶えられてくと思う。
もちろんそこにいるわけじゃないから何を願っているかはわからない。
ただ店としては行けばそれなりに面白くて、
居心地がいい場所であり続けることがその願いに近いと思っている。
あまり気にし過ぎても疲れてしまうので、
自分のペースでやれる範囲でやってくけど。

店に願いを

そのために目の前にいる人たちの話を聞いて受けていくことも大事だ。
見渡すと色々、機材をもらい、便利にもなってきている。
たまに人が多い時にもらったマイクを使って話している。(必要ない)
こうして人に支えられている店だからこそ人の声は重要になる。
だけど、全てを受けていては店としてもやりきれないことも出てくる。
ましてイベンターが入る店だからなおさら色んな意見が出てくる。
ある人の意見を聞いたら、他の人が使いづらくなったりというのもあるし、何も言わない人にもそういうのはある。

店によっては1hあたりでチャージを取るところもある。
これは店のある地域で考えたら、
さすがにやりすぎではあるが、店内環境を良好に保つためには有効である。
実際に店長をやると分かるが、
利益の為だけにチャージや高価格設定はあるわけじゃない。
治安もそうだが、経営する人の精神衛生の為でもある。割とこれが大きい。

罵詈雑言すらも盛り上がりに含めるスタイルでやってるが、
これをやってると一部、自分が言われてるようで、
あるいは言われたことを思い出して辛くなってしまうことがある。
これは本当に良くないが、
自分自身も後からめちゃくちゃ言われたなぁと振り返ることもある。
別に辛いから振り返るわけじゃない5時間くらいいたけど、
1杯の注文だったとかで。だから、言葉よりも「1,000円か・・・」
とか料金で振り返ってしまう。

じゃあ、金さえもらえれば治安はどうでもいいのかというと
それはまた別問題になる。結論から言えば、
酷ければ本人ごと金を突き返して出禁にする。
ただある程度であるならば、
どんな環境にしたって合わない人は合わないし、
それで苦情を言う人や嫌そうにしてる人の意見だけを
全面に汲んでいてはそれはそれで偏る。
しかも、苦言を言うだけ言ってこない可能性もある。ここが難しい。
とりあえず、
こんな性格なのでもう言わせたいだけ言わせればいいかと思ってる。
前にも書いたようにいじられキャラなんで防ぐのにも限界があるし。

これがきっとダメなんだろう。
わりと付け入られてちょいちょい店を私物化させてるところがある。
まぁ共有財産になるからいいとは思ってるけど、
その内、ドラムとかゴルフ道具持ってこられたら困る。
だから、実は好き放題やらせているようで
それなりに線引きがあるんだけど、多分その線は普通じゃ太すぎるし、
範囲がでかいだろう。いくら何でも許しすぎではないのかと。
物質的なもの以上に、暴言言われて放置するのは言い返さないと
何とも言えないが、何かのバランスが悪いんじゃないかと。
それももっともなんだよなぁ。

これは本当にダメなとこなんだけど、何でも許すのは構わないが、
それでは暗黙の了解で従っている他のお客さんに失礼なんじゃないか?
時間通りに帰ってるし、長くいたら注文するお客さんもいるのに。
悪いと思わないのか?と言われればこれに関しては謝るしかできない。
言ってることに間違いはない。礼儀というか気持ちに背いてしまっている。そこに何も対処してないのは事実だ。
自分がルールを守っているから他の人にも守らせろっていうのは
違うのだけれど、店の環境や経営のことを考えて自重しているのに、
それを平然とぶち壊す人がいて、その人の対応を疎かにする店長は
客に対して何も思わないのか。
こればかりは本当に至らぬところであり、良くないところだ。
ただ言えることがあるなら、暴言吐こうが本人に悪気はなく、
一応空気を読みつつそれなりには行動してる。
わりと失敗しているけれど。
俺としてはギリギリのラインを保ってるつもりだけど、
それを怖いと思う人もいるし、完全にアウトの人もいるだろう。
だけど、ウチの店は本当の迷惑客や悪人がいるわけでもないので、
何とかみんなの顔を立てたいと思っている。たまに保育園とか言われるが、人なんて無理しなければ駄々こねるし、言いたいこと言うから
そんなに変わらない。人間の面倒ってそういうことだと思っているし。
保育園児だって初めての場所に連れてこられたり、
怖い思いしたら大人しくなるし、それは大人になって変わらない。
大人も子供も人間だし、大した差ない。

とは言え、本当に線引きはある。
今でもそろそろ言わないといけないなと思ってることはあるし。
わりと低料金で騒げるからお金で人を見ない分、
義理や気持ちで見ているところはある。
だから、1杯で騒ぐのはいいけど、その上で当たり前のような顔をして、
人をないがしろにするようなら制限を設けるし、
その上で不快な行動しかとれないなら出禁の対象になる。
これもすごく優しい判断で、
注意、警告、制限あってからの出禁勧告で出禁だからね。
一発出禁にしないのはすごい緩い。

だから、逆に残酷なことになるかもしれない。
優しさに甘えて、甘え切って油断してるところで
首を斬るのだから。だから、出禁までのスパンを長くしてんだけどね。
無論、明確に害のある行動したら即出禁だし、警察対応になるけれど。
そして、そんなに放置するのはみんな長く生きてるわけだから
自制くらい利くようになるだろうと思ってる。
ちょっと都合がいいかもしれないが、その程度には信頼している。
俺も信頼の上で生かされているわけだし、
人には急に冷たく厳しくするのは身勝手すぎる。
何よりもあまりうるさいと楽しくなくなってしまう。
そんなしけた環境で酒飲みたくねぇだろ。
物理的に店がうるさいのはもう仕方ない。
ただ楽しい範疇に収めてうるさくなってほしい。
本当に静かにしたいイベントも対応してるので、その時はご相談を。

ある種野放しにしといて、
治安を維持してますっていうのも雑すぎるかもしれないが、
別にこれが本当に遊びだったら、野放しのまんまにしてる。
いつもそうしてきた。
仲間はずれにされようが、いじられようが。
それは前述の通りの環境と思考で生きてきたから。
嫌だったら、離れればいいわけだし、
人の扱いも自分の扱いもそこまで興味がない。
結果、面白いか楽しいかどうかしか見ていない。
不幸になるならやらなければいい。
しかし、これが人が関わり、売り上げと存続が関係しているので、
それでは済まない。あまりにも気分を害するような発言を繰り返して、
周囲の居心地を悪くしてしまったり、
俺の精神を著しく損なうようなことをしてきたりする場合、
損害というものが発生してしまう。
通常のコミュニケーションでは発生しえないものだ。
店があって、営業があるからこそ、発生しうるものだ。
よって、その損害から店と既存のコミュニティを守るために
言うことは言わないとなぁと思ってる。実際、そんな場面ないんだけどね。みんなバカではないから悪いと思ったら改めるか来なくなるし。
一応、これは今後の為に思ってることだ。

こっそりと仕入にこだわる

6月を経て7月。仕入れた酒が思いの外なくなってることに感動をする。
梅雨の季節でもあったのに、
それだけの売り上げが出たことに喜びを隠せなかった。
いただいた珍しい酒もそこそこに減ってきており、
ありがたい限りであった。自分としても仕入れには工夫があった。

商品単価の影響もあり、来客はそこまで飲むことはない。
なので、仕入れの減りは少ないが、
わりとありきたりなものが消費されてるだけだ。
せっかく、イベントがメインの売りだとしても、
飲むものが普通ではいまいち甲斐がない。
そこで繰り返し飲むには厳しいけど、
1、2杯なら満足いくものを仕入れの焦点にした。
何がいいのか考えた結果、
香りと甘みのあるものなら条件を満たすのではないかという結論に至った。
コクや強さなどは逆に受け付けなくて敬遠される傾向にあり、
日本酒などもなかなか空かない。

色々探したら、紅茶のリキュールというものが存在することが分かった。
早速こちらを仕入れ、
他にもシロップを強化して変わった香りのするものも仕入れた。
棚が狭くて、バーと言えるほど揃えられないのが現状だ。
なので、少数で目新しいもので、
楽しませる方が現実的だ。
またカクテルなどでも他で飲めないものを出せるようにした。
こうやってく内にカクテルの有効性がわかってきた。
コストをかけないで、
他の店にあまりないおいしい酒を出すのにはカクテルはうってつけなのだ。
お客さんはそりゃ店に来てるので、当たり前のように飲むが、
出す側は割とひねって出している。
なので、見えない努力みたいになってしまうが、
こういう積み重ねが印象を良くしていくのだろう。多分。

また、店長になって気づいたことなのだが、
ビールを発注する頻度で売り上げの調子が判明する。
ビールはケースで配達してもらうのだが、
大体月1で事足りる。それを基準に考えると、
2回頼めば、相当景気がいいなと言える。これが全てではないが、
帳簿を見る限り連関している。
少しだけこのビール発注をする回数を伸ばすことに楽しみを覚えている。

つまみはスナックを買うようにしている。
最初はポテチやらポッキー、たまにクッキーなど
色々手を変え品を変えとやっていたが、
今ではベビースターと柿ピーで安定している。
この両者のいいところはちょこっとずつ食べられ、
すぐに消費しないところだ。
一つ一つの形状が大きいとすぐに終わってしまう。
それでも構わないのかもしれないが、個人的にダラダラ食べられるのが好きで、
居酒屋とかに行っても鳥軟骨のから揚げをよく頼む。
これはたくさんある上に、うまくて安く、コスパがいいので最高なのよ。
酒の席でコスパとか言うとちぎって投げたくなるけど、
こればかりはこの表現以外見つからない。コスパ最高。
その原理で買うスナックも選んでいる。細かくてうまい。これだけ。

ポテチも一見良さそうなのだが、あれは劣化が早い。すぐにしけるし。
ベビースターと柿ピーは袋に分けられていて保存に適している。
とても出しやすい。本当に考えられた商品だなぁと思う。

本当はミックスナッツを入れたくて仕方なかったのだが、
単純に高い。無理。そんなでもないのだが、
自分と店の懐事情を鑑みるととても厳しい。それに意外と苦手な人いる。
なので、こちらは却下し、売ってる安価なスナックに落ち着いている。
ロングセラーだけあって本当に外れない。
ベビースターは苦手なんて人見たことない。

だが、いつまでもローコストを狙わないで通常の仕入れもしたいと思っている。
ミックスナッツも仕入れるし、ウィスキーなどもちょっとはいいやつ買っておきたい。
売り上げがその仕入れに見合うまでできないので、
仕入れられるように頑張りたい。
これもまた売り上げに対するモチベーションとして機能している。
そんなにたくさん売ってたくさん仕入れるぞって程でもないが、
やはり楽しみにはなる。仕入れるもので店の現状のレベルがわかる。
ゲームと同じでレベルアップしたい。したいでしょ?
なので、今は経験値を積んでいる状態。
ちょっと敵が強くなってしまってるけど、前には進んでいるので、
この速度でレベルが上げられればいい。

一時、料理も安定して出せないか考えた。
結局、意外とキッチン使う余裕なくて、作りだめできないのと、
他の人が出すのに難しいのが分かって、やらなくなってしまったが。
一番最初に考えたのがカレー。簡単に大量にできる。
しかし、そんなに売れなかったので、ほとんど自分が食べることに。
それはそれでいいのだが、気が向いたら作る程度に収まった。
他にも冷凍して出すときに解凍するのも考えたが、
予算の都合でそもそも料理を出す余裕もなく、
料理自体を作ることがなくなった。
別に個人では作らないこともないけど、メニューに出すことはなくなった。

わずかな経験がわずかに生きる

ここで店長をやるまでは飲食店なんて焼き肉の食べ放題のホールと清掃、
フードコートのラーメン屋くらいしかなかったけど、
今まで行った飲み屋の見よう見まねでやってる。
多分、お通しとかこれくらい出すだろうと。
割り材割るのもいい加減でもいいのだが、
メジャーがあるのでそれを使ってるやるのも教えられたので、できる。
自分で仕入れるようになってからはちょっといい加減になってる。

行ってきた飲み屋の中でも一番影響受けてるのは
昔の仕事の都合で行った仙台のバーだ。
ここには1年くらい行ってて、行き初めの頃はできたばかりだったが、
もう割と繁盛していた。この時は店なんだから、
開けたら人が入るの当たり前くらいに思ってた。
実際やってみると全然そんなことはなく、
それは繁盛店だということを今、思い知らされている。

そこはメニューにミックスナッツがあり、鴨のローストが売りの店だった。
次第に世界各国のビールを出すようになり、それも評判が良かった。
自分もウィスキーにプラスしてビールを飲み、味を覚えていった。
これが標準のバーなのかと思った。
そもそもそれまでは居酒屋に行くタイプだったし、
頼むものは焼酎ロック一択だった。その前に合わせてビールは頼むけど。
だから、焼酎に加えて日本酒の種類の方がまだ分かった。
ウィスキーもカクテルもよくわからなかった。
カクテルはその店では頼まなかったので、
店長になってから少し覚えるようになった。
そもそもカクテルあの店あったっけかな?

