縄文人には見えていて、現代人には見えていないもの。

先ほど書いたことの補足だけれど、今回、北海道でもオーロラが見えた。
 私は、自分でも縄文土器を作り続けていた時期があったのだが、縄文土器の文様は、オーロラのようなプラズマ現象ではないかという気がしていた。   
 

縄文人は、実際にオーロラ現象をよく見ていたのではないかと思うのだ。
 というのは、縄文遺跡は、東北から北海道にかけて多い。そして、貝塚の貝の種類や貝塚のある場所から、当時の海岸線が現在よりかなり内側で、海水温も高かったことがわかっている。
 つまり、当時は、現在より暑かった。恐竜時代ほどではないかもしれないけれど、太陽活動が盛んだった可能性がある。
(恐竜だって、なぜあれだけの巨体になったのか? 太陽から受け取るエネルギーが、現在の地球環境とはまったく異なっていたということだって考えることもできる)。
 縄文時代、人々の食生活は、かなり恵まれていたと近年の調査でわかっているが、もしかしたら、太陽エネルギーのおかげで、食物も豊かに育っていた可能性もある。
 そして、縄文人にとって、天空に現れるオーロラなどの現象と、自分たちの生活を支える食物が、かなり具体的につながってイメージとして捉えられていたのではないだろうか。
 木の実を煮詰める縄文土器の装飾が、プラズマ現象のようにエネルギッシュなのは、そのためかもしれない。
 もちろん、現在の科学的な観点からは、そういう説明はされない。
 しかし、異なる環境のことを、自分がいる環境の常識でははかれない。
 私は、一時期、憑依したように縄文土器づくりに夢中になって、1週間に一つ作っていた。
 小説家の田口ランディさんと八ヶ岳周辺に行った時、立ち寄った博物館で縄文土器づくりの講習があり、それに参加したのがきっかけだった。
 その時、ひたすら没頭して土器を作ったのだけれど、学芸員さんが、「本当に初めてですか?」と、その完成度に驚いた。
 無心で手を動かしていただけなのだが、自分では、八ヶ岳周辺を旅して、その場のエネルギーを全身に浴びたような感覚があった。
 その頃の私は、八ヶ岳周辺に通い詰めていて、八ヶ岳に拠点を作ろうと真剣に考えて土地を物色していたほどだった。
 その理由は、夏、久高島など南の島々を旅した後、ものすごく体調の悪い状態が続いていたのだが、八ヶ岳の麓の清里で写真家の井津建郎さんとトークを行った時、その場に到着した瞬間、それまでの体調の悪さが嘘のように消えたことがあったからだ。
 そして、トークを終えて東京に戻った日、食事をしている時、突然、40度の熱が出て、それから5日間、ずっと高熱状態にいた。そのあいだ、ものすごく汗をかいて、なにか浄化されたような気持ちになった。それで、八ヶ岳と自分とのあいだに何かあるような気がして、通うようになった。
 縄文土器づくりは、その延長だった。
 そんなことがあり、大地の磁場の力が私たちの活動に大きな影響を与えているような気がして、インターネットで色々調べていたら、アメリカのサイトで、Thunderboltsという本格的なプラズマ研究の学者たちが集まっているサイトを見つけた。ノーベル物理学賞を受賞したハンネス・アルヴェーンのプラズマ宇宙論を深めていくため、世界各国のプラズマ学や考古学や天文学の研究者が関わっている場だった。
 私は、これだと直感し、このサイトに連絡をとって、私の考えを伝え、風の旅人への連載を依頼したら、即決で、あなたの見立ては間違っていないと連載を引き受ける返事がきた。
 そして、風の旅人の第31号から第40号まで、翻訳に苦労しながら連載を続けた。

当初は4ページくらいのつもりだったが、期待以上に、長い文章と多くの写真を送ってもらい、いつも10ページほどの大分量での掲載となった。
 このプラズマ宇宙論は、相対性理論に基づいた物理的な宇宙観ではなく、現在、宇宙全体の99%がプラズマ状態であるという新しい常識に基づいた宇宙論である。
 19世紀まで、私たちの宇宙は、分子や原子で構成される質量のある物質で成り立っていると考えられていたが、現在、素粒子の研究が進み、ニュートリノのように、質量も電荷も帯びていないけれどエネルギーだけを持っている粒子も発見されている。
 ニュートリノは、発見されているだけでなく、宇宙空間で光子に次いで多いとも考えられており、毎秒、私たちの身体を、膨大なニュートリノが通過しているのだ。
 目に見えなくて、物質化していないために、物理的方程式では記述できないけれど、実際に存在している粒子が、私たちの身の回りに溢れている。
 気配というのは、錯覚ではなく、リアルに存在しているけれど、私たちの目に見えないだけなのだ。
 私が、現在、ピンホールカメラを使って、日本の古層を探究しているのは、物ではなく気配こそが、古層への回路だという直感があるからだ。高速シャッターで写す高精細な写真では気配をとらえにくい。物が写りすぎるからだ。そのため、レンズのないピンホールカメラで、長時間露光をするという方法で、物の見え方を抑制することで、物の周りにある空気の気配が感じられないものかと試行錯誤している。

私たちは、古代人と違って、かなり人工的な世界に生きている。だからといって、私たちの身の回りから、自然が、完全に消えて無くなったわけではない。
 そうした自然を、唯物論の世界では、単なる物として扱い、人間に都合よく利用できるものだと思ってしまっている。
 物として扱う時には、息吹とか気配を感じていないから、崇める気持ちも、畏れる気持ちも生じない。
 オーロラのような超常的な現象であっても、現代人は、綺麗ねえと観賞するだけ。
 しかし、エスキモーにとってオーロラは、「死者の精霊」。
 ならば、縄文人にとっても、そうだったかもしれない。
 死者の精霊をまとった縄文土器に入った食物を食べるということは、まさに自然界において朽ちて死んだら土となって新たな生命の糧になる構造と同じであり、その循環的構造の中に人間も位置付けられているということになる。
 縄文時代の土偶にも、オーロラのようなプラズマ模様が描かれている。八ヶ岳山麓の尖石の考古学博物館にある仮面の女神が、その代表であり、この土偶は、見るからに宇宙的なエネルギーを身に纏っている。

縄文時代は、はるか古代の出来事であるけれど、もしかしたら、未来的なものを暗示している可能性が高い。
 その未来というのは、目に見える世界だけに意識を限定しがちな現代人が、目に見えないけれど確かに存在しているものに対する意識を、広げていく先に開かれているような気がする。
 たとえば、人を信用できるかの判断も、肩書きや見た目にごまかされるのはなく、その人が醸し出している気配を敏感に感じ取れる能力を備えていた方が、間違いはないだろう。
  日常的にも、そういう判断を失っているわけではないのに、メディアで発信される情報は、気配という微妙なものに重きが置かれることはなく、コメンテーターなどにしても、早口で明確に多くの情報を伝えられる人が選ばれているケースが多い。
 芸術作品にしても、現代は、コンセプチュアルなものが多いし、説明可能なものが流通しやすいのだが、この流れも、目に見えないものに対する人間の感受性を劣化させる。
 そうした世の中の傾向のことはともかく、目に見えないものに対する感受性は、生物が生きていくうえで重要な能力であり、この能力を劣化させた生物は、修羅場の自然界ですぐに死に絶えてしまう。
 私たち人間だって同じだ。
 目に見えないけれど確かに存在しているものに対する感度を鈍らせないためには、どうすべきなのかを意識して、そのためには何をすべきかも意識して、生きていくことも大事なことだと思う
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