だから、店をやろうと思うときはその店が頭をよぎる。
そこに照準を合わせようとする。
なので、ミックスナッツが思い浮かぶ。
今までは居酒屋に行ってたし、焼酎を飲むわけだから、
ミックスナッツを頼むこともなくて、
実のところ頼んだのはその店が初めてだった。
居心地が良かったものの再現をしようとするのは人の心理なのだろうか。

本当はここまでやろうと思わなくてもいいのだけど、
せっかく店の形を成しているわけだし、やってみようかと思ったまでだ。
無理してまで再現できなくていいので、今のところやってはいない。
でも、いずれやってみたいとは思ってるので、
それで気持ちやってこれている。

店長になってからというより、
少しイベントが入れられるようになってどこか行った場所は
あるか考えたとき、
なったばかりの時より行けなくなっていたことに気づいた。
やはり、自分の店のイベントのことがあるし、
なかなか時間が取れなくなっていた。
それに緊急事態宣言下でなくともあまり移動は好ましくないと思い、
行けずにいた。それでも何とか時間を見つけてこそっと挨拶しに行って、
生存を確認し、安心した店もあった。

夏の予定も組めないご時世となったが、
赤字にはなってないのでそれだけは救いだった。
このころにはすっかり店を回す歯車として、定着していた。
それだけ店にいる時間は圧倒的に長くなっていた。バイトはしてたけども。

経験による集客予測論

前の店長の時のような売り上げの期待とか
できるような状況ではなくなってしまったけど、
それでもある程度の予測や傾向を掴むことができる程度にはなっていた。
売り上げには周期があり、今のところ2か月連続で落ちることもなければ、上昇することもない。アップダウンを繰り返しながら、推移していく。
また曜日の法則性は店長が代わっても自粛でも健在で、週初めは上がらず、半ばから上がっていって、週末をピークに下がっていく。
結構これが天候とか季節に関係なく、
きっちりと周期的に訪れる。祝日とかで狂うことは少々あるが、
かと言って、祝日前だからと言ってものすごく上がるものでもない。
そして、金曜日が弱い。これが普通の飲み屋と違うところだ。
火曜日より金曜日の方が少なかったこともある。
何なら、来客ナシの時だってあった。これは何故かと言うと、
金曜日は普通の飲み屋に行くので精一杯で
イベントバーにいく余力があるわけではないのだろう。
むしろそこまでの余力があるなら他の店はいざ知れず、
自分の店には来ないんじゃないかな。ちょっと話し相手が欲しい、
少し退屈しているから紛らわせるために行くという程度の
ちょうどいいスタンスで、めちゃくちゃ遊ぶ場所とはまた違う。
また客層としては正社員の人は少ないので、
週末に遊ぶ価値観の人はあまり存在しないのだろう。
自分が店長になる前は木曜日が一番多いくらいだった。
かと言って、その傾向から集客アップの対策が練られるかというと
そういうわけでもない。役に立たない結論として、
結局どんなにやったところで来ないときは来ないし、来るときは来るだ。
事前に準備していた大型の企画なら別だが、
それでも当日になると思ったより来ないというのはある。
こんなことはこの記事の中でしか言えないけど、
とてつもなく頑張ってこさえたイベントでも、
実際に来るのは期待してた人数の2~3割くらいだと思ってほしい。
じゃあ、その考えは絶対に覆ることはないのかというとなかなかそうでもない。
期待しすぎると来ないのは本当にあるけど、
反応が弱くて諦めてたり、キャンセルが続いたりで、
来るのが見込めないという場合でも当日になると
人というのは意外と来たりする。
いい例では1ヵ月くらい前から予約開始したイベント、
当日になっても見込みよりかなり少なく、
費用より少し上回るかどうかだったのだが、
実際に開けると人が多く、当日でも来店が多かったというのがあった。
結果的に想定以上に人は来て、準備していたものは十二分に役立った。
費用を賄うには十分な集客で、予想の2倍は売り上げがあった。
店としても十分な報酬を渡せ、かなり安心したのを覚えている。
これで失敗すると、イベンターさんに申し訳なく、
今後も気まずい感じになってしまうので、本当に安心した。
このように意外とドラマチックな結果を迎えることもあるので、
イベントに努力するのは悪くない。
集客を期待し過ぎてもいけないが、
時間と労力を割くことは無意味でもないので、
やるだけやるの精神でイベントに取り組むのも
いい経験になっていいだろう。
ちなみに俺自身は思い付きと何となくでしかやってないので、
そんなことやったことない。
むしろ、呼びたくないけどやらざる得ないようなイベントならやったことある…。

イベント根性論

経営側から見てもったいないなと思うのは
みんな集客も期待してすげぇ頑張るか前日まで何もしないで、
何となくやるだけの2択と極端なところだ。
確かにウチはすごく頑張っても知名度のある店や
人ほど集められないのもあるけど、
それをわかった上でちゃんとやるとそこそこには来る。
1人の人間には応対できる人数は限られており、
たくさん来られたところで相手できない。
その点、ウチでは1人が相手できる程度の規模の集客は可能であり、
距離感もちょうどいい。それを求めて、
空気のいい感じのイベントを練って、時間をかけて告知して、
準備もすると成功する確率は高くなる。しかし、認知はそんなにしないし、イベント自体もそこまで考えないか気合を入れすぎて、
ハードルが高くなり、集客に満足できない場合も存在する。
だから、何回かやってくれそうな人には
回数を重ねると認知も広がって、来やすくなり、
人が来るようになるとは伝えたりするけど、
本当は告知の段階で認知を広げるのがいい。
それを繰り返すことでより認知を強める方が効果的ではある。
それもそこまで大変なことではなく、
嘘をつかない範囲でイベント内容を強調し、
なんかできる程度の準備をすればいい。
ウチだったら俺に任してもらってもそこは何とかする。
大体、俺のわけのわからない、
何がコンセプトなのか不明なイベントですら、
回数を重ねるだけでそこそこに集まるようになったのだから
やってやれないことはないはずだ。
俺の場合50回以上1年以上の歴があって
ようやく集まるようになったのだけど。

これは店の意見でも店長の意見でもなくて、
1イベンターの意見になってしまうけれども、
やはりフォロワーが多い方が強い。
それも数字だけのフォロワーだけでなく、
中身のあるフォロワーで。
しかし、当初の俺は300人もいかない程度のTwitterフォロワー数だし、
他のSNSや動画をやっていたわけでもない。
どうやったのかと言ったら、単純にツイートをして、
他の店に遊びに行っただけ。それで話して知り合いになって、
イベントもやっての繰り返し。イベント内容自体は虚無。
酒出す以外に何もない。だから、回数を重ねることも必要だし、
色々行くのも必要だ。それが一番効果ある。足で地道に稼ぐというやつだ。
しかし、この時代にもうそれはできない。
一昨年までの貯金でどれだけやってこれるかが、
今の生き残れるかどうかを左右する。
とは言え、じゃあ、
今そういうことを始めて全く意味がないかというとそんな気はしない。
確かに出歩けない以上、前ほど効果を発揮しないだろうけど、
0の人は間違いなくプラスになる。
それを時代のせいにして何やっても意味ないと思って、
何もしないと本当に何も起こらない。
何も起こらなくても時間は進んで行くので、
その分だけ0ではなくマイナスをカウントしていく。
何もしないで何も起こさなかった時間という負債だけが積みあがってしまう。

あと決定的なことだが、
時代や風潮など外部要因を言い訳にするタイプはどんなに平和だろうと
荒れていようと結局何もしないし、
何も起こさないで終わる。いつまでも利用する側から離れられず、
利用を提供する側にはならないだろう。それは与えられたからやって、
与えられたからできたという人だから。
きっかけは与えられたでも何でもいいけど、
そこから先は全部自分の意思に基づくという精神でやらないと、
簡単に道が途切れたり、壁ができたりする。スタートは援助があったり、
勢いがあったりして、手持ちの材料がある状態だ。
しかし、そればかりに頼っているといずれ材料は尽きていく。
歩きながら材料を探すような気持ちでやっていって、
そこから構築するようなにしてかなくてはならない。
与えられてばかりいるなとは言わないが、
自分の手で作りながら進む気持ちは必要だ。
だから、やりながら考えていくとか、
材料は道中で探してそこで得たもので組み立てていくという人の方が
まだ提供者に向いている。
ちょっとは事前に準備してもいいだろうにと思わなくもないが、
あまりごちゃごちゃ考えるのもメンタルに悪いので、
いっそ何も考えないで始めてしまい、困ったら何とかするくらいの方が
健全かもしれない。こんな平和な国と時代に生きてたら、
そりゃあ与えられることに慣れてしまうのも仕方ない。
別に復興のために何かを作り続けなければならないわけでもないし。
現代人なんだからあるものを利用して、
なければ文句言ってやらないというのは自然なことかもしれない。
ないところから始めていくというのは結構無駄なことだ。
こんだけモノがあふれているのだから、
ありあわせのモノを組み立ていって、
それである程度完成させてしまった方が効率がいい。

だから、そういう精神構造が基盤にある現代を生きる人に無理は言えない。
そんなことがイベントでできるくらいなら自分で店を持つだろうし、
そもそもそういう人は社会で何かしら結果を出している。
なぜ、この店でやらなければならないのだろうか。
だから、イベントをうまくいかせてくれというのは
ニッチな要望と願いである。それでも、
仲間内だけでも社会でも見えない珍しい景色が見たいという人がいれば、
それを見せることができるのではないだろうか。
これはそういった“提案”である。いくらでも却下することはできるし、
これに基づかないイベントだっていくらでもできる。
だから、自分みたいなのは少数だし、
それでここまでやってきた人は界隈で見たことない。
あと、自分でもやってみて、いろんな人を見た結果、
意思の壁というのが見えてきた。逆に壁を迎えたり、
道を途切れさせないための意思の持ち方もわかってきた。

大物狩り

いくらかイベントを経験していくと大規模イベントに遭遇することがある。
店に入りきるのかどうかというレベルのイベントだ。
このクラスになるとちょっと普段とは違う体勢で臨まないとならない。
分かりやすいところで言えば、割り材や氷などの仕入れの準備だ。
当たり前のことかもしれないけど、こればかりはぬかってはいけない。
氷は特になくなりやすく、準備をしていてもなくなることがある。
炭酸水も同様だ。いくつも大規模イベントを潜ったが、
用意をしすぎてしすぎることはない。余ればただの仕入れだし、
足りなくなるより全然マシだ。想定以上に買い込んだ方がいい。
後は動線の確保だ。人が多くなり、動きにくくなってしまい、
トイレに行こうにも動けなくなってしまう。
とても簡単なことだが、場の雰囲気を少しでも乱さず、
スムーズにするためには店側が気付いて、道を空けてもらうように促す。
そこで放置してしまうと悪印象になってしまう。
当然、そこに気づかなきゃいけないくらいだから、
他にも気付くべき要素はある。グラスが空いていれば、
注文が必要か聞いて、少し手持ち無沙汰にしていたら、
それとなく話しかけるなど。普段は注文を聞くようなことはしない。
見れば十分にわかるから。
少人数の時に聞くと、要求しているようになるし、
頼まないとどことなく罪悪感を抱いてしまうので、
そこは雰囲気で動くしかない。
大人数の時は大体の気持ちが流れてしまうので、
注文利くくらいはむしろサービスとしてありだ。
向こうも頼みにくいのを気遣って聞いてくれたのであって、
せかしているわけではないと思うはずだ。陰キャの人なら分かると思うが、大人数になるとうまくしゃべれず、存在が宙に浮いてしまう場合がある。
そういう人をキャッチするのも大事だ。もうこれはイベントの為ではなく、
イベントに来てくれたのにいたたまれなくなってしまうのを防ぐ、
慈愛の心みたいなものだ。というか、俺がそうだ。
わりとイベントバーあるあるだったのが、
来たけどイベンターが常連の人とばかり会話して、
自分は隅で縮こまって終わったという場合だ。
これは決していい印象に残らない。楽しそうだけど、
放置されたは苦い思い出になる。そうならないために動線確保と注文、
宙に浮いてる人の回収はすべきなのだ。
これはイベンターに要求するものではない。店長がやるべきことである。

イベンターというのは店にそもそもいつもいないので、
店のことは全くわからなかったり、不慣れである場合が多い。
さらにイベントのための動きも色々としなくてはならない。
店とイベントを同時に回すことが大規模イベントでは要求される。
その負担を回収するためにも店長はいる。
この場合の店長というのは誰でもできることをする
役割を果たすために存在してる。
つまり、イベンターでなくてもできることをして、
イベンターには自分にしかできないことをやってもらうのに集中してもらう。
例えば、イベンターが接客をしてる時に店長はメニューを出したり、
案内をする。また、イベンターもある程度やってくれるので、
メニューを出す速度がその分上がる。
そうなると起こるいいことが回転数が上がり、注文が増えることだ。
これがイベンターだけに任せると注文提供の速度が遅くなり、
注文を諦めてしまうかもしれない。これは測ったわけではなく、
体感だから具体性はないが、店側の補助があるかないかでは
1割くらい売り上げに差が出ると思う。
イベンターにはお客さんも遠慮が発生する。
店のこと分からないのは客もイベンターも変わらないので、
無茶が言えない。
しかし、店長となればわかって当たり前のポジションなんで
遠慮なく言える。ちなみにだからと言って、
容赦なく色んなことを言われるなんていうこともない。
一応、ずっと店やってる人だということでそれなりに丁重な扱いはされる。
別にこの辺りは読んだところで誰の参考にもならない情報だけれども。

そして、用意するものは仕入れだけではない。人数が多いということは、
当然飲み物を入れるグラスだって必要になる。
店のグラスやその他容器は足りているか?
なければ、使い捨てでもいいのでとにかく用意しなければならない。
想像以上に必要になる。棚にグラスを置いてあるが、
それ以外にも廊下に予備を出している。大規模イベントになるとそっちも使う。
そして、普段のイベントではまず出ないものが出る。
それはシャンパンだ。これは結構油断する。
シャンパンか代わりになるスパークリングがなかったことはないが、
肝心のグラスは結構足りなくなる。そして、意外に売っていない。
もちろん100円ショップのシャンパングラスで十分なのだが、
それも少数で、置いてなかったりする。
100円ショップに行くような人シャンパン飲まないもんな。
一回、買えたには買えたけど、
それ以降2週間たってもシャンパングラスは入荷されてないのか、
そこの100円ショップでは置かれることはなかった。

自慢ではないが、
大規模イベントで大きな不足などでミスをしたことはない。
無事にイベントを終えられた自信はある。
それはイベンターに恵まれたおかげもあるが、
自分も色々と配慮して、それが無駄になってないと思っている。
あと、大規模イベントを超えるたびに何かが“上がって”いく気がする。
今までの理屈が通じた感覚、反省点が改善されて生かされた感覚、
工夫と配慮が運営に好影響を与えた感覚。
これら全てが自分の経験として積みあがっていく。
そのたびに新たな自信につながっていく。

集客が多いイベントは通常のイベントとプレッシャーが違う。
楽しくやれればいい。
そのイベントバーで使い古された気構えだけではやれない。
大勢の人が見ている。聞いている。感じている。
SNSの銃口などとは違うリアルな感情だ。
逃げも隠れもできない全ての評価材料がそろう。

何回か来た人、初めての人。
それぞれのバックボーンが大きく異なる人たちが店に向かう。
大勢の足音が聞こえる。普段は来ない駅に降りて、
初めての店に向かって地下へ降りてくる。
イベンターと静かにそれを待つ。足りないものはない。
酒も氷もグラスも用意はある。
「今日来ないかもしれないですね」よくある来客前に漏らす言葉。
そんなわけはない。
足音が聞こえる。大勢の足音が。来ないプレッシャーとは異なる、
大勢来るプレッシャー。予約があるわけでもなく、
目の前に人がいるわけでもないが、確信がある。絶対に来る。
人が多くなるとトラブルも起こるかもしれない。
サービスが行き届かなくて不満の声が漏れるかもしれない。
初めての人がどんな感情を持つかわからない。
今どきの個人のミニマムビジネスということで逃げられるわけもない。
時間を割いて、金銭と商品が好感される世界で、
そんなこと知ったこっちゃない。
小学生でもわかる理屈と筋を大勢の前では通すのが難しくなる。
その代わり、特別な体験を提供するとか高品質な商品の提供などもいらない。
とにかく通常通りの営業をやり通すこと。
少人数の時と変わらない状態を目指すに尽きる。
人と人の出会いの化学反応を操作しようとするな。それは流れに任せろ。
大規模になったイベンターの人徳を損なうな。
流れを止めなければ、成功は見えている。

一番すごいのでは1回の注文で、
2,3杯頼まれるのが3,4回連続で来た。
飲食のホールなんてまともにやったことない自分には重めの負担だった。
酒をおごってもらって何杯か飲むイベントもあったが、
このイベントの時は一切飲んでないにも関わらず、吐き気がした。
プレッシャーか?
グラスを取るために棚に向かい、
客に出すためにカウンターに向かうのを繰り返して目が回ったか?
飯が一切食えなかったから胃酸が逆流でもしているのか?その全てか?
全くわからないけど、この日ばかりはバイトの方が楽だと思った。
苦しめの労働だった。

イベンターも無事ではないけど、俺としても貴重な経験になった。
それぞれ違う経験だが、大規模イベントは収穫が大きい。
必ずどこかで生きていく。
それに備えて、古い椅子の処分、店中央のスペースの確保もしている。
こういった準備もまた有効かどうか確認できるので、有意義だ。
この景色は店長にならなかったら見れなかったな。
何かと共感されることが少なくなる店長という立場だが、
始まるまでのプレッシャー、イベント進行の負担、
終了後のイベンターへの配慮。これに見合うだけの経験ではある。
これをどう生かすかで店の在り方は変わっていく。

得しなくても波に乗って

人生なんて見合わないことの連続だ。
これだけやってるのに何も成果が出ない。
大したことやってないあいつが順調なのが理不尽すぎる。
そんなこと当たり前のように日常にある。それを口にしたりはしない。
晴れの日もあれば、風の強い日もあり、雨に打たれる日だってある。
それと変わらない。言葉にしたところで何も解決したりもしない。
ただ生きていくことしかできない。生きていくだけだってこんな調子だ。
珍しい店で、珍しい生き方をして、店で一人しかいない店長をやる。
誰にも分らない世界で共感ができないことなんて毎日のようにある。
人並みの不安に店の不安が乗っかってくる。重てぇプレッシャーだよ。
まともに考えたら。それをお前がやってみたらわかるか?
何のつもりでモノを言ってくんだよ、なんて言えるわけもない。
悪意はなく、雑談として振られた言葉に過ぎないものに
自分にしかわからない感情を向けても、仕方ない。
離れていくか、勘違いした客に病院にぶち込まれるだけだ。
理性で感情を整理して、落ち着きを取り戻す。
この回数が圧倒的に店を任されると増えるので、
これを腐らずにやっていくというのは難しいことだ。
外ではニコニコしてなきゃならないのに、SNSまでニコニコしてたまるか。
何故外でニコニコしてなきゃならないかというと、
相手が相手の反応を選択ができねぇからだ。
ちゃんと理解と共感をしろっていきなり怒鳴られても正面衝突事故でしかない。
現実では生身のハンドリングが迫られている。
一方でSNSは選択の世界なんだから、
違法でもないものなら見なければ済むだけの話だ。
そこまでやってられるか。
SNSを宣伝媒体としている店長としてとてつもなく誤った運用だが、
今更変えてどうにかなるものか。
こんなんなんでメインアカウントには店長なんて書いてない。
震えながら運営用アカウントで店の告知をしている。
頼むからこっちをフォローしてくれ。とか言いつつ、
メインアカウントで対応してしまうことが多い。
もうメインアカウントは血塗られてて呪われてるので、
綺麗なアカウントでやっていきたい。

どんなに深い親交があった人でも離れていくときは離れていく。
ネットもあるはずなのに、人は忽然と消えていく。
追うこともままならない。離れた人はもう戻らない。
その場でどんなに仲良くなったところで、
店を出たらまたそれぞれの日常が始まる。
その間に日々の出来事に流されたり、合わせてた気持ちが元に戻ったり。
互いに違う生き物なんだ。
ちょっとやそっと会ったところで離れていくのは当たり前だろう。
むしろ次もまた会って、それが長く続く方が奇跡なんだ。
もうこんなこといくらでもあった。
元々、連絡をマメに取らない性格も祟り、人間関係リセットの癖がある。
組織を離れたらもう付き合いはない。
まれにあることもあるが、俺にその気力がない。
特に今は今の関係で手一杯だ。
俺もこの調子なんだから、会えなくなることなんて当然だ。

本当に振り返ると何人がこの店で楽しそうにして、
その内の何人が離れていっただろうかと思う。
残った人よりいなくなった人の方が多い。
その当たり前のことに虚しさも覚える。
失ったものを数えたところで取り戻せたりはしない。
今、手の内にあるものだけが全てだ。
でも、それもなくなってしまうのかもしれない。
常に喪失の恐怖がまとわりついてくる。
「今度、来ます」という声はいくつも闇に飲まれた。
このまま人っていなくなるんじゃねぇか?
大した博打でもないのに常に何が起こるかわからない商売。
ストレスがない割にはいいが、
同じ時間をかけるならもっと割のいい仕事は存在する。

人は気が変わってしまうし、みんなが正しいわけでもないし、
間違っているわけでもない。人と人が出会って、一緒にいられるときは
たまたま同じ気持ちでいられたタイミングで一緒に存在しただけで、
時間が経てば、その気持ちもまた変化していく。
同じように変化していけばいいのだが、
ズレが出てきてしまった場合、それが別離のタイミングとなる。
形と距離が変化する歯車同士みたいなもので、
いつまでもかみ合っているとは限らない。

自然な流れで一緒にいた人間が集い続けるのはこれだけ難しいことだ。
ついそのことを忘れて、いつまでもいてくれる気でいてしまう。
だからこそ、意識的にこの人の本質を思い出して、
自分に言い聞かせることで過度な期待と離れてしまう悲しさを防いでいる。
絶対なのは生きている自分と存在している箱(店)だけだ。
それ以外はすべて流れていってしまう。
そういう意味合いでも水商売なのかもしれない。
安定しないのは売り上げだけでなく人間もだ。
ならば、水量を増やすか流速を速めるしかない。
水滴をため続けてもいつかは乾いてしまう。

店長というのはその水の管理が主な仕事かもしれない。
店にある商品もサービスもかかる費用も、
全てが水を循環させるために存在している。
それも澄み切った水を大量に速く流していく。
そして、水を流すことも眺めることもできるけど、
その水の中に入ることはできない。ただ独り水の監視を続けている。
共感することはあれど共感されることはない世界。
光や暗闇の中でずっと水を流し続けている。

上から見て

もう客でもイベンターでもなくなり、
以前とは同じ目で見られることはなくなってしまったが、
それはそれで別の出会いがあり、別の立場でいられる。
他所の店に行ったとき、ただの客の扱いから別店舗の店長として見られる。
普通の客としての会話はもうできなくなってしまったが、
店長でなければ話してもらえない話や共感が発生する。
それはややもすれば無視されることもある普通の客という立場と比べたら、
圧倒的に受け取れる情報量と質が違う。得することが断然に多い。
それに普通の客もイベンターも散々やってきたので、
もう今更やることもない。
いつまでも変わらないものは死んでいるのと同じという信条の為、
経験したことはもういらない。
期間的にもタイミング的にもちょうどいい時に店長になれたもんだ。

イベンターの時は別にただの人の店であり、
自分には関係ないと言えば、それまでだった。
儲かろうが潰れようが何の影響もない。ただただ長く携わっていただけだ。
だから、店長の誘いの段階でならない選択もできた。だけど、受けた。
別にこの店を愛してるがあまりに
店長になったとかそういうのではない気がする。
ちゃんと考えてないので、その辺が我ながら曖昧だが、
これは違うというのはわかる。これが少し離れた所にある店だったら、
何の感情もなかったかもしれない。他にやりたい人がいたら、
全然任せる気でもあった。
別にオーナーが誰であっても店長にはなったと思う。

だから、イベントのやらしてもらった回数、
他に適役がいなかった、もう一店舗オーナーが始めた、
地元にあったということなどの要素が一つでも欠けていたら、
俺は店長として存在していなかっただろう。

時間もあったし定職にもついてなかったし、
店も店長も興味があったからやった。だからと言って、競争があって、
試験があったらそれでもやりたいかというと全くやりたくなかった。
潜らなければならない関門があったら面倒なのでやらない。
その程度の気持ちだ。
普通に考えて、自然発生的に店長なんてやるもんじゃないけど、
自分はいつの間にかなっていた。
普通に生きていくよりははるかに楽しいので、
やっておいてよかったと思う。
大規模感染症が流行ったのも本当にタイミングだなぁと思う。
物事というのは意図せず重なることが多い。
何だか運命というものがあって、
それは日ごろの行動と意識で変えられるものなのかもしれないが、
そんな魔法みたいなことできるわけもないので、
自分はただ与えられたものを受け入れ、
それが自分にとっていらないものなら打ち返すだけだ。
去年に至ってはいらないものが多すぎて常に打ち返してて、
戦場で剣を振ってるみたいになってたが、今年はどうなるだろうな。
姿勢は変わらないので、また来たらまた打ち返すだけだが、
できれば、早く受け入れるものが増えていけばいい。打ち返すのも面倒だ。

みんなでやろうよ

やっていくとゴミ捨てとか仕入とか
自分じゃなくてもできそうな仕事は多い。
これを全て1人でやっているととても効率が悪い。
できることなら自分が勘定して、
帳簿つけている間に仕入れだけでもやってもらいたい。
同じ時間で2つ以上作業が進行するなら言うことはない。
現在、行きがけに仕入れの買い物をすることで
個人レベルでは行く時間と買い物する時間を
並行させて同時進行をやっているつもりだが、できてもその程度だ。
人を使う時間節約には物理的にも敵うものではない。
どうしても手伝いが欲しくなる。
だから、副店長とか他店では存在するのだろう。
こっちも存在させたい。頼むからコーラを買ってきてほしい。
あと1人で全部やっていると長い目で見て抜けが出てくる。
作業に集中してると、他にやるべきことが分からなくなったり、
忘れたりして作業に質が下がる。
1人でやるのは本当に良くないことだと思った。
1人でできたとしても誰か1人でも入れた方が、健全に事は進む。
やろうと思えば、
1人でもできるという状態にはなっておかないとダメだが、
できるようになったら人を使うべきだ。
余裕ができれば、その分また仕事をいい方向に進められる。

定期的にサポートしてくれる人は確かに存在しないけど、
店に来た時に色々と助けてくれる人はいる。
いつもではないけど、気が付いたら掃除してくれる人とか、
足りないものがあったときに買ってくれる人などはいる。
こちらから頼んだわけではないのだが、
それでもやってくれる人がいてありがたい。
頼むのがうまくないので、
頼まずにいたら誰かがやってくれて本当に助かった。
もちろん助けてもらうばかりでは悪いし、何かで返すようにはしてて、
いつまでも頼めないのも良くないとは思っている。

ただし、だからといって、
頼めそうな人に頼むというのも面倒ごとにつながりそうでダメだ。
これはこれから頼みそうな立場になる人にも言いたいが、
後々にマウントを取ってきそうな人、
態度や立場を変えてくる人などには絶対に頼んではいけない。
頼んだことを人質のようにして、
いざ利害やトラブルが発生した時にダシにしてくることがある。
「○○やったからいいでしょ」「紹介したの、自分ですよ」
などと恩を武器にまでは使ってこないが、
盾にして主張してくる可能性もある。
別に過去にしてくれたことに恩を感じることはあれど、
それが契約のような効力を発揮して、
こちらが操り人形のように動かされることもないのだが。
しかし、それが分からない人も思ったよりいて、
そういう人かどうかを見抜く力は必要になる。
この辺りが管理者としての資質でもある。初期スキルのようなものだ。
俺はこの資質に欠けているため、未だに人にモノを頼むのができていない。
悪いと思って頼めないのもあるけど、
主な理由は頼んだ後の処理が分からないからだ。
お礼を軽く言えばいいのか、
これからの扱いに変化を出さなくてはならないのか。
頼んだ分のアクションが全くもって想像つかないのだ。
そして、人を見抜けない。だから、誰にも頼めず、
周囲の人はなんだかんだ無事にやれてるくらいにしか思わない。
そのなんだかんだというのは全く分かられてないわけなんだけど。

ただ1人でやると面倒だが、
人に頼むことのほどではないという作業が多いのも事実。
それでも頼んだ方がいいというのが俺の論調だし、
人にもそう言うのだが、自分自身はなかなかそれができない。
もうレギュラーで入ってくれる人もいるのだから、
その人にやらしてしまえばいいとも思うのだが、
一方で定期的に入ってくれるありがたい人に
そんなことまで頼むことはできないと思ってしまう。
じゃあ、たまにしか来ない人に言ってみるかというと
それはそれで頼みにくいとなる。
いろんな理由をつけて、自分でやるしかないという結論に至る。
いやぁ、こうして振り返ると自分の人生がどうにも華がなくて
ぼっちなのもうなずけるな。
今年の課題として人への頼み方を覚えるというのも付け加えておきたい。

広げた交流

しかし、この2,3年でいろんな店に行き、
いろんな付き合いをしてきたので、交流の幅が広くなった。
その幅の広さのおかげで助かっているところもある。
絶対数が多いため、ほとんどの人が手伝ってくれなくても、
誰かしらは手助けをしてくれる。イベンターやってた時、
あまりやっておいて、人を集められないのも悪いと思って、
客としていろんな店に行っては
しれっとイベントやってることと店のことを教え、
それを長く繰り返してた。もちろん今の店でもやった。
とにかく顔を覚えてもらわないことには始まらないので、
とにかく挨拶して話してた。他店だと大きく宣伝するのも良くないので、
会話の中で出せそうなら出すようにした。
うまくいくと店長自らこちらの紹介をしてくれることもある。

その甲斐あって、多少、店と自分の認知が上がり、
ちょっと広めることのない現在でも何人かが店に関わってくれて、
運営をする助けになっている。出会えた人々に感謝は尽きないが、
行って話さなきゃ、その出会いもなかったので、
とにかく動けるときに動いてよかった。火というのは起こすまでが大変だ。
だけど、一度火が付いたら消えないようにしていけば、いつかは広がる。
客として行くのは火をつける行為だけど、本当にそれをやらなかったら、
今はなかった。別に客として何回も行こうが、
イベントをやろうが人との距離の縮めかかたが恐ろしくへたくそなので、
ただ知られているだけの関係以上にはなってないのだが、
その分、無駄に気を遣うこともなく、動きやすい。
つまり、友達にもトラブルにもならない中途半端な関係性を築ける
他店のスペックつよつよ店長たちと比べると非力ではあるし、
何の才能もないのだが、
この関係性を維持できるという点は
唯一の店長としての才能なのかもしれない。

イベンターは盛り上げる必要があるが、
必ずしも店長にはそれが要求されない。店長に求められるのは安定性だ。
他の何がなくてもいい。ただそれだけは外せない。
逆に盛り上げられるけど、不安定というのは店の管理に不向きだ。
盛り上げることはできなくても、店を開けていられる方がまだマシだ。
少なくとも自分はこの一点だけで、店を存在させ続けられたので、
そんなに厳しいことではない。厳しいことがあるとするのなら、
人の店であって自分の店でないことのプレッシャーか。
店をやる人の為に何かを言うほどできるわけではないが、
店をやるために必要な能力や才能なんて、特にないということは言える。
誰でもできる最低限のことをやり続けて、
それがいったい何なのかを見極められるかどうかだ。
最低限のことができないで、
新しいサービスや商品を導入してどうにかしようというのは
まず無理がある。
やるべきことをやって土台を作ってから何かをしたいならすべきだ。
特別なことでなく、普通のことから始めれば、
それで十分で、やりたくなかったら特別なことはしなくていい。

こんなことはイベンターとしてやってただけの時はわからなかった。
偶然、店長になってからもイベンターとしての経験を生かして、
そのままイベントを毎日やる感覚で、
店を開け続けてたら潰れなかったというだけ。
イベントもイベントでコンセプトも
あるようでないような通常の営業をしていたので、
本当に店長になってからも変化が少なかった。
金の管理が加わったくらいだ。
イベントの依頼とかは似たようなことやってたし、
イベントの管理はグーグルカレンダー使えればできる。
自分は誰にもやれないことはやれないし、
誰にもできることもちょっとしかできない。
それでもそのわずかにできることを
やり続けるのが重要だというのがわかったのは店長になってからだ。
見る方向が変わったというだけで、やってることに変化はない。

ただ生活は変わった。
バーだから当たり前かもしれないが夜の時間が長くなった。
みんなが1日を終える時間に終えることはできないし、
みんなが帰って疲れを癒しててものんびりすることはできない。
イベントの集計があり、お客さんがいれば応対を続ける。
立ってしゃべり続け、注文があればメニューを出すことだけが許される。
帰る時間はまちまちで午前中に帰って寝るという日々。
日の下で行動するのも少なくなり、店の中にずっといるので、
もう何だかずっと夜と言っても差し支えない感じだ。
一応、今の住まいの近くに大きな公園があって、
とても健康的な生活ができそうなものだが、
近くの公園に行くことはなくなり、
ずっと自転車で10分以上先の店に居続けている。
店長になってから違う国にきたかのような時差がある。
その夜を越えた分、ぶれずに前が見られる。
さらに先を見据えられるようになっている。
以前よりも高みで戦えるようになっている。
この場所に誰もいないけど、この場所で戦えるのは俺だけだ。
比較した劣等感に邪魔されることもない。戦うことだけに集中できる。

それぞれの豊かさ

見る人によれば、不幸に映るかもしれない。
誰もいないところで自分しか見てない景色を見ても、
幸せとは思えないかもしれない。
しかし、自分からするとたとえ守られたところだとしても、
何も知らないで生かされてるだけの方が不幸に見える。
家畜は幸せかもしれないが、どこにも行けず、
何も知らないまま一生を終える。途中に苦しみがあったとしても、
結果的に今より高い幸福が得られるなら今感じてる苦痛なんて、
対価に過ぎない。投資なんていうほどに大層なものじゃない。
生きてたら何かしらの代償を払うのだ。
投資ができるほど先見の明はないから高額の買い物で人生を豊かにしていく。
その経験でまた高額の買い物をするという繰り返しだ。
だから、器用に投資ができて、
大体狙い通りに人生を歩んでいる他人を見ると羨ましくもなる。
それでもできないことはできない。
今、自分のやれる限りでたたき出せる幸福の最大値を出している。

生きていて、似たような経験はあれど、全く同じ経験をすることはない。
データがある程度の範囲で
役に立つことはあっても完全に当てはまることもない。
だから、失敗だと思って振り返って夜の反省会をしたところで、
それがいつ役に立つかなんてわからないし、そもそも無意味だったり、
忘れた頃に生かされるタイミングがやってくるかもしれない。

人との付き合いなんてまさにそれであり、反省なんてしてたらキリがない。
それでも店の為ならやらなくてはならない。
個人的な付き合いであるならば、
今度はこれ話したら面白いかなぁくらいで済むけど、
店の存在を消さないためとなれば、
次は確実に面白くするという決意が必要になる。

しかし、経験というのは積めばいくらでも積みあがるものであり、
選択肢も増えていく。
人との対応が迫られるたびに膨大に枝分かれした選択肢が目の前に広がる。
直感で選択できなかった場合、一つ一つの選択を吟味していくことになる。
だが、会話で妙な間が空きすぎると話せなくなり、
選択肢がすべて消えてしまう。
だから、すぐに拾い上げていかなくてはならない。
失敗から学ぶたびに難しくなっていく。
人と接するたびに反省材料の重みが増していく。
どう対応したら失敗で正解なのかがわからなくなってくる。
それでも対応の精度を上げるためにずっと考え続けなくてはならない。
一つ言えないことがあっただけで、
次につながらなくなってしまうことなんていくらでもあったのだから。

人と会うたびに話すことが難しくなり、
逆に何も話せなくなってしまう。これはネットでも同じで
人の反応と自分の振り返りで書くことを剪定していったら、
ついには幹しか残らなくなって選ぶものがなくなってしまう。
店に関わってから選択肢の増加と選択する機会が異常に増えた。
その選択肢の多さに口を閉ざしたその先を見ることもまた増えてきた。
「嫌ならやめてしまえばいい」「意味のないことはやらない方がいい」
などの意見は、よく見られるようになった。
経済不調の国で昔のやり方を続けていく社会に生きていたら、
いくらでも無理と無意味に遭遇するので、
そのような意見が増えていくのも仕方ないだろう。
それでも自分はその意見をそのまま受け入れて行動できる器用さはない。
器用じゃない自分にできることは限られている。
必然と時代に取り残された古いやり方を通していくことになるのだが、
かと言って、それを指摘する人間がうまくやって言うのを見たことはない。
止めた方がいいって言った人間の人生で失敗がないかというとそういうわけでもない。
むしろ、逃げてきたツケからさらに逃げる苦労をしているパターンもある。
本当に器用な人間は不器用さを指摘するような無意味なことはしないのだろう。あるいは不器用なところは見せないで、
器用なところだけ見せているのだろう。それこそ器用なのだから。

前は人の意見をいったん全て聞いて改善できるか試みたこともあった。
有効な意見も多かったが、
中には現実性と再現性を伴わない短絡的な意見もあった。
この二つの意見を見極めて、選別するのに時間がかかった気がする。
今でも完全にはできていないだろう。
言うだけ言っていい気になる人がいるのもまた事実だ。
そういうところは誰にだってある。だから、全てを真に受けても仕方ない。でも、意見で判断するのが面倒だからって、
人そのもので判断するのも間違っている。
楽ではあるが、どんな人でも全てが間違っているわけでもないので、
中には正しい意見もあるので、
それも拾い上げて糧にしていかなくては損をしてしまう。
それが夜を越えた回数分、糧が多くなるのだ。

イベントバーを回す

すっかり暑いのが、当たり前になってきた8月の頃、
イベントがまぁまぁあるのが当たり前になっていた。
1ヵ月前からの予約とかはなく大体1週間くらい前に入って、
2週間先は空いてる日が多いのが、多かった。
だから、募集をしないで済む余裕はさすがになかった。
それでも、大分慣れてきて、精神的な余裕はできていた。
この時、とっくのとうに辞めるつもりだったバイトは
まだ辞められずにいた。マスクも供給が安定し、
トイレットペーパーもなくなるようなことは減った。
バイト先近くのラーメン屋は並ばずに入れるようになったのは変わりなかったが。

通常のバーというのはカウンターがあり、
リキュールがメインのドリンクで、フードは少しあるくらいだ。
だからこそ、リキュールの種類やカクテルを豊富に取りそろえる。
そこにコミュニケーションを組み込むことで仕入れを抑えて、
サービスで料金を取る飲食店が派生して存在する。
その中でもイベントバーはコンセプトバーに近い。
ただし、一定のコンセプトがあるのではなく、日によって変わる。
さらに人も変わる。
新宿などでもすでにあったタイプのバーではあるが、それが全く浸透してなくて、
競合がない所でやったのが自分の所であり、近隣のバーである。
誰もやってなくて独り勝ちが狙えるのならやればいいと思うかもしれないが、実際のところ、通常のバーを1人で回した方が利益という面だけで
考えれば得である。
1人ならいくらメニューを強化しても混乱しないし、
一定の空気感を作り出せる。ただ、イベントバーは利益を出せない分、
人に任せられることが多いし、1日バーテンダーなので、
客も店もわからなくて当たり前のところからスタートするので、
気楽に営業できる。店長なら、営業中はいなくてもいいし、
その間に別のことをすれば、店と自分で2倍利益が出せる。
だから、楽な割には収益が出るという意味でイベントバーはおススメだ。
そこで繋がりができれば、そこから新しい仕事ができるかもしれないし、
健全に自立を図れる。適性があるので、誰でもやれるわけではないが、
適合さえしてしまえば、ストレスなくいい方向に行ける。
それに店の規模や設備は食品衛生に引っかからない最低限さえあればできるので、副業や週末起業として始めてもいいだろう。

結構、イベンターは売り上げとか気にしてしまうようだし、
全く別の似たような店でもやはりプレッシャーになると、
で書いてあるのを読んだ。自分も初めの方はそうだったが、
回数重ねるうちに、
(向こうがこんだけやってまたやらしてんだから別にいっか)
という気持ちになり、
最終的にはだらしなくなった。
一応、氷とかない時は買いに行ったりしたけど。
だが、ほとんどそんなに回数をやらない。
だから、責任を感じてしまうのは仕方ない。
さらに店の設備とか全くわからないからそれも苦労の種になる。

確かにそう思う気持ちは大変よくわかるけど、店長になって思ったのが、
イベンターはやっぱりそんなに気にしなくていいということ。
ずっと人が来ないときもないし、
来るときもないのでそこはやる前から考えても仕方ない。
こちらも準備しなければ費用を請求するというわけでもないし、
そんなだったらやらせんなよって話だ。
だから、店がOKして立つ分にはもうそれ以上気にしなくていいと思う。
まぁ、これはウチの話なので、他はまた別のルールとマインドを持っているかもしれない。そこはよくそこの責任者と話し合ってね。

こんな感じだから、内容は特に決めてなくてもいいし、
頑張ってくれちゃってもいいわけだ。俺も仕事辞めたから無職バーだったし、ちゃんとやる人は資料や娯楽品などを用意してやってた。
宣伝も1か月前の人もいれば、前日に決めてやった人もいる。
ちゃんとやればそれなりに結果は出たし、
やらなくても出ないときは出なくて、出るときは出たという具合だ。
とにかく、イベントバーの肝はいろんな人が毎日やっているというところにある。
このご時世で自分が立つことも多く、ちょっとイベント感もなければ、
楽でもなくなってしまってるけど。

どのくらい力を入れるにせよ、無理しない内容、
やりたい内容でやるのが一番だ。
あんまり頑張りすぎちゃっても結果次第では後悔してしまうし、
疲れちゃうので、そういうのはやらん方がいい。どうせならこの店同様、
イベントも楽したわりには成果が出たくらいの方がいい。お得感満載だ。
頑張っちゃうと人というのは頑張りと利益を天秤にかけてしまう性分なので、頑張りが軽い方が充実度が高まる。
それにあんまり頑張られちゃうと店長もプレッシャーが…。
まぁとにかく楽しんでもらうことが一番だ。というか、
1日バーテンダーも立つことを対価に支払ったお客さんみたいなものだし、
そんなに無理させるなら従業員になってしまう。やる?無給or極微小の歩合制だけど。

みんな、集客がー単価がーと店含め言いがちだが、
そんなことにフォーカスするより楽しさに振り切って考えて、
それから売り上げについて考えてもいいし、
考えなくてもいいんじゃないかなぁ。
あと黙ってるとみんなプレッシャーで頑張るとでも思ってるのか言わないみたいなんで言っとくと、
本当に頑張ってほしかったら話し合って頑張ってもらえよ。
黙ってもやるだろうという圧力は人の気持ちを利用していて、
汚いんだよ。なので適当にやってもらっていいですよ。
マジで無理そうなら断るし。今まで断ったことないけど。

それに売り上げ的な話なら、今まで自分が立ったことで最悪、
自分で何とか出来るというのも、強みになった。
それがなくても上記のような意思の下で判断をするけど、安心感が違う。
いざとなればというのがある人は平常の営業も安定してできる。

イベントというのは不思議なもので、
どれだけ適当にやっても何故だかイベントに沿った会話をしている。
一応、来た人の気持ちがイベント名で来てるからそうなるのだろう。
実際はそうなのかわからんが。
イベント名というのは話の取っ掛かり程度で
実際はそれに忠実になる必要性はない。
全くの嘘をついてしまうのはダメだけど、一応嘘でなければいい程度。
実際に始まってみなきゃわからないし、
名前は共感が呼べればいいくらいだ。
あんまり内容を詰めても仕方ないのはそういうところに理由がある。

狙う層に向けて

一応やるからにはだれも見向きしないイベントはやりたくないというのもある。
Twitterは認知度のほかにも共感度によっても影響力が変わる。
イベントの告知や宣伝は主にTwitterでやるわけだが、
だからと言って共感だけを狙うと
一体誰に向けて行っているイベントなんだかわからなくなってしまう。
例えば、梅雨の時期に「梅雨大嫌いバー」とか
夏に「暑すぎて死ぬバー」ってやっても、確かに共感はするけど、
浅すぎて「あぁそうだね」で終わってしまう。
これだとターゲットが浅すぎて広すぎる。
個人的にはこのイベント名でも嫌いではないけど、
ちゃんと狙いに行くという発想があるのなら勧められない。

裾野が広いことは大事なことだが、
広げるだけ広げても誰にも刺さらず、何も残らない。
しかし、「スポーツの○○というテクニックについて研究するバー」とか「アニメ○○の3話について語るバー」などでは
あまりマニアックすぎるのも誰にも分からないで流れてしまうので意味がない。
刺さった場合は鋭く深く刺さるが、
あまりに尖りすぎていて、当たる確率が低すぎる。
それだったら素直に競技や作品について語るバー
にしてしまった方がほどよく共感を呼べる。

また普段の客層や地域性についても注意がいる。
都会のイベントや施設について触れたいのであれば、
都心のバーでやった方がいいし、
神社仏閣などについて語るならそういうのが近くにあるバーの方がいい。
フォロワーや個人に関しても向き不向きがあるように
店のある地域においても適性が存在する。
もちろんイベントの対象の知名度によっては
場所を問わないかもしれないが、どうせなら地の利を生かした方が、
楽だという思想だ。
結構、これをやらない人多いが、店のある場所が地元じゃないからだろうか。
別の店では足立区のことが豊島区で語られたイベントもあったし、
そこは絶対ではない。

そして、客層も大事で、20~30代が多いバーで60年代の流行について振り返ってもそもそも生まれてないため、共感が皆無になってしまう。
普段からそういう人がいるのならそれでもいいのだが、
そうではないなら、いばらの道を歩くことになる。
また男性客が多いのに女性向けのイベントを男性が打っても、
厳しい結果が予想される。自分が普段集めてたり、
集められそうな客層と離れたイベントは共感の的が外れる。
そもそも、男性の場合、女性客を集めるというのは至難の業なので、
よほどでない限りやらない方がいい。
また異性がらみの内容のイベントは住宅街が近くにあるような店より新宿などの飲み屋街の店でやった方が、相性がいいので、
手近だからと言って近所のそういう店でやることはない。

最後の決め手はフォロワー数やら個人の認知度と層によるが、
これは単純に数字や親身に接している人の多さによるので、
特別に言うことは何もない。
もしこの辺りの数字が低い人は内容で勝負するしかなくなる。
もしこの辺の数字が少なくて、内容以外で勝負しようと思うのなら、
前述した地道な営業をするしかなくなる。
他の店に行って、それとなく知り合いを増やして、
宣伝するというのを繰り返すしかなくなる。
自分はおおよそこの方法で増やした。
しかし、これのおすすめできないところは時間と金がかかるとこ。
10回行けば、その分知り合いは増えるが、2,3万は飛ぶし、
時間だってその分費やす。
しかも、それで出せる結果はたかが知れている。
イベントで少し人が増えたくらいで返せる労力ではない。
純粋に人に知ってもらえるのが目的であれば、それでも構わない。
自分はそうだった。
しかし、大体の人はそこまでしたくないと思うので、
これを集客方法としては挙げたくない。
それとイベントの数は10回くらいじゃ結果は出ない。
30くらいでようやく地道にやってきてよかったと実感できる。
これが持たざる者が徒手空拳で掴める限界だ。
だから、もし少しでも盛況になるようにしたいのならば、
内容を詰めて、告知と宣伝の時間を作った方がいい。
さらに営業行って人が呼べるかどうかは
そのイベンターのキャラクター性に左右される。
内容が特に引っかからなくて、呼ぼうとするのなら自分を使うしかなく、
こういうのを属人性に頼ると言ったりするが、
それも才能による限界がある。
正直、面白みのない人が営業をしたところで人は集まらない。
だから、この地道な営業もまた誰にもできないところではある。
また回数を打つのにも意味があって、
1回目で来れなかった人の為に2回目をやって来れるようにするなど、
前回のイベントそのものを宣伝代わりに使ってしまう。
回数がこなせればそれができる、
あるいは定期イベントを入れてもらえるのであれば、
必ず同じ人がやっているという安心感と信頼感で、
徐々に人が集まるようになる。他の店に客として行脚するよりは効率がいいと言える。
また回数をこなすのなら他の店でもやるといい。
費用をかけないで開拓と宣伝が同時にできるし、
他店の雰囲気が分かって面白いので、こちらはおススメする。

宣伝や内容の決定は店の為だけではない。
見てる人や行ったことのない人の中にも、
きっかけさえあれば行きたいと思っている人はいる。
そういう人たちが行きやすくするためでもある。
ゲームについて語られてもわからなくて行きにくくても、
読書交流会なら行けるという人はいる。
そういう人の為にイベントの方向性を定め、
発信していくことは宣伝というより優しさと言える。

そして、共感を限定的に広く求めるのは大事ではあるが、
さらに狙っている客層の線引きも大事である。
人には相性があるが、その相性が悪い人たちが集まってしまったり、
論争になりそうな内容にすると、店の空気が悪くなったり、
コントロールができなくなってしまう。
だから、反発の起こらない集客をするためのフィルタリングも重要になる。

自分から言えるイベントのやり方というのはこんなところだろうか。
後は著作権やら風営法に触れないようにして、頑張ろう。
わからなければ店に聞こう。

精神安定

売り上げはメンタルに効くというのは
店をやっている仲間の中でよく言われたりするが、
悲しいことにメンタルの調子が良くないと
売り上げも上げるに上げられない。
気持ちが下降していると行きづらい雰囲気になってしまい、
余計に売り上げに響いてくる。
答えとしては普段は売り上げに関係なく、
淡々とこなして、売り上げが出たらちょっと喜ぶような感じで、
メンタルを上げも下げもしないのが得策だ。
上がってるとそれについてくる人はいるかもしれないが、
自分がもたなくなってしまう。

と、こんなことを書いてるが、
本当に客が来なくてひまで仕方ないというのは経験したことない。
ましてこのご時世で自分ですらそんなことがなかったので、
もう店なんてやれば来るんじゃないかすら思ってる。
ただ、さすがにそれは傲慢なので、
普段のコミュニケーションはしっかりやってるつもりだ。
Twitterは腹が立つので、使いたいように使わしてもらってるけど、
配信とかnoteはそれなりにやっている。
noteまでTwitterの勢いでやってたら本当にいじめられてる中学生の日記みたいになってしまうので、
さすがに自分もそれは苦しくなってしまう。
noteは多少の公共性をもってこれでも書いている。
何より認知が手が回らない程度にはあるので、
もう出来上がったコミュニティを巡回するだけで、
ちょっとした宣伝になるんじゃないかと思っている。

じゃあ、もし全然来なかったらどうするのかと言えば、
配信しまくるし、noteも更新しまくるだろうな。
特にnoteに関しては全然知らないところにも届いたりするので、
開拓の効果はある。さらにTwitterと並行して使えば、
認知済みの人たちにも存在感を示すことができるし、
その人たちがちょっと拡大してくれれば、Twitterでも拡散できる。
noteでビビったのが、全く交流はないが、
店の人間として知られている人に直でおつかれリプをもらった時だ。
知られてたし、気持ちもあったのがすごいありがたかった。
むやみに長文で書いて読ませないようにしているが、こういうこともあるので、手は抜けないものだ。

なので、暇だったらあらゆる媒体の更新をしまくるし、
それでも時間があれば他店にでも行くかね。
それでダメになったらさすがに落ち込むだろうけど、
それはそれでネタになるからいいかもしれない。
今のところ年末年始も含めて3日以上店に人が来なかった日など存在しない。
むしろ緊急事態宣言入ったし、これで文章書きまくれる、
本分が果たせるぞ!くらいには思ってたのに。
だから、人が来ない場合の対処法は提示はできても、
実体験として語れない。店によっては完全に予約制にしてしまって、
来なければフリーランスとしての仕事場にしてしまうというのも
聞いたことがある。自分もそれに近いことをやろうと思ったのだが、
そうもいかなかった。なんせ人が来ちゃうので。
いや、別に自慢をかましたいわけではないのだが、ありがたいことだ。
だからまだ全てやれることやって人を呼ぼうとしたことはない。
そう思ってやってるとどこかの段階で来客がある。

店長をやる前からも時間があるのをいいことに色々と動きまくったおかげでそれなりに付き合いの幅も広がったが、店長になってからはさらに広がった。
移動はなかなかできてないから行動範囲は限られてきたけど、
店を使いたいという人との付き合いが今までの付き合いに加えて増えた。
今までのように店の管理と状況下の問題により
自由に動き回ることはできなくなってしまっていても、
それまでの付き合いに店の要素が加わることで新しく出会いができてきた。過去に動いていなかったら、あり得なかったので、
会ってきてよかったし、良縁に恵まれていると感じた。
貯蓄と言えば、金くらいしか想像がつかなかったけど、
これで人間関係や信頼もまた資産であり、貯蓄されていくものだと思った。
そういうことを言うと何だか胡散臭い商売の話みたいになるので、
この辺にしておくが、自分が好きでやってきたことが
こういう時に助けになって返ってきて感動がある。

文化を作る

個人ではどんな店に行くこともできるし、それなりに楽しむことはできる。しかし、その文化を自分の店に受け入れられるかというと
別問題になってくる。当たり前の話かもしれないが、その店で売りにしていてヒットしているものの要素を取り入れたらうまくいくとも限らないし、
相性の問題でできない。例えば、ネットを使ってんだから、
それこそインフルエンサーだとかこれから売り出したい人、
興味ある人を集めるような店にしたらいいのかもしれないが、
自分の店ではそうもいかない。
そもそもアクセスがいい場所にあるわけでもなく、
地元か沿線の人間が行きやすい店でもある。
そうなると流行や話題に乗るような人はアクセスしやすい場所に行く傾向があり、そういう人たちの行きたい店と自分の店ではまた違う。
そして、すでに都心にそういう店があるのにわざわざこっちでやることもない。
また無理して集めたところで、集客ができなくて、
店に悪い印象ができてしまう。

売れそうな文化を取り入れればうまくいくというほど、
さすがに楽ではない。そういった意味では学生文化もそうだ。
店の近くにはなんと大学が3つもあるのだが、
どれ一つとして利用客にはなりえなかった。

まず、基本的に学生は飲み方も知らないし、金もないことが多い。
飲むならサークル等とかで飲みながらゲームでもしてた方が楽しいし、
それ以外を知らない。
どうしても合コンとか外で飲みたい場合はチェーン店を利用するし、
他の店は怖がる。
自分も学生の時は1人で行くのならそういう店もありだと思うけど、
金がないのでそんなに行けないし、知り合いと行く場合、
失敗できないのでその辺にありそうな店を安牌で使ってしまう。

まず学生を呼ぶという障壁はこれだけあり、
次に近くにある大学を見た場合、一つは音楽大学であり、
ここの学生はそもそも一般人と文化が違うため、
来させるのはかなり難しい。大体、活動が忙しくて店に来てる暇はないだろう。当時、小中学校の同級生で音楽大学に入った女性がいたが、
今や懐かしいmixi日記には当時、発表とバイトで忙しく、時々ナンパに遭うストレスが書き込まれていた。
卒業後も演奏会で各地を飛び回っているようであり、
多忙な日々を送っているようだ。そんなわけで3校の内、一つはダメだ。
残る2校は芸術大学と文系大学だが、
芸術大学の人たちも意外と暇ではない。そして、個性的な人間なんて、
もう大学で食傷気味だろう。他所で飲むときくらい普通の店かいい店に行く。
芸術大学の人は割と自立しており、
いい所を自分で探して、そこを居場所とする。
そうなると中途半端な個性を売りにした店なんてわざわざ行く理由もない。
文系大学の方は完全に普通の学生であり、
単純に地下の店というだけで怖い。あとチャージがかかるって何?
それに最近、ゼミに力を入れ始めたらしく前のバイトでそこの大学の子と
同じシフトになったときに話を聞いたら、その子もサークルとゼミで忙しくて飲んでる暇はなさそうだった。さらに就活にも追われていたため、
目の下にクマができていたのが印象的だった。これは取り付く島がない。

あれだけ人数がいながら、学生は客にならない。
無理して呼んでも金がない。
バイト中に大量の学生が登校するところは何度も見た。
まるでヌーの大群のようだった。見たことないけど。
しかし、その大学の流れからバイト先の客になることはなかった。
人数だけいて、潤いをもたらすことはなかった。
やはりヌーでは美味しくないみたいだ。食べたことないけど。

そういった障壁を突破して呼んだとしよう。どうなるか。
単純に金がないから売り上げは厳しい。
あと何も知らないからイベントを盛り上げるほど面白い話はできない。
だから、完全にお客さんであり、こちらが何かしなければ、何もしない。
それでも飽きたらいなくなる。そうでなくても、
呼ばれた人間というのはおもてなし待ちであることが多く、
来たことがある人なら分かると思うが、完全にもてなされるわけではない。他の店にはない面白を求めてきている。
自分もある程度、その面白を受け入れて、
何か発していくことでさらに面白くなるような店だ。
それが分からないで金出して待ってれば何かいいことがあると思ってれば、何も起きないものだ。
この辺りの理解が学生には難しい。
まして、人には困らないのだから学生の身内イベントで頑張ればいい。
独自の文化があるわけでもなく、こちらの文化と融和性もなさそうであり、厳しい。

あと決定的なことかもしれないが、
こういう変わった店に興味を持つほどの好奇心を抱くのは、高学歴層が中心だ。お世辞にも近所の大学の偏差値はGMARCHより高くはない。
イベントバーだとGMARCHで最低限で早慶以上の出身者もゴロゴロいる。
やはり知的好奇心は行動範囲にも表れるものなのか
トップクラスの学生とイベントバーでは遭遇した。
自分の頭でしっかり考える習慣があるためか文化を理解し、すぐに適合していく。
これを凡百の学生に求める方が無理がある。
メインの客層にはならないのではないかと思う理由がそれだ。

学生に限らず、女性をバーテンダーにすると強いという意見もよく聞く。
男性だと女性を呼べないが、女性は男性だけでなく、
女性も呼べるので集客力があるという。
そして、男性は女性に金を使いたがるので、売り上げになるという話も。
確かにそれは間違いではないのだが、ずっとそれが続くことはない。
一瞬の爆発力であり、次はない。また定期的に入ることもなく、
基本的に体力に不安があるため、無理はさせられない。
自分の観測する範囲では定期で女性で入ってるイベンターはあまり見たことない。
まして、若ければ、
イベントバーではなく本当の夜の街の店で働いた方が金になる。
そういった意味でも女性に来てもらうのは難しい。
客としても女性は学生同様に臆病かつ慎重であり、
綺麗でサービスが充実している所に行く。
わざわざ金払って、つまらない所には行きたくない。
仕事でもないのに自分が面白くしてく理由もない。
散々サービスとアピールを重ねてきてもらえるかもしれないけど、
その労力は膨大なものがある。そして、何より学生にしろ女性にしろ、
それが理由で集められた客はあまり信用ができない。
文化ではなく個人目当てに来た人間は店にまで敬意を払う理由がない。
店にケチをつける、客やイベンターとトラブルを起こすなどの可能性が店についてくれてる人より高い。
まして、たまにしか来なくて、ずっと来なくても平気ならば、店に来られなくなるデメリットなど考えない。
いざとなったら何をしてもいいくらい思ってるかもしれない。

なので、目先の利益を優先した手あたり次第の集客や文化の取り込みは長い目で見ると、マイナスになる。
ついていった人は離れ、行こうと思ってた人は行きづらくなり、
誰も来なくなってしまう。フォロワー数の少ない男性で、
わずかな共感を集めて、最終的にはその人を中心とした大きな輪が広がることもある。
イベントバーというのは毎日パーティーをするようなもので、
その勢いをずっと続けて利益にするようなところがあるが、
店や経営者によってはそれができないこともある。
その場合は長期スパンで考えなくてはならない。
他人からのアドバイスはほとんど短期的なもので、
長期的な目で見ていない。
1,2週間儲かる方法は教えてくれても半年後はわからない。
なので、最後の最後は店長が決断しなくてはならない。
そして、それは成功する頃には忘れられ、
失敗をすれば言うことを聞かなかったのが悪いと責められる。
誰もいない場所に立っているということは
そういうリスクも背負っている。自由であることは決してタダではない。

はっきり言って、文化だけでは飯は食えない。
実際、イベントバーとか言って、集客だ個性だと言って、
空間を作り出したところでそれが大きな儲けになることはない。
肉体労働でもして稼いだ日銭の方が、圧倒的に上である。
独自性で金になりゃ、苦労はしない。みんな好き勝手やる。
だから、文化から利益へつながる導線が必要になるのだが、
そんなのも簡単に見つかりゃみんなやってる。

あなたはなぜこの生活を?

それでも手探りで店が良くなる方法を探し、1日1日を耐え忍んで生きている。
しっかり自立していて、余暇があり、遊興費に困らない人から見れば、
苦しんでるだけにしか見えないだろう。なのに、この店を維持し、
考えたところですぐにどうにもならないことを考えているのは何故か。

実家暮らしでバイトだけやって帰ってた時期があった。
その時は平気でデカいTVを買ったし、PS4買って、IpadProも買ってた。
現在よりも遥かに経済水準が高い生活をしていた。
今は個人の空間がほぼ皆無のシェアハウスで、
2.5万円の自転車を買うのもやっとな生活だ。
だけど、自分の生活を自分で全てコントロールできるので、
生きている実感がある。嫌々、仕方ない毎日を送り、
適当に余暇で茶を濁し続ける日々とは違う。
自分は20代の多くをそういう風に過ごしてたんで、もうその毎日はいらなかった。
30代になって、根なし草のような生活になってしまったが、
根を張った生活が嫌になってしまったので、それでよかった。
また、生活が安定していても、金に困らなくてもふんわりとした絶望感がまとわりついてた。
そのことを考えると別にストレスがなくて、
今の方が満ち足りてるところはあるので、充分だ。

それに人間らしく生きてるなぁと感じる。
以前の方が豊かではあったのに、何故そう思うのか。
単純にストレスがないからというのもあるけれど、
おそらくそれだけではない。仕事など決まりごとの中だけではなく、
自由意思で生きていて、出会う相手もそういう風に生きている。
その間に生まれるのは契約や金銭以外の何かで、
それが積み重なっていくと文化になるのだろう。

思えば、金のために働いて、金に生かされるのは獲物仕留めて、
肉焼いて食って生きるのと変わらない気がする。
それは現代社会での生き方か?別に現代の生き方に定義なんてないけど、
動物と人間の大きな差は文明があり、文化を保有していることにあると思う。
確かに働いて生きるのは文明的かもしれないが、
それは文明の子飼いであり、人間が文明の家畜になっている。
文化を享受する余裕なんてない。暇をつぶして寝るのがせいぜい。
人間を人間たらしめるためにも文化は必要なもので、
なければ人間をやってる意味はなくなる。

老後になり、余裕ができてから好きなことをすればいいなんて
自分が学生の頃は言われたりした。
経済が崩壊に向かってる現在ではだいぶのんきな展望だ。
今、老後なんてあるかわからないほどに働き続けている高齢者が存在するのだ。長い余暇が取れる老後なんて不確かすぎて夢と変わらない。
そこで文化的なことをやろうと思う気にはなれない。
そうでなくても、どうせ金を持った後や老後にやるなら今やっても変わらない。
ビジネス書に出てくるメキシコかなんかの魚釣りの話ではないが、
ゴールまでは短いに越したことはない。

豊かな生活というのは経済が潤っていることではなく、
夢中になれる文化を持っているかどうかだ。
それはたくさんあっても、一つあっても変わらない。
そもそも金が豊かさの指標であるというのは、価値判断が貧困すぎる。
別に好きでもないのに金稼ぎをして、
何もない時に何かしても心が動かない。動物ですら、
目の前のおもちゃがあったら遊ぶくらいの余裕があるのに。
そんな精神が死んだ生活を続けてても、生きているとは言えない。
自分は生きていたかった。
飢えから逃れた人類のやることは文化の発展にあるはず。
まずは文化を築いて、それを土台に経済が回り、
また新しい文化が生まれる。
経済という概念ができた初期はカネとモノが循環していた。
しかし、モノがあふれた今、もうモノを生む必要がなくなってくる。
それはモノを生むための情報すらいらなくなる。
モノそのものがいらないのだから。その代わりに文化が出てくる。
金と文化を回す経済が現代的な在り方と思う。

人の集まるところに経済は生まれる。
経済の仕組みで生きているのは人間だけだからだ。
便利な道具や美味しい食べ物がなくても集まる場所がある。
そこでも経済は発生するし、
日常に必要なもの以上に発展させることだってある。
音楽や演芸、美術などがそうだ。
また特定の人の集まりにしか通じない会話や行動がある。
それが心地よく、人を集める。その人たちがそこの地域の中で経済を回していく。
これが文化による経済発展もしくは維持である。

経済による経済の発展は過労死を招きやすいが、
文化による経済発展は人を消耗することがないので、
ずいぶん健全である。自分の生きやすい生き方を全人類が目指すべき姿であるとまでは言えないが、
少なくとも自分の最終到達地点はこれであり、
こういう生き方だってもっと提示されていいはずだ。
みんなが金稼ぎが好きなわけでもなければ、
文化に没頭するのが好きなわけでもない。
どちらをやっても、両方やっても生きてて苦しくない社会が理想だ。

身体拘束を伴う労働、低賃金労働による活動の制限を伴う労働、
低賃金かつ身体拘束による精神的不自由が伴う労働などを
定職とバイトを繰り返すことで味わってきた。
その上で自分には労働そのものによる収穫を得られなかった。
こんなあやふやな生活をしている今の方が多くの人に会い、
気の合う人も多くて、いろんな場所にも行った。
退屈を覚える暇がないほど何かに満たされている。
金があっても、自由が削られてしまうと何も満たされない。
これは自分の能力の問題でもあり、
しっかり社会で通用する能力のある人は稼いだうえで余裕があり、
満ち足りた生活をしているだろう。あくまでもこれは自分ができなくて、
できることを探してたらこのようになったというだけだ。

近所から離れて、電車で会社で働くより、
地元で地元の人たちの為に働いてる方が自然に見えた。
実際に地元の個人店でバイトをしてたことがあったのだが、
地元ならではの会話をしたりして、人間らしさがあったし、
通勤で疲労することもなかった。遠くで仕事だけの繋がりで、
いったい何考えてるかわからない相手と通じて、
金を稼ぐよりも違和感がなかった。
だけど、このバイトからでは先がなかった。
商店街の住民として生き続けるにはこれでよかったかもしれないけど、
自分には十分でなかった。別にこれが辞めた理由ではないが。

地域の特色と文化

地域というのは人が集まり、その人たちが作り出した空気感が地域文化である。
それはいいものばかりでなく排他的なものもある。
イベントバーで地域色を考慮した集客を記述したが、
地域によってその色は異なる。
モノやサービスを激しく経済を循環させる地域もあれば、
小さく回転数を上げて経済を回すような地域もあり、
観光などで大きくゆっくりと経済を動かす地域もある。
それは立地の問題もあれば、都市計画によるものもあり、
人口も関係している。様々な要素が相まって、独自の文化を形成していく。

その中でも大きく分けるなら商業地区と住宅街では文化が異なる。
住宅街に最も近い大きな経済圏と言えば商店街だろう。
これはショッピングモールなども含む。ビジネスビルはなくて、
飲み屋やスーパー、個人商店が混じり、時折、住宅も混じっていて、
ビジネス街より混沌としている。
自転車で他の地域を当て所なく行くのが好きだったので、
いろんな商店街を見てきたが、どれ一つとして同じような所はない。
似たようなところはあれど、よく見たら全く別だったりする。
完全な商業地区ほど計画性がないためだろう。
たまに見る新しい商店に挟まった古い民家のような店のような物件は、
ここいらの地主か何かなのかなと想像するのもの面白い。

都会の経済はそれぞれの店が自分の特徴を発信して、客を引き込む。
それができるのはアクセスの便利さに頼れるからだ。
しかし、先ほど書いた自分の店のようにアクセスにも人口にも
頼れないため、店の独自性だけではやれない。地域の特色を考えて、
そこに集まる人たちの属性などを考慮した集客をしないと
売り上げにはつながらない。
店と地域の特色が重なるところで勝負していくのが安定している。
おまけを言えば、いざという時に協力を得られるように地域の人たちと
仲良くしとくといい。トラブルが起きたとき、助けてもらえたり、
変な疑いをかけられずに済むので。
少なくとも話しかけやすい関係性を築くためにも笑顔で挨拶しとこう。
嫌われたら居づらくなるぞ。

便利な時代になったから実際に行かなくてもその街の雰囲気とかはわかるかもしれない。
しかし、実際に行かないと分からないことの方が圧倒的に多い。
異常に安い総菜や揚げ物の店、
地元にしかなさそうなCDが売ってる店のワゴンに入った昔の激安アニメDVD、メディア掲載禁止のクレープやなど。
張り紙でたまに地域紛争の跡が伺えたりするのも面白い。
それぞれの地域にしかない名物や歴史がある。

自分を売る

地域には地域の面白さがあり、それが人を惹きつけていく。
そして、魅力が増していく。
だが、それは街があり、店があるからできることだ。
人間単体でやっていくと大変なことになる。
属人性に頼ると直接、精神が削れていく。
数日は耐えれても、その耐えた苦痛が積み重なり、
長期間にわたると学習した苦痛に動けなくなる。
削れて消えるというのはこういうことだ。
だから、自分ではなくても成立するような属人性から
離れた商売の形を目指すのはそのためだ。

地域も店も面白いから人が来る。それを人間でやるとどうなるか。
「おい、面白いことをやれ」
そう言われて従わざる得ないとき、プレッシャーを感じるだろう。それは面白いと思うことを考え、相手にそれが響くか測定して、
さらに面白さの精度を上げる労力と
失敗したときの恥というリスクがあるからだ。
何とかハードルを越えてもそれが何度も来る。
それが個人で面白さを出すということだ。みんなができないわけではない。毎日のランニングができる人もいるように面白いことを考え続けられる人もいる。
失敗もリスクに感じない人もいる。でも、そんな人ばかりではない。
できる人だって、ある程度は削れる。

店や仕事で面白さを求められるときはそこまで瞬発性もないし、
リスクもないが、負担にはなる。やること全てが当たれば、楽である。
しかし、そうはいかないから行動と反省と改善が必要だ。
それを乗り越えて、何とか面白さの供給ができるようになる。
成功した時の輝きを求めて、続けてく。
定着すると個人によるエンタメが完成する。
個人のYouTubeなんてまさにそうだろう。

ここまで行くと今度はエンタメによる人格の浸食が始まる。
キャラというものができるが、
それは本来の人格ではありえない判断をすることも求められ、
自分のキャラのはずが、そのキャラに動かされる操り人形になる。
築き上げたキャラがやらないことはやれないし、
やるであろうことは率先してやりにいく。
気づくとキャラに引きずり回されてる自分がいる。
そして、他の誰にも代わってもらうことはできない。
そのキャラが他人に移せるわけはないのだから。
求めてもらう大変さが求められる苦しさに変わる。
別に店でなくても、芸能人でなくてもその苦しさはある。
会社に行って、立場に沿ったキャラを演じることもある。
仕事仲間と友達では振る舞いも変わるだろう。
人は意図的なコミュニケーションを続けると疲れる。
そこに仕事の負担が来る。誰もが悩まされる不安の種だ。
本来の人格とキャラの乖離の距離が短いのが今なので自分は比較的楽な位置にいる。
きっとこうやって居心地のいい場所がゴールになるのだろう。
今のところ目指すべき場所はない。

地域にも店にも個性があるが、それに合わせて集める人を選ぶと効率的だ。客層も経営側も同じだ。イベントバーだし俺の考え方もあって、
別に人を選ぶ気はないというかむしろ誰でも受け入れる姿勢なのだが、
店の雰囲気が一定してきたら、
雰囲気を壊さない人選びが必要になるのだろう。
長くやるとそういうのが自分でも少しは出てきて、
基本的にウチの店は雑な傾向にあるので、
あまりに神経質な人は歓迎できない。
イベンターで食器の位置が気に入らないとかメニューがわからないとか
何の店か決めたがるなどあまりにも言う人は遠ざける。
それは普通の店では当たり前に備えられてる要素なのだけれども、
ウチにはないもんはないんだから仕方ない。諦めて。
そこまで言うのなら、事前に聞けばさすがに答えるから聞いてほしい。
わかったかな!?

大体を受け入れてく性格と生涯のためでもあるが、
店に文句を言ったことはないな。
あるものをそのまま楽しむし、ないものを嘆いても仕方ないのだから、
何も言わない。その場にあるものでやってく精神なので、
本当に何にでもケチつける人の精神が理解できない。
そんなに嫌なら自宅でやるか他の店行くか自分で店やればいいだけの話だ。

なので、神経質かつ会話ができない人はそばにいてほしくはないかなという気持ちはある。それでも行きたがってるなら来てもらえればありがたいし、
受け入れるけれど。

店長になると謎情報が集まるが、とても人には言えない。
せっかくライターとしてやっていく上でのネタになると思ったけど、
全く使えない。言っても面白くないのが多いけど、
個人情報と感情に関わることが多すぎて口を閉ざさる得ない。
またその本人がいいとしていても、自分の口からは言えないか、
聞いた人がマズいと思う情報もあるので、うかつに口を滑らしたりはできない。
別にこれはここだけではなくいろんな所でも言ってるのだが、
信用性をの為に行ってるわけではない。俺も聖人ではないし、
むしろ真逆なので、言われても管理に困る。
言いそうになったことすらないが、NG情報が増えて、
言えないことを脳内に置いたままにするのは、苦しさがある。
そんなに信用されても困るのだ。確かに誰にも言えないのはわかるのだが…。
ボトルキープ性はないけど、データキープ性があるわけでもない。
もう全てが1日で終わるのよ。
何も残らない。無だよ、無。俺にも残さないでよ…。あ、食料は残して。

信用してもらうのは大変光栄なのだが、情報管理が怖くなるので、
ほどほどにしてほしい。
ショッキングなお話はとても面白いのだが、
いつか「バラしたでしょ⁉」って言われて殺されるんではないだろうか。
言いません。言いませんけど、むやみにしゃべらんでくれ。ほどほどに。食料はどっさりでもいいので。

信用で繋がる

契約や小売りではないから人との関係を直接売りにするから
信用は大事になるわけだが、その中でもとりわけ通信環境での
コミュニケーションは信用の度合いが重要になる。
これは先ほどの信用とは別のベクトルになるのだが、かなり限定された特定の会話でない限り、
自由なトークも含めたようなコミュニケーションをネットで取る場合、お互いをかなり知ってないと、難しくなる。
まず何を話したらいいかわからなくなる。過去の経験を共有するのが、
コミュニケーションは一番楽なわけだが、知らない人だとそれができない。
知り合いですら、しばらく会ってないとかだと難しくなる。
自粛により配信環境下での飲みが増えたわけだが、本当に疲れる。
店でやる場合、一方的に店側が話さなくてはならない場面が出てきたりする。
これが個人間だとみんなが逃げ場なくて、
喋る人が一方的に喋ったりするのだろうか。いずれにせよ厳しい。
こんなにネットでの飲みが迫れる事態になって気づいたけど、
これはなかなかのトークスキルがあるかちゃんと話すことが決まってる
身近な人でないとキツい。楽しくはない。
俺だったらゲームしながら酒を飲む方がまだマシだ。

もちろん通信環境下での話し合いが無駄ではないが、
極端にリアルの全てが補えるほど便利ではない。
ネットで話し合えることは限定されているということを肝に銘じてやると
スムーズだろう。
自分なら確認程度できればそれでいいと思う。
そこから話が進むことまではあまり期待しない。
大体、書類で意思疎通はできるし。
あえて通信を使ってまで話し合うのは理解を共有するためだろう。
意外とできてないぼんくら社員もいるみたいなので、
こういうとこで練習しとくといいかもしれない。

極小組織論

だらしない人間が集まった組織はだらしない組織である。
というのはあまりにも当たり前のことだが、
集団の完成度はやり方とか一丸となって出した成果によるものではない。
個人個人の能力や意識が組織の形として表れる。
ただ全員の質が高い必要はない。
誰か1人でも突出していれば、あとはその能力を伝播させるだけだ。
あまり特異すぎる能力だと組織で役に立たないかもしれないけど、
その能力を共有できるようにすれば、
組織全体の能力の底上げになる。
できれば、総合的な能力が高い人間がいるのが好ましい。

理想はそれぞれの出来るところをマニュアル化して、
共有できるようにすること。
そこに自分だけ持ち上がるようなワンマンなスタンドプレーをする者は
組織にはいらない。
それを扱えるくらいの組織なら泳がしても問題はないが、
制御できないのなら、平凡な人間の集まりでも
それぞれが自分の出来ることを生かしきれる組織の方が優秀になる。
そういう集団になるために必要なのが信頼関係だ。
互いを知る者同士なら協調も円滑だ。
この理屈は10人以下の少数の組織の話だから大人数になれば、
どんなに仲良くても問題は起きるだろう。
おそらくそこには強制力を伴う法や規制が必要になる。
その制定の仕方を知らないので大組織は動かせない。
だけど、少人数なら互いを知るだけで稼働することはできる。
またその人数でやれることなら一人でも多少回せることだろう。
むしろ大きな計画は立てず、小さく回してくことを心掛けるべきだ。
何かあっても対処できるトラブルシューティングは
頭に入れておかないと動けなくなってしまう。

ボードゲームカフェなど見ると、ゲームを初心者に教える人がいて、
案内できる人もいて、役割分担ができていて、人数もそう多くはない。
もしそういうイベントをやるのなら、一度、知り合いを連れて行くといい。何となく運営の参考になるはずだ。

楽しさと見込み

それとゲーム系のイベントはプレイが中心であり、
なかなかフードやドリンクの注文に辿り着かなくて、売り上げが伸びない。本家のボドゲカフェでも1,500円で昼間をいられるようにしている。
元々人数で稼ぐ形式であり、少数でやるのは厳しいものがある。
だから、イベントバーとは言え、昼にやるのがちょうどよくなる。
昼は元々人数が見込めないが、
ボドゲくらいなら逆にいつもの昼より少しは多いくらいになる。
ゲームに関するイベントはゲームのブランド力を使えるのだが、
注文につながらないのが辛いところで、時間制にするのは重すぎる。
なので、売り上げよりも本当に楽しさを重視して、
ファンを作る気持ちでいるのがいい。
あるいは特別なメニューを考えて、売上への導線を作るしかない。

店側としては前述したとおり、
楽しんでもらえること以外に何も求めていないのだが、できれば、
そのついでに売上も出れば幸いというもの。
先ほどのゲーム系イベントはその両立は難しい。
一番手堅いのはフォロワーがいて、本人もすごいトークが面白い、
芸があるなら高い売り上げが狙える。続いて、知り合いが多いければ、
見込みがある。
ただ、この2つは簡単に言えるが、実際にはすごく難しい。
160kmを300回投げられればメジャーに行けるっていうくらい難しい。無理や。
なので、別の方法を考えたい。

言ってしまうと、フォロワーの多い面白イベンターのイベントより売上げるのはほぼ無理だ。
天候も最悪で不調な有名イベンターと比べても無理がある。
最善を尽くしたとしても。
だから、どんなに考えても高売上げのイベントに近づくのが限界だ。
その上で、策が練られないか考える。

台本とコーナーを作るのも手だ。
そもそも有名じゃないイベンターのイベントは内容に不安がある。
そもそも誰だか知らんし、何をやるのかわからなくて怖い。
そんな鬼の巣みたいな所に行くのだから、
せめて明かりが欲しいわけだ。そこでイベントのプログラムを簡単に作り、時間ごとに話す内容や出すものを決めて告知しておく。
そして、プロフィールをツイートのツリーにでもぶら下げておけば、
少なくとも鬼じゃないことはわかってもらえるはず。
鬼の方がいいのなら鬼と書こう。
ここで「プロフィール?Bio見れねぇのか」と思ってはいけない。
大体の人は見に行かない。
心掛けるべきはクリックやタップを1回やるのすら嫌う生き物、
それが人間であるということだ。
どうせリンク先の記事なんか読まないでツイートや検索結果で満足してんだろ?そんな記憶あるはず。
あまつさえ本文未読でリプとか飛ばしてないかい?さすがにそれはクズだから読もう。
読んでもクソリプ飛ばしちゃうけど、
それは管轄が違うので別のところで裁かれてください。

とにかく、丁寧で高すぎる透明度を誇る説明ツイートは大事だ。
ダメ押しで画像もつけよう。
ツイートなら画像を加えることで140文字以上の情報量が与えられるぞ。お・と・く!さらにツリーにプロフィールと詳細記事のリンクなどやれば、さらに見てくれるかもしれない。
このようにわかりやすさと認知のしやすさは大事だ。
気合を入れたら動画でもいいけど、見るかなぁ…。
まぁ、短い動画(10秒程度?)ならツイートすると自動的に再生されるので、
音声じゃなくてテキストを流す動画にすればうるさい告知が出来上がる。
手間かけてもいいならこれだ。
気合を伝えたいなら本人が出て喋ってもいい。Twitterなら140秒話せる。
だから、140秒間に叫びまくって電車で再生させたら恥ずかしい思いをさせることも可能だ。
とりあえず、このくらいの工夫をしてから集客を気にしよう。
何もしないで鼻ほじってても集客難しいぞ。
それに何かしてイベントをするとたとえ不本意な結果になっても、
反省材料がたまり次に生かせる。学生ならそれを面接にでも話せ。
学生の就職なんてイベントが武器になる程度なんだからいいぞ。就職しろ。
大人はちゃんと大人になれるように頑張ろう。
大人になると万物を自分の責任にしなくてはならなくなるからな。
イベントが不満な結果なのもお前のせい。暑いのも寒いのも雨もお前のせい。政治も多分お前が悪い。頑張ろう。

しかし、長期回数繰り返すイベントなら多少手を抜くかどっかで抜いてもいいだろう。大体イベントだしな。
何で、飲み屋に来てまでアドレナリン出して血眼にならなきゃならんのだ。セロトニン出してのんびりしたいでしょ。
だから、気が向いたときに気合入れてみるといいよ。
そしたら気を抜いた時に人来るから。(実体験)

店を使うということ

毎日本気じゃなくてもいいわけだが、
自分にとって大事なものをわかっておいた方がいい。
売上ならまぁ売上でもいいけど、それって仕事とか他でもできると思う。
少なくともウチには求めんといて。
どうせならわざわざイベントバーだからできることを大事にしてほしい。
これはそれぞれ違うことだから明言はできないけど、
例えば家じゃできないことができるとか。
音も出せるし、人も呼べるし、酒も適当に用意があるし。
これ使ってできることは貴重かと思う。
あとは普段所属している組織では会えない人と会えるとか仲のいい常連とつるめるとか。
店によってもできることが違うし。
そういったことを大事なものとして据えると安定して楽しめる。
まぁ、たまに考える程度でいいよ。
人生ちゃんとやった方が意外とイベントも良くなるし人生も良くなるしね。

店長になってから考えるのは当然、
みんながちゃんと楽しく過ごせるかどうか考えるようになったというのもあるが、
それが1日単位で考えることがなくなり、週や月で見るようになった。
最初はまとめて振り返るのが楽しかっただけなのだが、
結構ちゃんと見ていくと傾向のようなものが見え、
曜日による売り上げの傾向、月による売り上げの傾向などが見えたりした。
週で見るのに関しては趣味でみてたけど、
月で見るのは間違いなく帳簿をつけた影響だ。
有志によるありがたい帳簿スプレッドシートにより
費用と収益の可視化が捗った。
半年もつけると「お前、こんな動きしとったんだな…」と眺めながら思ってしまう。
これはウチの特徴なのかざっくりいえば収益のグラフを見ると、
上半期は大体並行で、下半期は徐々に上がっていき、それが細かく見ると上下を繰り返しながら行われているのが分かる。
例えば3月より4月の収益は下がり、
5月は4月より収益が上がるという具合だ。
その上下を繰り返しながらも並行を辿るか上昇するかなのだ。
ちなみに1月でリセットだ。1月はさすがに年始でもありガクっと下がる。初めて知った。すごいぞ帳簿。

売上げ的にはこんな感じなのだが、
あとはイベントの入り具合や種類でも変わるので、それで結果を見る。
だが、イベントの盛況さより曜日の法則が強く働き、
入らない曜日だと週末や休日前なら盛況になるイベントでも落ち着いたりする。月火水がそれだ。
木曜日は意外と入り、金曜日はそうでもない。土曜は入り、
日曜はまったりだ。
8月、9月は意外と閑散期だ。8月は遠出するし、
9月は仕事始めでバーどころじゃない。知らんけど、
そういう感じじゃなかろうか。
結構他の飲食店もそうなので、
そういうところだけはウチもいっちょ前に影響受けることを知った。
そのくせ金曜日は入らないというセオリー外のことをやるので、
扱いの難しい店だ。

対人関係

店を安定させるには開けることが最善の策なのだが、
それ以外にも信用がある。
別に特別なことをやらないで店を無事に回せれば問題ないのだが、
逆に変なことをして、信用が欠ける場合がある。
厄介なのがSNSを利用しているところで、謎の動きをすると、
すぐにネットに引っかかり捉えられてしまう。
得しない有名税みたいな支払いが発生する。
それは信用の欠落という費用かもしれない。
人は何で「嫌い」とか「気が合わない」って言いだすかわからないので、
もう自分は向こうから取っ組み合ってこない限り、
距離は広めに取っている。
あまり仲良くなろうとして「何こいつ」って思われたらおしまいだし、
これは俺あるあるなのだ。小学校の時、兄弟学級とか言って、
上級生と下級生が組まされるシステムがあり、このシステムで遠足をしたとき、いいところを見せようと接しまくったら、感謝の手紙をもらう
場面が後日に発生したのだが、俺は一通ももらえないで、
当時野球部のエースの元サッカー部エースで、
後に大学で水泳のキャプテンになった同級生が
全ての手紙を大したことやってないのに全てもらっていた。
このように余計なことをすると仇になって成果がマイナスになる経験があるので、余計なことはしないようにしてる。
無理に距離を縮めないことがコミュニケーションにおける処世術となった。
俺の場合は黙ってても平気でパーソナルスペースに踏み込まれるので、
下手に頑張ると痛い目にあう。あと人間怖いし。
だから、距離を遠ざけて人と接している。俺のATフィールドは厚い。

シェアハウスもその原理で無暗に交流しなかった。
本当は忙しかったからできなかったのだが、現にしないことで、
トラブルも避けられた。騒音トラブルが発生したらしく、
そこに関わっていたら、俺も何言われたかわからない。
そんなにぎやかな騒ぎ、騒がないわけないし。

まぁ大規模感染症が発生してから嫌でも距離を開けることになったけどね。
何もできなくなったことを自粛のせいにしないようには心掛けてた。
宣伝告知を控え、都の要請の範囲内ではできる限りのことはした。
自粛前より無理があった。イベンターがいない分は自分がやるし、
そのやってるときは収入がバイトより低いわけだし。
最低最悪だけど、何もなかったわけでもなく、人の気持ちが生々しく分かったし、そこで深まった縁もあるので、一概に何もないとは言えなかった。

情勢もあって、失敗だらけのような気もしたが、
何もしなければ何も起こらない。無駄な行動が多すぎて、
成功が少なすぎかもしれないけど、無ではないだけいい。

開け続けた甲斐もあって謎にWi-Fiルーターがもらえた。
これでわかりやすいPASSとIDになった。
やはり店は開け続けてるといいことがある。店持ってる人は開けよう。
家は閉めよう。

閃光の日々

9月になり涼しくなって、
今までのこととその前のことをさらに振り返った。
2018年の9月はバーテンダーをやらなかったか減らされた月でもあった。
当時、店に協力的なイベンターがおり、それと自分がかぶってしまうので、自分は外れて、そのイベンターに任せることになった。
その次の月からはまた入ったが。
その翌年はまた協力的なイベンターがある程度定期的に入ったが、
自分も入った。
2年間、自分だけが入り続けたわけではなく、多少の空白があった。
しかし、変わらず店に立ち続けたのは自分だけだった。もう2019年以前の人たちの9割はいないんじゃないだろうか。
人は移り変わる。それは風通しがいい証拠であり、いいことである。
自分は地元なので離れるわけにいかない事情があるだけだ。

自分が入って初めての時。雑にパスタを作ったな。
ちゃんと言うとナポリタンなんだろうけど、
ケチャップ程度で、具材はない。無職なので買えない。
ケチャップ味のパスタとボトルワインを激安で出し、
全てを許してもらおうと思った。開店ブーストで人は来た。
またドミニオンを初めて知って、ボドゲを初めてちゃんとがっつりやった。
それと無暗にマンガを持ってきて、適当に家にあるやつを店に置いた。
ある程度置いて、人が来るようになったら、持って帰った。
その後に刃牙が全巻揃えられた。

この時は店ってどうやればいいんだろうなって感じで
ダラダラ続けてた気もする。
時折、イベンター集めに当時の店長だったオーナーが頑張ってたっけな。
自分も仕事を辞めて、夏くらいに派遣バイト入りまくって、
かさんだ負債を払ったりした。Twitterで何言おうが、
どこの店に行こうが何を言われることはなかった。
特に店にはいてもいなくても問題はなかった気もする。
1年そんなことをやると、すっかり定着してしまい、
ちょっと人に覚えられるようになってしまった。
開業当時に来た人はもう来なくなり、また新しい人たちが来た。

もう適当な曜日の穴埋めは自分がやるようになった。
オーナーは自分の利用回数制限みたいなのを設けてたみたいだが、
そんなのは店長になってから毎日のように入るようになったので、
意味がない回数制限だった。当時からぶっ通しで入れると思ってたけど、
やはり入れた。別に俺も楽だったし、利用されても構わず、
ずっと言われるがままに入った。
多分、断ったことはなく、変更も1,2回くらいしかないはず。
あ、1度実家にいてすっぽかしたことはあった。

初めて入ったときは緊張したし、来客にうまく対応できるか不安だったが、その内ダラダラやるようになり、これじゃいけないと思うこともなく
どんどんダラダラしていき、今では書斎のようなっている。
客が来ても0.5秒くらい意識が飛んでて反応が遅れることすらある。

強みと強さ

出来がいいとは言えないが、体力があるからこそ続けていけた。体力だけだ。
あと仕事辞めてから風邪は引かなくなり、体調不良も徐々に減っていった。
2020年になってから二日酔い以外、体調は崩していない。

一緒に行動してた人、身近な人は体調を崩して、
1週間以上安静にしたりした人もいるので、
誰でもできることでも続けるのは難しいようだ。
諦めずにやるとかやる気を出すというのも、一種の能力だと思った。
誰でもできることを続けるのは誰でもできるわけではない。

2年間。待っていた。自分より優秀でやる気があり、
店をけん引できるような人を。
優秀な人はいくらでもいた。でも、どこかに消えていった。
残ったのは俺だけだった。さらに店もこのご時世で消えていった。
なんなら客もいなくなった。いたのは俺だけだった。
店でこの文章を書いている今もずっと人がいない空間となっている。
誰にも勝てなかったし、力及ばず誰の相手にもならなかったけど、
みんな消えて、俺は生きた。だから誰にも勧められるやり方ではないが、
これしかなかったので、自分はこれだけをやってきた。

大した才能がないからこれだけやって来れたのはある。
これで下手に金になる文章ができたり、
絵や音楽ができたりしたらそっちに逃げてしまうかもしれない。
他に何もできないからこそ全てを止めるか前に進むかのどちらかしかなかった。
たまたまできることが店を開けるの一点のみであった。
またこんな時期にこんな立場になったのも運命だったのだろう。
与えられたのなら生かしていくしかない。

駆け抜けて

そうやって10月になりバイトを辞めたわけだが、
それから年が明け、2月になった今もバイトはしていない。
別に店だけで生きていられるわけではないが、
前の月の売り上げとかにも助けられ、そうなった。
しかし、このままやっていくと、
社会的な生活が送れなくなりそうで、怖い。
習慣というか社会で多くの人と仕事として関わるには人と合った生活と感覚が必要になる。
孤立していけば、生きていけなくなる。
生きていくという意味では家庭は持ちたい。
自分の為だけに家庭は作れないが、
いつまでも1人では生きていく意味が薄いのだ。
自分以外の人生にも直接関与することで生きる意味を強くできる。
1人でやれることの限界はある。
それは体力があったところでどうにもならない。

夏を過ぎるとイベンターに必要なものもわかるようになった。
仕入れるべきタイミングもわかるし、初めて入る人への助言も慣れてきた。
イベンターを助けることは店の為でもあり、
来客にも好印象を持たせることにもつながる。
それが功を奏したのか振り返るとイベントがない日の方が少なくなっていった。
それにつれて、文章を書く時間が減って、
店長半年記念もいつの間にかできなくなってた。
特殊な状況になったけど、水商売であることには変わらない。
本当に何が起こるかわからず、店での動き以外は本当に読めない。
もっと人は来ないと思ってたし、しみじみと文章を書いて、
店長半年記念を身内でできるかと思った。
残ったものはきっとなくなったものより多くはない。
常連で回してるといわれがちなこの店の常連ですら、少なくなった。
それでもついてきてくれる人は貴重だ。人は個性があり、
特にウチのような店は尖ってるけど、その個性的な人々の要望にある程度、
応える形で今の店がある。多く人が集まり、
人間性を捨てて処理しなくてはならなくなるのかもしれないが、
今のところその必要性はない。それどころか少し慣れてきてしまったので、余裕すら出てきた。
この状況下の為、何かを止めて始める人も増えた。
自分は相も変わらず店にいる。
店にいるだけで、バイトすら辞めてしまった。
いったいどうなるのだろうか。

緩やかに吹く隙間風

10月近くになると、来店が少し落ち着いた。
その間に異世界もののアニメを観た。防振りに盾の勇者の成り上がり、
転スラ。新刊が出るということで、ハルヒも観返した。
今振り返ると一番ゆとりがあった時間でもあった。店では隙を見て、
帳簿をつけたりした。

自分は元々しゃべるのが好きでさらにTVで芸人を観るのも好きなので、
さりげなく影響は受けている。
観るときは面白いと思うだけじゃなくて、
何で面白いのかとかどうやって回したのかなど、
テクニック的なところも考慮しながら観て、
再現できるかどうかまで考えている。
バーでそれを試す機会が与えられているのは助かってる。
そして、自分がメインでも何でもないが、TV収録の現場を観る機会もあった。そこではカットされない生のトークを観ることができた。
カットしなくても笑いどころがしっかりしていて、
無駄もなかった。相手への配慮もすごくて、
トークの随所に気遣いが見られた。自分も気を遣っている自信はあったが、まだまだだと思った。大変勉強になった。
TV局を観て、やはり自分はデカくて派手なメディアが好きだと改めて思った。

11月になって、
住まい近くの公園に行くとすっかり親子連れなどであふれていた。
5月と違い、人が増えていた。
少し平和が戻り、街に体温が出てきた気がする。
枯れ木が目立つような季節だけど初夏よりもずっとぬくもりがあった。

また地元で働くことになり、
おそらくもう出ないことを決めることになるとは思わなかったし、
その地元の商店街が大規模感染症で
静かになる日が来るなんて思ってもなかった。
イベントバー以外にも地元の店にも行きたいと思う。
自粛により行けなくなってしまってるが、手持ちの金が安定したら行こう。本当は自粛がなければ余裕がもっとあったはずなのだが。

加えて、仕入れも少し豊富にしたい。
12月は本当に色々な人にお世話になった。
1月もその余力で生きてこれている。

本当は帳簿をつけてくうちに経理に興味を持ち、
簿記など経理の勉強もしたいと思ったし、
ライティングの幅を広げるためにも英語をやりたいと思ったが、
思ったより店を回すのに必死でできなかった。
10月まではバイトもあったので、本当に時間がなかった。
何とかこの文章を書き終えられる程度には時間があったが、
それでも想定より時間はなかった。

こんなことにならなければ、街歩きイベントとか配信、
花見とかもやってみたかった。
しかし、それも店長就任と同時に自粛になり、全てが断たれた。
多分、バイトしてなくて途中でいきなりそうなったらもっと絶望してたかもしれない。だが、始まりがすでに絶望だったので、何かを思う間もなかった。

存在価値

それでもこんな時だからこそ、
少しでも人を感じられる場所を存在させるべきなのだろう。
幸い、ネットを使って広げていった店だし、
存在意義はそういうところにある。来れなくなってしまった人、
もしかしたらもう行きづらくなり、もう来ることはないのかもしれない。
来ないだけで、店に何かしらの想いは残してるかもしれない。
ずっと来れなかったとしても、これからの人のためにもその想いを継いで、店を良くしていく。

当初、宣伝などができたとしても店の雰囲気を変えてまで拡大を狙って、
新しい客層を作らず、現存のコミュニティを大事にしようと決めていた。
そのコミュニティを軸にゆっくり広げてこうとした。
振り返るとそれはできていて、
こんな中でもしっかりと知り合いが知り合いを呼ぶような形が作れた。
別に自分が何かをしたわけではない。
ただ変えずにずっと同じようにやってきただけだ。
それでどうにか存在できた。自分は変えることは苦手だが、
変わらないことはできる。その特性とこの店の相性が良かった。
人にも恵まれた。
1月に入り、時間ができることはわかっていた。
それは状況に関係なく、1月は閑散期だからだ。
それでも1/5まで店にいて、そこからようやく休めた。

「こういう逆境に強いと信じてます」

店長になった時期、LINEでそんなオーナーの返信があった。
別に不安でもなかったし、やるだけやるかという気持ちだった。
思った以上にひどい状況だったが、マイナスに陥ることなく、
店も俺も生き残った。正気でいる暇なんてあっただろうか。
バイトと店と寝床が記憶の大半で、どうしようかなんて思ってる暇もない。そんなのはダメになってから考えればよかったから。

この文章を書いてて、その暇がやってきた。
どういう感情から出てくるかわからない涙が出てくる。
学生の時、不意に一人で山に行きたくなって、適当な低い山にピクニックのような気持ちで登ったら、
時間を忘れてて、いつの間にか暗くなり、慌てて降りたことがある。
道が分からなくなり、戻れないかと思った。
とにかく、急いでおりたら道を踏み外し、気付いたら地面を転がっていた。
足をぶつけた意識はあり、それ以外、痛みはなかった。それから立ち上がりしばらく歩いた。
戻れなかったらどうしようと考えたら、光が見えてきた。街の光だった。
暗闇以外に見る久々の光景だった。戻れるという安心感とともに人がいる世界に感動した。
その感動に似ていた。下手をすれば、それ以上だ。
時間と積み重なった想いが遥かに多い。

30も過ぎて、自分の能力の限界はわかりきっていたので、あとはダメになって、社会のジャッジで首を落としてもらうのを待っていた。
一般の能力の限界より低いところに限界はあって、
とてもまともに生きれる気がしなかった。
少なくとも生きるだけで精いっぱいだった。仕事も勉強も何もできなかった。
イベントバー界隈は社会の中でも高い能力の人、特殊なステータスがある人が多く、
店に行くときはいつも見上げにきていた。とてもついてこれないなと。
それが店の管理をすようになったのだから、恐ろしい。
今だって、それを考えたら恐ろしい。
自分よりとてつもなくできる人が「お願いします」と来るわけだ。
懸命にこちらこそと返す。肯定感が全くもって低いので未だに調子に乗ることはないが、
逆に妙なありがたみを持たれても申し訳ない。
使ってやってるくらいでも本当にいい。
あと、相談みたいなこともあり、相手が自分でいいのかと思う。
せめて迷惑ではなく、
むしろバー冥利に尽きるところなので気兼ねなくしてほしい。
いや、あまり重いことを言われても
虚無になってうなずくしかできなけれど。

先へ

絶望の中、もらったPCは処理が重くて、
使用が厳しくなっていたがSSDに換装してもらったことで、
処理スピードが上がって使いやすくなった。
PCとの相性が悪かったウェブカメラも新しくPCをもらい、
そっちとの相性が良かったため、配信などで使っている。
これでスマホで充電を気にしながら、配信する必要がなくなった。
Zoomも結局、イベンターの要望によりまた使うことになり、
経験に助けられた。色んな助けがあって、全てが息を吹き返してきた。

店が中心になり、人が人を寄せ合い新しく出会いを紡ぐ。
何かできることはないかと悩んでる人が集まって、何かできそうになる。
現在、そういう人が組んで新しい活動を始めようとしている動きもある。
初めてきた人もいるし、今まで来てたけど、
新しい出会いがあって、楽しかった時もある。
長すぎた夜、外に出るころには明るさに目を細めたときもいくらかあった。
段々と他の店と比べて何かを思うことがなくなった。
少々の自信がついて、そんなことを考える時間がなくなったからか。
俺個人としては人と比べて圧倒的に低いところが多く、
そこはまだ成長できていない。いつの間にか店に追い越されていたな。
引き上げるのに必死な店だったが、今度は俺が追いかけなくちゃならないみたいだ。
きれいに年明けたら、きっちり次の段階を迎えた。
もう維持と管理に全力を尽くしてる時ではない。
何ができる店で、俺には何ができるか、
可能性をはっきりと示す時が来ている。

店長は1人だが、同じ光景を見る人を増やすことはできるはずだ。
俺が見ている光景を見せるために引き上げることがもうできるだろう。
不思議なことにそう思うことに必死さも使命感もない。
自然とやれることに思える。

確定してないことだし、
他人も関わる個人のことだから具体的に何ができるということは言えないが、いずれ形をもって出していければいい。

何でもかんでも受け入れる姿勢でやってきて、
ダメになればできなくなるかと思ったら、店長になり、
もうダメになれるタイミングを完全に失った。退路という概念がなくなり、どこ行っても進路しかない。
狙ってこうなったわけじゃないけど、きっと狙ったとしてもこうはならないし、これ以上のことはない。
本当に何もなかったけど、店に関わってから一体どれほどのことがあっただろうな。
平均的な社会人の経験としては浅薄かもしれない。
でも、自分にしては上等だ。
少しでも必要であったと思われたのならそれでいい。
これからは存在するだけでなく、
存在を必要だと思い続けられるようにやっていく。ずっと。

読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。 ところでこの「さぽーと」って何ですかね?神が使う魔法かなんかですかね??良くわかりませんが、これ使う人は人間以上の徳がある人なんでしょうね。